「この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:12,13)
神は、イエス・キリストを「私の主。私の神。」と告白した人々、すなわち、ナザレのイエスを神が遣わされた救い主キリストであると信じた人々、また、イエスを神の御子キリストであると信じた人々に、神の子どもとされる特権をお与えになります。
神は、最後の裁きをされる裁き主であられます。ノアの時代、洪水によって世界を滅ぼし人類を死に絶やされた、裁きの神です。天地万物を滅ぼす権威をお持ちの、すべてのものの上に立たれる、主権者であられる神です。
神は絶対的主権者であられ、このお方にだれも逆らうことはできません。世界を支配する悪魔も例外ではありません。今は、神の許しの下で悪魔は働いています。しかし、キリストが再び来られて世界を治められると、悪魔は縛られ自由を失います。
この偉大な神、いと高きお方が、イエス・キリストを信じてキリストに仕えることを選択した人々に、神の子どもとされる特権をお与えになると仰せられるではありませんか。
神の御心一つで、水で滅ぼすことのできる人間を、永遠に生きる神のひとり子イエス・キリストとともに天の御国を相続する神の子どもとすると、神の方から、罪の中で死んでいく人々に手を差し伸べておられるのです。
罪とは、神に犯した罪です。神を神とせず、神に敵対する悪魔に従う闇を持つ罪です。闇は、聖なる光を汚します。悪魔の罪です。人は生まれながらにして、悪魔の罪を犯す罪人です。
神は、悪魔を裁くとき、人をも裁くことを望んではおられません。人は、神のひとり子のために、神に似た者として造られた被造物です。神の御子と一つ心の良いものとして造られました。神のひとり子は、神のことばとして人と交わっていました。神のことばと人は一つでした。
神の御子と一つのものであった人を、悪魔が神のことばから引き離したのです。神のことばから外れた人は、神のいのちを失い、悪魔の死を受ける者となってしまいました。
悪魔は、神のひとり子のために造られた人を自分と同じ罪の中に入れることで、自分の裁きは止められると考えたのかも知れません。悪魔を裁くことは、悪魔の罪をともに担う人をも裁くことです。神にえこひいきはないからです。
しかし、神は御子によって悪魔の策略を滅ぼすことを計画されました。神のひとり子によって悪魔の支配を打ち砕き、悪魔の手から人を救い出すことを決められたのです。
神は神のひとり子を地に遣わすために、神の御子を迎える祭司の国イスラエルと祭司の国民ユダヤ民族を造られました。
神は、神の選びの民ユダヤ人の中に、神のひとり子を遣わされました。神は、ユダヤ人の女の胎に神のひとり子のための肉体を造られました。大祭司アロンの系図とダビデの系図を併せ持つ処女マリアから生まれたイエスです。
イエスは、イスラエルに遣わすと約束されていた救い主、神が遣わされた神の御子キリストでした。
神の祭司の国民ユダヤ人たちは、神がイスラエルに遣わされた神の子羊イエスを屠り、十字架につけました。
「木に掛けられた者は呪われた者である。」と聖書にあります。神の御子イエスは、イスラエルの罪の身代わりとなり、生贄の子羊として屠られました。
神の子羊イエスの血は、罪を赦す贖いの血です。まことの神に仕えるイスラエルの罪は贖われました。初穂がきよければ、粉全体がきよいとされます。イエスは、イスラエルの初穂となられました。初穂であるイエスがきよいので、イスラエルはきよいとされます。人類の初穂であるイスラエルがきよければ、人類もきよいとされるのです。
神に罪赦されきよいと宣言されるイエスの血は、罪の悪魔を踏み砕きました。悪魔のもたらした罪も死も、御子イエスの血の力に敵いません。悪魔の敗北です。
イエスの血は、悪魔の支配を破り、人々を死から救い出します。それは、神の民イスラエルから始まりました。
全人類は、神の被造物です。人類にとって神は創造主であり、魂の所有者なのです。神の所有された魂を、悪魔が汚し、聖なる神から引き離しました。しかし、神は、神のひとり子の十字架のわざによって、悪魔に汚された魂を取り戻されたのです。十字架で流されたイエス・キリストの血は、すべての罪をきよめます。神は、キリストの血をご覧なって、罪は赦されたと宣言されるからです。
キリストの血は、罪を贖う血です。イエス・キリストを「我が主」として受け入れる者の罪は赦され、神に義とされます。
神が「救い主」として遣わされたイエス・キリストを信じる者は、イエス・キリストを遣わしてくださった神を信じる者です。イエス・キリストを信じ、神を信じる者を、神は義とされます。神は、彼らを、死者の中から甦った者の初穂であるキリスト・イエスにつくイスラエルとされます。罪も死もないイスラエルです。
イスラエルは神の民です。神が、世のものと区別して、御自身の民として造られた選びの民です。神に義とされた者は、この神の選びの民のうちに加えられます。
神は人類を造られた神であって、イスラエルの神です。世の人々は、神でないものを神として崇めています。悪魔の偽りに騙されているのです。しかし、イスラエルはまことの神を知り、生けるいのちの神に仕える民です。
イスラエルは、イスラエルの神のひとり子を遣わされ、神の御子イエスによって、悪魔の罠から救い出された神の民です。神の御子イエスにつく者は、生けるいのちの神に繋がる者です。悪魔の支配下にいない神の民イスラエルです。
神は神の御子イエス・キリストと聖霊によって、新しいイスラエルを創造されます。それは、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫ユダヤ民族の血によるのではありません。生老病死の悩みの解決を求め、幸福でいたい、老いて朽ちたくない、健康でありたい、死にたくない、死なないでずっと幸せに生きていたいという、肉の欲求から生まれた宗教によるのでもありません。救いのために良い行ないを求め、熱心に追及した人の意欲によるのでもありません。
ただ、人を創造されたまことの生ける神によって新しく生まれたイスラエル、神の聖霊、キリストの御霊によって創造された新しいイスラエルです。
神の子羊イエス・キリストの血によって罪赦された人は、神の子どもとされる特権を与えられた者です。
神の子どもとされる特権を受けた者のうち、御霊によって新しく生まれた者は、神の子どもとされるために新しい創造を受けます。
人は、神が用意された神の子羊イエスの贖いの血によって罪が赦され、神の国に入る希望を与えられます。
罪が赦された人は、キリストの御霊を受けて、新しく神の子どもに造り変えられます。御霊によって新しい創造を受けた神の子どもたちは、再臨されるキリストのもとに集められて、神の約束どおり、神の国に入るのです。