「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたし(イエス・キリスト)を信じなさい。
わたしの父(神)の家には、住まいがたくさんあります。
もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
わたしの行く道(父のみもとに帰る)はあなたがたも知っています。」(ヨハネ14:1ー4)
イエスは弟子たちに、ご自分が父のみもとに帰ることと、父の家には住まいがたくさんあることとを告げられました。
父は霊なる神です。霊なる神のみもとに帰るためには、イエスも霊なる者とならなければなりません。イエスは肉に死んで、死から甦り、永遠のいのちの「霊の人」として新しく生まれました。
イエスは、神の子どもの初子として、ユダヤ人たちの見ている前で十字架の死を遂げ、確実に死なれました。しかし、イエスが弟子たちに語っておられたとおりに、三日目に墓から甦り、新しい霊のからだで多くの弟子たちに現われました。
イエスは、死から甦られたのです。
神は、仰せられました。
「あなた(神の子羊イエス)はわたし(神)の子。きょう、わたしが生んだ。」(へブル1:5)
神の御使い、天使長であったルシファーは、神のひとり子を御使いのひとりのように見て、神のひとり子よりも自分(天使長ルシファー)の方が主権を持つのにふさわしい者だと高ぶっていました。
天使長ルシファーは、神のひとり子を相続人として認めていなかったのです。彼は、神のひとり子よりも高くなりたいと、悪戦苦闘しました。父なる神は、ひとり子の主権を守られ、天使長ルシファーを天から追放されました。
「相続人というものは、全財産の持ち主なのに、子どものうちは、奴隷と少しも違わず、父の定めた日までは、後見人や管理者の下にあります。」(ガラテヤ4:1,2)
神のひとり子イエスも、相続人として父から主権を受けるまでは、御使いと変わらない者のようでした。
しかし、神は、天使長ルシファーを天から追放された後で、御子とともに、天地万物を創造されました。神は、これを御子に相続させられます。しかし、その時はまだ来ていません。
神のひとり子は、父なる神とともに創造された「人」を救うために、また、人を騙し配下の天使たち(堕天使たち)を騙した天使長ルシファーの成れのすえの「悪魔」と、堕天使長に付き従う天から追放された堕天使たちの成れのすえの「悪霊ども」を滅ぼすために、神の御心を成し遂げる従順な神の子羊イエスとなって、イスラエルに来られました。
神の子羊となられた神の御子は、祭司の民イスラエルによって屠られ、罪の贖いの血を流されました。罪のない子羊の血は、世の罪を取り除き、緋のように赤い罪も雪のように白くされます。
神は、子羊イエスの贖いの血をご覧になって、満足されました。神は、子羊イエスの血による贖いを信じて罪の贖いの血を受ける者の罪を赦し、義とされます。神は、神に聞き従う人生を歩んでいなかった罪人を、神を恐れるノアやアブラハムのように正しい者とされて、その信仰によって義人としてくださるのです。
神のひとり子イエスは、死から甦られました。すなわち、肉に死んで、霊にて新しく生まれられたのです。
神は、霊によって生まれた人の子イエスを、「あなたはわたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」と仰せられました。
神が「あなたはわたしの子。」と言われる御使いはほかにいるでしょうか。
死から復活した神の子羊イエスは、天に上り、神の御前に出て、神から主権と光栄と国が与えられました。
神は、神の子羊イエスに、「わたし(神)があなた(神の子羊イエス)の敵(悪魔)をあなたの足台とするまでは、わたし(神の御座)の右の座に着いていなさい。」と仰せられました。
主権は神の子羊イエスに渡されました。イエス・キリストは、父なる神に主権を与えられて、相続者となられたのです。
天使長ルシファー(現悪魔)が求めた主権は、神のひとり子の手に渡されました。悪魔は、神のひとり子に勝てませんでした。闇は光に打ち勝たなかったのです。光(神の御子イエス・キリスト)は闇(世)の中に輝いています。
イエスは、神のひとり子です。しかし、肉体を持つ人の子となられ、いよいよ悪魔から侮られる弱い者となられたのです。
弱い者、天使よりも低い者となられた人の子イエスは、神への従順により、悪魔に勝利を取られたのです。
神は、勝利を取った神の子羊イエスについて仰せられました。
「わたし(神)は彼(神の子羊イエス)の父となり、彼はわたしの子となる。」(へブル1:5)
神のひとり子は、人の子となって、新しく神の子となられました。もはや、御使いのだれも、神のひとり子が神の子ではなく、御使いのひとりであるとは思いません。
神の子羊イエスは、神の子です。初めからそうでしたが、悪魔と悪霊どもの口を封じるために、神は、人の子としてイスラエルに遣わされたイエス(神のひとり子)を、死から生まれさせた霊の子、すなわち永遠に生きる神の子どもとされたのです。
もはや、だれも、イエスを御使いのひとりとは言いません。言えないのです。なぜならば、イエスは神が生んだ神の子どもであると、神が明らかにされたからです。
「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。
