ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イエスは天の神の唯一の御子

 

  イエスは人間ではありません。神が肉体を造られた人の子です。処女の胎に、聖霊によってかたち造られました。

 

  イエスは霊なる神の御子です。イエスの霊は、永遠の昔から生まれていました。

 

  イエスは、ユダヤ人達に言われた。

  「わたしは父を敬っています。しかしあなたがたは、わたしを卑しめています。しかし、わたしはわたしの栄誉を求めません。それをお求めになり、裁きをなさる方がおられます。

  まことに、まことに、あなたがたに告げます。誰でもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を見ることがありません。」

 

  ユダヤ人達はイエスに言った。

  「アブラハムは死に、預言者達も死にました。しかし、あなたは、『誰でもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を味わうことがない』と言うのです。

  あなたは、私達の父アブラハムよりも偉大なのですか。そのアブラハムは死んだのです。預言者達も死にました。あなたは、自分自身を誰だと言うのですか。」

 

  イエスは答えられた。

  「わたしがもし自分自身に栄光を帰するなら、わたしの栄光は空しいものです。わたしに栄光を与える方は、わたしの父です。この方のことを、あなたがたは『私達の神である』と言っています。

  けれどもあなたがたはこの方のことを知ってはいません。しかし、わたしは知っています。もしわたしがこの方を知らないと言うなら、わたしはあなたがたと同様に偽り者となるでしょう。しかし、わたしはこの方を知っており、そのみことばを守っています。

  あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。彼はそれを見て、喜んだのです。」

 

  ユダヤ人達はイエスに向かって言った。

  「あなたはまだ五十歳になっていないのにアブラハムを見たのですか。」

 

  イエスは彼らに言われた。

  「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」     ヨハネの福音書 8:49~58

 

  イエスは、人間ではありません。天地万物が造られる前から神とともにおられました。悪魔がまだ天使長ルシファーである時に、すでに存在しておられたのです。

 

  神を父と呼ぶ、唯一の子でした。神、聖霊、御使いの光の中で、唯一神の子だったのです。神から生まれた神の子です。神は、このひとり子の父であり、子は神を父と呼ぶ、神の子どもでした。それは、ルシファーもよく知っています。ルシファーは、神の愛を一身に受ける、神を父と呼ぶ御子に強い妬みを持っていました。

 

  ルシファーの反逆は、神の御子に敵対することでした。神の御子に敵対することは、御子の神格を冒瀆することであり、その父である神のご主権に敵対することです。

 

  ルシファーは父なる神が御子に主権を与えることを知りました。それで、ルシファーは反逆しました。反逆したルシファーは天から追放されました。

 

  天から追放されたルシファー(悪魔)が横行する世に、聖なる神の御子が来られたのです。悪魔の宿敵がやって来ました。悪魔は、最初から神の御子を殺すつもりでした。イエスが神の御子であることを信じ、一番恐れているのが悪魔なのです。神の御子が世に来られたことは、悪魔の裁きのときが来たのです。

 

  イエスは、人の子として来られたので、アブラハムから二千年以上あとに生れています。ユダヤ人達が不思議の思うのも無理はありません。

 

  人のかたちのイエスが、霊なる神の御子であるとは考えられないからです。肉体を持った普通の人だと思ってしまいます。しかし、イエスは、霊なる神として、父なる神とともにアダムを造られています。

 

  イエスは、神の御子として、ユダヤ民族が造られる前から存在しておられたのです。彼らの父祖アブラハムも知っておられます。また、アブラハムは、イエスを神として知っていたのです。アブラハムは、霊において、主を見、主を礼拝しています。

 

  アブラハムが従った神は、肉体を持つ以前の御子でした。アブラハムは、御子を見ていたのです。そして、大いなる救いの計画を担う神の御子を喜んでいたのです。

 

  ダビデも御子を知っており、「私の主」と呼んでいます。アブラハムが主として従った御子、ダビデが私の主と呼び慕っていた神の御子が、イエスという目に見えるかたちになって、彼らの子孫のもとに来られたのです。

 

  しかし、神から遠く離れたユダヤ人達には、わかりませんでした。彼らの先祖、アブラハムも、ダビデも、預言者達も霊において、神を知り、神を礼拝していました。彼らは、神が霊なるお方であることを知っていたのです。

 

  イスラエルの神を捨て、偶像礼拝をし、人間を恐れ、人間的なものを頼みとし、イスラエルの神以外のものに助けを求める彼らの霊は堅く閉じていました。彼らの中にアブラハムの信仰は失われていたのです。

 

  アブラハムが生まれる前から神として存在しておられた、人の子イエスを歓迎することはありませんでした。それどころか、イスラエルの聖なる神を父と呼ぶイエスを、石打ちにしようとしました。

 

  イエスは、神のことばを語り真実を話されたのに、ユダヤ人にとっては、悪霊に憑かれた者の神を冒瀆する言葉に思えたのです。

 

  ユダヤ人がイエスは神の御子ではないと否定しても、神のひとり子であることに変わりはありません。世界中の人々が、イエスは神の御子ではない、ただの人間だと叫んでも、イエスが神のひとり子であることに、変わりはありません。

 

  それは、永遠の昔からおられる創造主が、「イエスはわたしの愛するひとり子である」と証言されるからです。創造主であり、裁き主である天の神の証言以上に確かなものがあるでしょうか。

 

  それ故、天の神は仰せられます。

  「わたしが世に遣わした神の子羊イエスを信じなさい。」

 

 

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