ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

求めなさい そうすれば与えられます

 

 聖書の神は、天地万物を造られた創造主です。そして、目に見えるものすべて、また、目に見えないものも存在するすべてのものは、創造主によって造られたのです。創造主によらないで存在するものは、何一つとしてありません。

 

 創造主は全能なる神であり、唯一まことの神です。創造主は公正な方であり、一つの測りによってはかられます。イスラエルは神の民として造られました。しかし、イスラエルだけの神ではありません。他の民族、国々もまた、ひとりの創造主によって造られています。神はひとりです。

 

 国々には、それぞれの神があり、その神々の名によって祈ります。しかし、人を造られた神は、おひとりだけです。そして、被造物の声を聞くお方です。すべての人の悲しみも苦しみも嘆きも叫びもご存じです。

 

 すべてのいのちは、創造主から出ているのです。いのちは神のものです。それぞれのいのちの痛みを神は感じ取っておられます。一人ひとりのいのちの歴史を刻銘に記録しておられます。人は誰一人、神から離れてあるものではありません。神から与えられたいのちを生きているのです。

 

 宗教によって教えが異なりますが、人を造った神の教えは生きとし生ける者に及びます。聖書の教えは、永遠に変わらない真理なのです。神から出たものであり、地においても天においても、変わらぬ普遍的真理です。

 

 聖書を持たない民にも、この真理は及んでいます。祈りのあるところに耳を傾け、感謝のあるところに神の目が注がれ、叫びのあるところに神の憐れみが向けられ、喜びのあるところに天が開かれます。このことは、どの民族にもどの国であってもどの国語であっても同様です。

 

 聖書が真理です。「求めなさい。そうすれば与えられます。」これは、すべての人類に当てはまります。聖書の民、ユダヤ人やクリスチャンだけではありません。すべての国々、すべての民族に当てはまります。

 

 たとい、聖書を知らなくても、また、イエス・キリストを信じていない人々にも当てはまります。真理だからです。真理は、すべてを覆います。人は、真理(神のことば)によって生かされているので、生きている人に、真理が適用されます。

 

 真理は、御心に適う願いを聞き入れられます。たとい、異教徒であっても、その通りです。求める者は受けるのです。

 

 悪魔が支配するこの世が終わると、御子キリストの地上王国が世界を治める代となります。この代には、天国を信じた人々、極楽浄土を求めた人々、いのちを大切にした人々、愛ある人々、憐れみのある人々、正しく生きた人々など、キリスト教徒に属していなかった異教徒たちも集められるのではないのかと思います。

 

 彼らは、千年王国で、待ち望んでいた極楽浄土や天国を体験するのではないでしょうか。彼らは、求めていたのです。創造主は、求めていた者に、それを与えられます。

 

 千年王国の新しい代になって初めて、極楽浄土を司るお方が仏ではないこと、阿弥陀如来は、天から来られた神の子羊イエス、十字架にかかられたイエス・キリストであったことを知るのです。また、救世主と呼ばれる方は、人の罪の贖いの血を流し、十字架で死なれ、三日目に墓から甦られて、死から復活されたキリスト・イエスである、と言う福音を悟るのです。

 

 正しいことを求め、目に見えないものを畏れて、正しく生きようとしていた彼らに、キリストの婚礼の礼服が用意されます。キリストの主権にへりくだり、キリストとキリストにある者たちを祝福する者は、キリストの贖いの血を受けて、キリストの民に加えられ、神が用意された婚礼の礼服を着て神の都に入り、いのちの木の実を食べます。

 

 神は彼らの願いを覚えておられました。彼らの求めを聞き、与えられるのです。しかし、求めていたすべての人が受け取るわけではありません。自分の信じてきたものに固執して、キリストの血を受け取らない人々もいます。自分が信じていたものが正しいとする者です。彼らは、永遠のいのちがわかりません。エデンの園のような平和な千年王国を味わうだけで、彼らの思いが達成されたのです。

 

 クリスチャンたちはキリストを信じなければ天国に入ることができないと言っていたけれど、キリストを信じていなかった自分もクリスチャンと同じ光の世界を味わっている。やっぱり、自分の信じて来たものは正しかった。救いはキリストだけではない、と思うのです。

 

 多くの人は、集められた千年王国が死後の天国だと思うのかも知れません。キリストの地上王国が永遠に続くと思い、ゴールにたどり着いたと思うのかも知れません。千年間の時があります。ゆっくり考えてから決断すればよいと思うのかも知れません。争いのない世界です。心休めて、まずはこの平和な世界に浸りましょう、とゆったり構えているうちに、都に入っていのちの木の実を食べる機会を逸するのかも知れません。

 

 求めれば、誰でも地上王国に招き入れられるのではないかと思います。しかし、婚礼の礼服を着るのは早い方が良いでしょう。キリストがメシアであることを認めて、他のものを信じていたことを悔い改め、心を一新して、千年王国に招き入れてくださったイエスに謁見し感謝するのが良いでしょう。

 

 求めなさい。そうすれば与えられます。天国を求めるならば、永遠のいのちを求めましょう。そうすれば、いのちの木の実へと導かれます。いのちの木の実を食べる者は、裁きが過ぎ越され、地上の王国から天上の神の国に引き上げられ、キリストに似た者とされるのです。