ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

キリスト者のゴール

 

 信仰の歩みにはゴールがあります。他の宗教はわかりませんが、イエス・キリストを地上に遣わされた聖書の神は、辿り着く場所を用意しておられます。それは精神的世界ではありません。からだごと入る実在する場所です。

 

 地上のからだは、肉体のからだです。地の塵から取られたからだです。天上のからだは、霊のからだです。肉体のからだを脱いで、新しい霊のからだで神の国に入るのです。

 

 神の国は、悪魔のいない世界です。悪魔と共存する世界ではありません。争いも憎しみも妬みもない世界です。皆が一つ心です。

 

 地上の教会では、多くの人々が各々の価値観を持っており、意見が合いません。同じキリストを信じているのに、キリストの捉え方に相違があります。教会は、色々な意見を持つ国民が集まる一つの国のようです。

 

 地上ではキリストを見た人はいません。各々が自分のキリストを持っています。そして、自分に映し出された主を慕います。主を否定することはできません。どれもその人にとって主なのです。

 

 しかし、キリストがイスラエルの王として地上に来られると、その時、はっきりと自分の目でキリストを見るのです。もう誰も何も尋ねません。キリストから直接みことばを受け、キリストを知る者となるからです。

 

 自分自身の信仰からキリストご自身を仰ぐ信仰に変えられます。人の幸せに比重のあった信仰から、キリスト中心の信仰に変えられます。御座におられる子羊イエスと父なる神を崇める者に変えられるのです。

 

 千年王国は、キリスト者の洗いと整えの期間でもあります。もう何の疑問もありません。はっきりと真理を見るのです。すべてのユダヤ人は甦り、その国を見ます。ある者達は義とされるために、ある者達は不義に定められるために、墓から甦ります。アブラハム、イサク、ヤコブの子孫は、先祖の神を自分の目で見て、神の契約が確かであったことを悟るのです。

 

 神に背いたユダヤ人達も甦って、神の約束の成就を目撃します。イスラエルの王(キリスト)の世界を味わうのです。彼らは、神の契約は実現しないと神を侮った事やイエスをメシアではないと迫害した責任が問われます。イスラエルの王の平和な世界を自分自身で味わった彼らは、自分達の過ちの言い逃れは出来ません。すべての者は、イエスがキリストであり、メシアであることを悟るのです。

 

 千年王国はキリストが治められる世であって、神の国ではありません。千年王国の時代に生れる肉体の人々もいます。千年王国は、復活したからだの人々と肉体の人々が混在している世界です。肉体の人々の中からキリストを主とする者達が集められます。キリストが再臨された時に生き残っていたユダヤ人すべてと、千年王国で悔い改めてイスラエルの王の都に入りいのちの木の実を食べる者達は神の国に入る者として新しく生まれるのです。

 

 キリストはユダヤ人の目の涙を拭い、死も悲しみも叫びも苦しみも取り去ってくださいます。世は新しくなりました。武器はありません。平和が訪れました。嘆きは過ぎ去り、喜びと楽しみと感謝に満ちます。キリスト者はこの世界を味わいます。この地上で味わうのです。

 

 どの宗教の教祖が、地上の全地を治めて、不信者達の間で信者達を高く上げ、信者達に誉れを与える約束をしているのでしょうか。どの神が地上に住まわれ、平和な世を造ることを約束しているのでしょうか。

 

 イエスは約束しておられます。十字架で流された血潮で罪を赦すこと、キリストが死から甦ったように信じる者に復活のからだを与え永遠に生きる者とすること、再び地上に来られて、神の民(ユダヤ人とクリスチャン)を集めて平和な世を実現すること。これによって、他の神々を信じる者達にも、イエス・キリストが真のメシアであり永遠に生きておられる神の御子であることを証されるのです。

 

 キリストを信じる者は空しいものを信じているのではありません。今の世ではキリストを見ることが出来ないと嘆く人々も、キリストをはっきりと見る時が来るのです。キリストの語る神の国はまやかしではありません。その時には、キリストのことばが真実であることを知るのです。彼らは地上にあって神の国を味わうのです。

 

 神の国は霊のからだの神の子らの国です。肉体の人は一人もいません。新しい天と新しい地です。この世のキリストの王国ではありません。霊のからだの神の子らは、病も無く、死も無く、老いることもありません。御使いのようです。

 

 神の国には、偽りも不品行も偶像もありません。真理と真実だけが存在します。侮りや蔑みや憎しみや不義に心傷め苦しむことはありません。責められることも悔いることもありません。キリストの血の恵みを受けた者達の国です。神に罪を赦され、罪が認められない義人達の国です。生きるための苦しみは微塵もありません。生きる喜びを高らかに歌うのです。すべてのものは、神の愛によってひとつなのです。

 

 一人一人が神の愛によって結び合わされ、ひとりの人のようです。クリスチャンはこの天上の神の国に向かっています。今は不完全でも、その時には完全なものとされているのです。