ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

大患難の後に訪れる平和

 

 永遠の昔からある神の計画です。

 神の平和が訪れます。

 

 神は、地球と地球に住む人々を目覚めさせ、汚れを取り除かれます。欲望のままに好き勝手に生きて来た人間の生き方にはとどめが刺されます。

 

 長い間、正しい人々が心を痛めてきました。また、彼らは、悪者が大手を振って歩き正しい者が世界の片隅で怯えながら生きる世界はおかしいと思い、正しい測りで測られる世、まことが通る世を望み、世界の平和を求めて来ました。

 

 しかし、世は悪くなる一方でした。悪者が権威を持ち、支配します。祈っているのに何故?この世には神も仏もないと嘆く始末です。神に信頼している者でも、悪い世にあって信仰がぐらつき、いい目にあっている悪者たちに手なづけられる者たちも出て来ます。

 

 彼らの霊の目が閉じているからです。この世の栄えが真実で、死後のことを空虚に感じるのです。彼らの望みは自分の身の安全と平安です。神のために苦しむことは望みません。義のために苦しめられることはもってのほかです。自分の安全が第一です。

 

 死後のことをとやかく思うのは、この世の敗北者のやることだと思わされます。この世で誉れをつかみ中傷を受けない人生、正々堂々と自分自身を生きる人生、自分の喜ぶことや楽しむことに価値を見出す人生が、この世の勝者だと思います。

 

 神は何度も警告を与えた後で、黙視されます。人間の自由意志にまかされるのです。世に悪者が横行することも黙って見ておられます。神が黙っておられると、人々は止めを知りません。世は暴虐で満ちます。人間の本性が露わになります。神を怖れる者はいないのです。

 

 人間の求めている自由が、自らの破滅を招いていることに気づいてはいません。気づいた人々の警告の声は、世にかき消されて、世の人々の笑いものとされ、蔑みとなります。人々は、自分たちが滑りやすい地に立ち、滅びに向かっていることに気づいていません。

 

 人間が誇った科学の末は兵器であり、人類をいかに効率よく殺し、削減するかに集約されます。人類の幸福のためと思っていた科学は、人を神から遠く引き離し、魂の永遠の滅び、火の池へと導きます。

 

 神から離れることが、死であり、永遠の滅びであることを知りません。神なしでも永遠に生きる装置を作ることが出来ると考えます。宇宙が神のものであることを知りません。火星も星々も人間が支配できると考えます。

 

 ひとつの話し言葉で心を一つにして神に逆らい、バベルの塔を建て始めた人類に、多言語を与えて言葉を通じないようにし、人類を四方に散らされた神。人間は神のように賢いと考え、科学の力で利便性をはかった人類。人々は言語の壁を越え、自由にコミュニケーションをはかる機能を作り出しました。反キリストの統治下では、右の手か額に埋め込まれたチップによって、自動翻訳機能で国や民族や言語の壁はなくなり、ニムロデの時代のように一つの話し言葉のような状況になるのでしょう。

 

 創世記11:6で、主は言っておられます。

 「彼らが皆、一つの民、一つの話し言葉で、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、留められることはない。」

 

 世界は神に背を向ける人々が一つ心となります。神は知っておられました。ニムロデの始めた反逆のわざが長い歴史を通して完成することを。

 

 また、そのあとで、神に反逆する世で苦しむ神を畏れる正しい人々を集めて、神の世を完成することも計画しておられました。

 

 世の終わりの患難は神が定めておられるものです。たといアブラハムとモーセとエリヤとヨブが祈り、「その杯を世から取り除けてください」と執り成したとしても、変えられることはありません。

 

 イエスがオリーブ山で、十字架にかかる前に父に祈りました。

 「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取り除けてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたの御心のままを、なさってください。」

 

 父の御心は、イエスが十字架にかかることでした。贖いの神の子羊の血が必要だったのです。

 

 父なる神は、御心のままになさいます。神は世を裁き、世から神を畏れる正しい人々を救い出されるのです。

 

 患難時代は、悪魔と獣と悪魔の民が勝利を味わう時です。神が許された悪魔の時です。しかし、その期間は七年間と定められています。

 

 神は、その後、悪魔と悪魔の民を滅ぼし、世を一新させられます。破壊された地球を回復するのに、何年かかると言うのでしょう。気が遠くなります。望みはまだまだ先と、人には思われます。

 

 しかし、神に不可能はありません。生き残った人々は驚きます。ニムロデが率いる悪魔の民が何世紀もかけて完成させた悪魔の世界が、キリストと天の軍勢によって滅ぼされたかと思ったら、世界の地形も環境も人手によらずに整えられて、キリストを地上に迎える用意がされるのです。

 

 栄光の主が、天から来られます。人々は主の栄光を見ます。死んでいたユダヤ人は皆、死者の中から甦ります。墓に入っていたキリスト者も皆、復活のからだで甦るのです。

 

 生き残ったユダヤ人の目の涙をキリストがぬぐわれます。イエスは、イスラエルの王です。世界を統べ治める王の王です。神の民が、イスラエルの王とともに、世界を治めます。

 

 武器は農具に打ち直され、人々は田畑を耕し、実りの豊かさを味わい、神の恵みの中で楽しみと喜びをもって生きることを楽しみます。すぐ前の患難時代には、人々は、飢餓と恐怖で死を望んでいました。しかし、キリストの来られた世界では、人々は生きることを楽しむのです。世界に平和が訪れました。

 

 患難時代のすぐ先には、全き平和の世界が用意されているのです。