ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

創造第七日目

 

 今は、神の創造第七日目です。天地万物が造られ、最後に人が造られました。それが第一日から第六日の間に成された創造です。

 

 第六日に、塵から人が造られました。人は、すべてのものの中で、神が息を吹き入れた特別な被造物です。神の息によって、生きる者となったのです。人のうちに神の息があり、人は神の御思いを知る被造物でした。

 

 第六日の創造を、非常に良かったと神は満足しておられます。

 

 神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられました。そして、なさっていたすべての創造のわざを休まれました。父は創造のわざを休まれました。

 

 第七日目に、最後に創造した人に原罪が宿りました。聖書は天と地の創造から書かれていますが、天地万物が造られる前から、悪魔が存在していました。天から落ちた堕天使です。神の光と悪魔の闇があり、闇に天地万物が造られたのです。

 

 原子も水も土も、何も存在していない闇に、神が天体を造り、水も現れたのです。この水の中から、神は地球を造られました。神は、水の間に大空を造り天にある水と天の下にある水に分け、天の下の水の中から乾いた陸地を造られたのです。

 

 人は、塵から造られました。神の霊を宿す者でありながら、肉のからだでした。闇は悪魔の住む領域です。悪魔は闇に罪を隠し、自分を正しいとする偽り者です。悪魔の悪と罪を明らかにしなければなりません。正す気持ちの無い事を明らかにしなければなりません。神に敵対している証拠が必要です。神は罪のない者を罪に定め、罰せられるお方ではありません。正義の主です。

 

 悪魔が罰せられることを望まない者もいます。邪悪な悪霊どもは、悪魔の言い分を申し立て、悪魔を裁く神を訴えます。また、ルシファーとともに天から堕ちた堕天使たちも、神に悪魔や悪霊どもとともに同じ苦しみを与えないように訴えます。

 

 悪魔は、塵で造られた人をそそのかし罪を犯させ、その上、御自身が造られた人を罪に定める神に不信感を抱かせました。神の御子の愛の対象であった人を、たった一度の人の過ちによって捨てる事は愛の神に相応しいことでしょうか。神は本当に愛でしょうか。神と等しく賢くなることが罪なのでしょうか。

 

 愛の神は、義の神でもあります。神の義に、不義はありません。神の義に背くものは、神のもとに留まることができないのです。悪魔は、愛が無いと訴えますが、愛が無いのは悪魔であり、背いた者です。

 

 神の義を立てるために、神は神のひとり子を肉なる者の地に遣わされました。神の義は、神の子羊イエスの血を要求されたのです。子羊イエスの血は、人の罪を贖い、人の罪を赦します。愛の神は、義を立てるために、御自身のひとり子を犠牲にされました。ここに、神の愛があるのです。罪に定める神に愛が無いと訴えた悪魔も、子羊イエスの血の力には敵わないのです。イエスの血は、愛そのものです。神が義であり、愛であることの証です。

 

 父が創造のわざを休まれた第七日目に、御子と聖霊が新しい創造のわざをされました。父は、神の子羊イエスの救いを信じる者、イエス・キリストと愛と信仰で結ばれる者を義とされます。

 

 神の子羊イエスの血によって、父は人の罪を赦して、御子イエスを信じる者を罪人ではなく、罪赦された義人に数えられるのです。

 

 悪魔は、神に逆らい、天から追放されて天から落ちました。蛇の語った悪魔の言葉を食べてエデンの園から追放された人を救うために、罪人の罪の身代わりとなって、神のひとり子イエスが死ぬことは悪魔の脅威です。義を伴う神の愛に驚きます。

 

 神は人を愛しておられます。第七日目に神の愛が、悪魔に勝利しました。創造の第一日が始まる前から存在していた、神に敵対する闇の支配者悪魔の不義と偽りが明らかになりました。

 

 悪魔は、闇に引き込んだ人に調子のよいことを言いますが、真実ではありません。ひっくり返ります。悪魔には、義が無く、愛がありません。信頼する者を騙し、利用します。悪魔は闇の者であることが、神の子羊イエスの出現によって、いよいよ明らかになりました。神が、イエスによって、悪魔の闇を暴かれます。

 

 天地万物が造られる前からあった闇(悪魔のわざ)が、真の光に照らされました。悪魔は偽りの光であることが明らかにされました。被造物は、闇に輝く偽りの光に騙されていたのです。真の光(御子イエス)が来た時、偽りの光の正体(悪魔の実態)が浮き彫りにされました。悪魔は光では無く、良いものでもありません。

 

 第七日目に、御子が贖いの血で罪人を義とし、義とされた罪人に聖霊が新しいいのちを与え、真の光(神の御国)に入る聖なる者として新しい創造をされるのです。

 

 イエスの十字架のわざによって、神の愛と義と聖が明らかにされると、悪魔の不義が明らかとなり、悪魔の裁きは実行されます。

 

 第七日目に、人の原罪と、悪魔を破るためにアブラハムが選ばれ、神の民イスラエル民族が造られました。ダビデをイスラエルの王として立てて、ダビデの子(キリスト)に永遠に堅く立つ国を与え、彼が主権を持つことを約束されました。

 

 世の終わりに、悪魔が世を支配し、神と戦うためにメギド山(ハルマゲドン)に世界の王たちを集めます。「神のことば」と呼ばれる復活のキリストと天にある軍勢によって、悪魔の民は滅ぼされます。

 

 キリストがイスラエルの王となって、地上に、悪魔のいない平和な神の世が千年の間続きます。

 

 その後、神のひとり子である神の子羊イエスが主権者となり、また、聖霊が新しく創造したイエス・キリストの民が神の子となって、神の御国を神の子羊キリストとともに相続するのです。

 

 神は今も働いておられます。神は、神に忠実な神の子羊イエスと、神の御霊の新しい創造のわざを見て、満足し安息されます。

 

 神の御子(神の子羊イエス)は、十字架のわざによって、悪魔の力を打ち砕き、悪魔に勝利を取られました。神のことば(神のひとり子)によって創造された世は、神のことば(御子イエス)の勝利によって完成するのです。新しく創造された神の子らを世から救い出して、世も悪魔も闇とともに滅ぼされます。

 

 第七日目に、悪魔は滅ぼされて闇は無くなり、新しく創造された神の子らが神の御国に入って、父の安息が永遠に続くのです。神の創造は、悪魔が存在していなかった世界を取り戻すためでした。

 

 神の創造は第七日を完成し、悪魔も世も現象も時間も無くなり、真の光は神の愛と義と聖に輝き、永遠に安息するのです。