ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

キリスト・イエスに対する信仰によって神の子どもです

 

 「もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。

 ところが、相続人というものは、全財産の持ち主なのに、子どものうちは、奴隷と少しも違わず、父の定めた日までは、後見人や管理者の下にあります。

 私たちもそれと同じで、まだ小さかった時には、この世の幼稚な教えの下に奴隷となっていました。しかし定めの時が来たので、神は御自分の御子を遣わし、この方(キリスト)を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。

 これは律法の下にある者(ユダヤ人)を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。そして、あなたがたは子であるゆえに、神は『アバ、父。』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。

 ですから、あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。神による相続人です。」(ガラテヤ3:29-4:7)

 

 「約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は『子孫たちに』と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、『あなたの子孫に』と言っておられます。その方はキリストです。」(ガラテヤ3:16)

 

 神は、アブラハムと契約を結び、祝福の約束をされました。そして、その契約と祝福を受け継ぐ者として、妻サラにアブラハムの子イサクを造られました。約束の子孫を生むためです。

 イサクはヤコブを生み、ヤコブは十二人の息子を生んでユダヤ民族を生み、アブラハムの契約を受け継ぎました。約束の子孫を生むためです。

 ユダヤ民族(イスラエル)は、約束の子孫(キリスト)を生みました。

 

 アブラハムは、妻サラの女奴隷ハガルの子イシュマエルを得、自分の身から出た跡取りを得たことで、神の契約は息子のイシュマエルに受け継がれると思っていました。

 ところが、アブラハムの妻サラが八十九歳となり、閉経し子どもの授かる見込みのない状況となったとき、神は現われて、アブラハムに仰せられました。

 「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしはイサクとわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。」(創世記17:19)

 

 神が仰せられた「約束の子」は、アブラムの血ではなく、神から受けた新しい名で呼ばれるアブラハムの血を受け継ぐ子だったのです。

 アブラムは、神からアブラハム(国民の父)の名をいただき、契約のしるしとして、包皮を取り除いて割礼を受けました。ウルから出て来たアブラムは、神によって、カナンの地で、神の民を生む父としての新しい人アブラハムとされたのです。

 

 神は、アブラムをアブラハムとし、妻サライをサラとして、ふたりを「国々の父」と「国々の母」とされたのです。

 この「国々の父」と「国々の母」から、「国々の王」となるキリストが生まれるのです。

 神は、アブラハムとサラに、ひとりの男の子イサクを与えられました。イサクの後の子孫(イスラエル)に、国々の王となる「イエス・キリスト」を生むためです。

 

 神の御子イエスを身ごもった処女マリアは、主を賛美しました。

 「主はその憐れみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。私たちの先祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」(ルカ1:54,55)

 

 アブラハムとサラの子ユダヤ人の処女マリアから、約束の子は生まれました。

 神は、この約束の子の訪れを、イサクの子ヤコブの子孫(ユダヤ民族)に預言者を立てて聖書を与え、多くの時代多くの預言者によってさまざまな方面から語られました。

 神は、神のひとり子の訪れを、ユダヤ人たちに示しておられたのです。

 

 マリアもまた、イスラエルに約束された御救い(キリスト)の訪れのなることを知り、神を賛美しました。

 キリストの訪れは、アブラハムとの約束であり、イスラエルの約束であり、国々の御救いのためでした。キリストは、国々の王となるお方です。キリストによって、アブラハムは国々の父となり、サラは国々の母となります。

 

 イスラエルに約束されたキリストは、罪の贖いの血を流した神の子羊イエスです。約二千年前、十字架に掛かって、罪の贖いのわざを成し遂げられました。

 

 キリストの十字架は、割礼の民と無割礼の民との隔ての壁を打ち壊しました。

 イエス・キリストは、ご自分の肉(裂かれた神の子羊の肉)において、ユダヤ民族の神の律法を廃棄されました。このことは、ユダヤ人と異邦人の二つのものをご自身において新しい人に造り上げて、平和を実現するためでした。

 また、ユダヤ人(神の選びの民)と異邦人(神の外にいる民)を一つのからだとして、キリストの十字架によって、神と和解させるためです。両者の敵意はキリストの十字架によって葬り去られました。

 キリスト・イエスによって、ユダヤ人も異邦人も両者ともに一つの御霊において、同じ国民となり、神の家族となるのです。(エペソ2:14ー16,18)

 

 「ユダヤ人も異邦人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。」(ガラテヤ3:28)

 

 聖書はユダヤ人を罪の呪い(律法の違反への恐れ)の下に閉じ込めました。イエス・キリストが現れる以前は、ユダヤ人は律法の監督の下に置かれ、閉じ込められていましたが、それは、救い主キリストを信じるためでした。罪の呪いから救い出してくださるキリストに望みを置く信仰を得るためでした。

 ユダヤ人を閉じ込めた律法は、キリストに導くための養育係となりました。ユダヤ人が、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。しかし、キリスト(イエス・キリスト)が現われた以上、ユダヤ人はもはや養育係(律法)の下にはいません。

 神のひとり子キリスト・イエスを信じる信仰によって、義とされるのです。信仰は言います。キリスト・イエスを信じる信仰によって、神の子どもです。

 

 「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。」(ガラテヤ3:27)

 

 キリストを着たものは、神の子どもの聖なる性質を着た者であり、子としての身分を受けるのです。そして、子であるがゆえに、神は、「アバ、父。」と呼ぶ、御子キリストの御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。

 

 私たちは、キリストの思いを持つキリストの御霊を得るならば、神の子です。奴隷ではなく、神による相続人です。

 相続人ですから、神の御国の財産を相続する、財産の持ち主なのに、父の定めた日までは、後見人や管理者の下にあり、奴隷と少しも違いません。

 

 しかし、十字架のわざを成し遂げられたキリストが、死から復活し、神の御座の右に着座されたように、私たちも、キリスト・イエスに対する信仰によって、死から復活し、神の子どもとなるのです。

 

 「ユダヤ人の王」として十字架で辱しめを受けて死なれたイエス・キリストが、再び天から来られ、「イスラエルの王」として、国々の王となられるとき、私たちは、キリストの御霊により死から復活して、イスラエルの王の国民、神の民として、ともに世界を治めるのです。

 

 キリストは、律法の下にある者(ユダヤ人)を贖い出すために、律法の下にある女から生まれた律法の下にある者とされました。キリストが、律法の違反による罪を神の子羊キリストの血で贖われたとき、律法の外にいた人々の罪をも赦されるためです。

 その結果、すべての人々の罪が赦されました。

 キリストの血による罪の赦しを信じる人は義とされ、キリスト・イエスを信じるその信仰によって、信じる私たちが神の子としての身分を受けるようになるためです。