また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者(初めからおられる全知全能の生ける神)の右の座に着かれました。
御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名(救世主なる主キリスト)を相続されたように、それだけ御使いよりもまさる者とされました。」(へブル1:3,4)
死から甦り、復活のからだを得た神の子羊イエスを神の子どもとされた神は、神の御子イエス・キリストを信じキリストの生かす御霊を受けて、神の子羊イエスに続いて死から甦る信仰の子どもたちを、神の子どもとされるのです。
神は、キリストを長子とされました。そして、新しく生まれる神の子どもたちを、キリストとともに神の御国を受け継ぐ共同相続人としてくださいます。
神は、この共同相続人である神の子どもたちのために、住まいを用意しておられます。
「だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできません。その土台とはイエス・キリストです。
もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、気、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれらを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価を試すからです。
もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。」(コリント第一3:11-15)
神は、一人ひとりの行ないに応じて報いをお与えになります。
神に召された働きを全うする者、神に従順なゆえに神に選ばれる者、神に忠実な者たちには、おのおの、金の住まい、銀の住まい、宝石の住まいが用意されます。
神に忠実でありながら伝統やしきたりを重んじて律法の下にいる者、あまり忠実でなかったけれども最後に神に立ち返って命拾いする者、千年王国で都のいのちの木の実を食べる者たちには、おのおの、木の住まい、草の住まい、わらの住まいが用意されます。しかし、火の試み(迫害)によって、木や草やわらは焼けてその人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして、永遠のいのちを受けます。
「大きな家(神の家)には、金や銀の器だけでなく、木や土の器もあります。また、ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用います。
ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら(主の御名を呼ぶ者は、だれでも不義を離れよ)、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主(神)にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」(テモテ第二2:20,21)
きよめによって、材質が違うようです。器(御霊の器)の材質が、その人の住まいの材質となるようです。
パウロはテモテに言います。現在の私たちにも、語りかけています。
「あなたは、若い時の情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。
愚かで、無知な思弁を避けなさい。それが争いのもとであることは、あなたが知っているとおりです。
主のしもべが争ってはいけません。むしろ、すべての人に優しくし、よく教え、よく忍び、反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。もしかすると、神は彼らに悔い改めの心を与えて真理を悟らせてくださるでしょう。
それで悪魔に捕らえられて思うままにされている人々でも、目覚めてそのわなを逃れることもあるでしょう。」(テモテ第二2:22-26)
神は、一人ひとりに住まいを用意しておられます。
その住まいの材料は、一人ひとりの信仰のあり方によって、神が決められるようです。
その住まいの材質が火で焼かれて燃えてしまう物であっても、その人のいのちは守られます。
御霊に教えられ、御霊に聞き従って、御霊に造り変えられるならば、きよめられた器、神にとって有益な器、良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者、すべてのことに満ち足りて良いわざにあふれる者としてくださいます。
「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ない(父とともにおられたイエス・キリストの生かす御霊)をもあらかじめ備えてくださったのです。」(エペソ2:10)
「神は、ただ御心のままに、私たちをイエス・キリストによって御自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。」(エペソ1:5)
召された者(イエス・キリストの御名によって御救いに選ばれた者)は召しにふさわしく歩みましょう。神は、私たち一人ひとりに住まいを用意してくださるからです。