ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

大患難期の刈り取り

 

 竜(悪魔)から権威を与えられた子羊のような二本の角のある獣(偽預言者)が、十本の角と七つの頭の獣(反キリスト)の像を造らせます。悪魔と反キリストを、世の神、世の王とするためです。

 

 竜と、十本の角と七つの頭の獣と、子羊のような二本の角のある獣とは、一つの心を持っています。彼らは、御父(創造主)と御子(イエス・キリスト)を否認する者、神に敵対する悪魔です。

 

 神が、御父、御子イエス・キリスト、聖霊の三位一体であるように、悪魔も神に対抗して、竜(サタン)、十本の角と七つの頭の獣(反キリスト)、子羊のような二本の角のある獣(偽預言者)の三獣一心同体の体制です。

 

 世は、とうとう悪魔の国一国となりました。悪魔は、すべての民を統制するために、IDマーク(獣の刻印)を人々の体内に埋め込みます。彼らの思考をコントロールするためです。しかし、そのためには、人の同意が必要です。世から、神(御父と御子キリスト)への思いを排除しなければなりません。

 

 神の真理にパン種を入れてはならないと言うように、悪魔も光を憎み、民から光を完全に取り除きます。光を持つ者を悪魔の国に入れることは出来ません。そこに、神の御手があるからです。光を全部消し去ります。

 

 IDマークを持たない者たちを集め、拷問にかけて、悪魔の民と、神の民を選別します。この状況をケン・ピータース師が夢の中で見たのでしょう。理性的な取り調べから始まって、マインドコントロールによる取り調べ、拷問へと段階が進んでいきます。取り調べで信仰を捨てる者もいれば、拷問で信仰を捨てる者もいます。

 

 「命のあるうちに信仰を捨てろ。」「信仰を捨てれば、生きていられる。」この言葉が、どの段階でも投げ掛けられます。彼らにとっての救いは、信仰を捨てて、獣の刻印(IDマーク)を受けることです。マインドコントロールによる取り調べの中で、彼らの思考機能が麻痺し正常な判断が出来なくなります。本当に多くの人々が信仰を捨てます。自分自身の口で、信仰を捨てることを告白するのです。

 

 患難期の大リバイバルの中で、イエス・キリストによる救いを知り、イエスが主であると告白した口で、御子イエスを否認します。罪を告白し、イエスを受け入れた心からイエスを締め出し、信仰を捨てます。

 

 イエス・キリストの御名による救いの希望も、獣の名による救いの希望も、患難期に起こります。この時期に選別されます。

 

 偽預言者が造らせた反キリストの像を、ユダヤ教徒に拝ませます。世の初めから『いのちの書』に名のない者たちは、反キリストの像を拝みます。反キリストの像を拝まないユダヤ人たちは、次々と殺されます。彼らの造った神の神殿(第三神殿)に、イスラエルの王、メシアを迎えるはずでした。彼らは、騙されていたのです。

 

 反キリストが神殿に立つと、ユダヤ人は反キリストに騙されていたことに気づきます。彼らは、神への信仰を保って、反キリストと偽預言者に抵抗します。反キリストと偽預言者は、像を拝まない者を皆、殺害します。

 

 黙示録14:9-12で、第三の御使いが、大声で言っています。

 「もし、誰でも、獣とその像を拝み、自分の額か手かに刻印を受けるなら、そのような者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りの葡萄酒を飲む。また、聖なる御使いたちと子羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。

 そして、彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。獣とその像とを拝む者、また誰でも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得ない。

 神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける聖徒たちの忍耐はここにある。」

 

 またヨハネは、天からこう言っている声を聞きました。

 「書き記せ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われた。「然り。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」(黙示録14:13)

 

 獣の刻印(IDマーク)を受けていない者は、ピータース師が夢で見たような首を斬られる死に方でなくても、IDマークが無いと買ったり売ったりという社会取引が出来ないので、やがて餓死します。

 

 神の戒め(神以外を拝んではならない)を守るユダヤ人と、イエス・キリストに対する信仰を持ち続ける聖徒たちは、皆死にます。彼らの死は、神に尊ばれ、彼らの魂は、神のもとに帰ります。永遠のいのちを受けるのです。

 

 黙示録14:15「かまを入れて刈り取ってください。地の穀物は実ったので、取り入れる時が来ましたから。」

 この時、獣の刻印を拒み、イエス・キリストに対する信仰を持ち続けた魂が、地上から刈り取られます。これは、殉教ではありません。彼らは、信仰によって自分のいのちを得たのです。

 

 黙示録14:18「その鋭いかまを入れ、地の葡萄の房を刈り集めよ。葡萄はすでに熟しているのだから。」

 この時、神の戒めを守り、反キリストの像を拝まなかったユダヤ人の魂が、地上から刈り取られます。これは、殉教ではありません。彼らは、神の戒めを守ることによって自分のいのちを得たのです。

 

 エゼキエル書14:14、16にこう書いてあることが起こっているのです。

 「たとい、そこに、ノアとダニエルとヨブの、これら三人の者がいても、彼らは自分たちの義によって自分たちのいのちを救い出すだけだ。―神である主の御告げ―

 たとい、その地にこれら三人の者がいても、―わたしは生きている。神である主の御告げ―彼らは決して自分の息子も娘も救い出すことができない。ただ彼ら自身だけが救い出され、その地は荒れ果てる。」

 

 大患難期に、神の戒めを守るユダヤ人とイエス・キリストに対する信仰を持ち続ける聖徒たちが刈り取られるのです。彼らは、信仰の勝利者たちです。御霊の教会に属する者、永遠のいのちを受ける者たちです。彼らは、いのちの冠を受けます。

 

 大患難期の刈り取りが完了して、地から、光の子らがすべていなくなりました。