ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神のひとり子と聖霊による創造

 

 「神である主は、土地の塵で人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」(創世記2:7)

 また、神は創造の第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられ、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。(創世記2:2)とあります。

 

 人は、イエスの父なる神に造られ、息を吹き込まれて生きものとなりました。御子なる神(肉体を持つ以前のイエス)は、父なる神とともにおられました。

 父なる神は、「われわれ(父なる神、子なる神、聖霊)に似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」と仰せられて、土地の塵から人を形造られたのでした。

 

 人は唯一、神と愛の交わりを持つ被造物として造られました。人は神のことばを聞き、神のことばに従い、神と会話をする生きものでした。

 しかし、土の塵から造られたものであり、神の子ではありません。全き霊なる存在ではなく、肉体の拘束の中にあって神とともにあるものでした。肉体を持つ人は、神が造られた現象(被造物)の中で、被造物を支配する者として造られました。

 肉体の人は、御使いのように自由に動き回ることができません。空間に限界があります。神の助けがなければ生きられません。

 

 人は、神のことばによって、神に治められます。神のことばを失ったら、正しい判断も正しい歩みもできず、目的地を見出すことのできない遭難者のようです。視界は遮られ、どっちに向かったらよいのかわかりません。自分の今居る場所すら理解できないのです。

 

 人は神のことばを受けていながら、興味本位で、神のことばに反する蛇(悪魔)の言葉を受け入れ試してみました。すると、悪魔の霊が人を捕らえ、人は、悪魔の捕虜となってしまいました。

 悪魔の言葉を受け入れ悪魔の支配下に入った人は、神との交信の機能をふさがれてしまいました。神との愛の交わりは、絶たれました。人は、愛を見失いました。神の愛の交わりを失った人は、不安と恐れ、恐怖と焦り、孤独と失望、魂は乾きます。

 

 神は、創造第六日目に人を造り、お造りになったすべてのものをご覧になり、非常に良いと満足されて、第七日目に創造のわざの完成を告げて、すべてのわざを休まれました。

 しかし、神が創造のわざを休まれたあとで、人は神の交わりと神のことばを見失うという大事件に見舞われたのでした。

 

 神は、女をそそのかし人を騙して罪に陥れた蛇に呪いを宣告されました。

 そして、蛇と女との間に敵意を置き、蛇(悪魔の子)の子孫と女(人の子)の子孫との間に敵意を置くことが宣告されました。

 そして、女から生まれる人の子(主キリスト)は、蛇の頭(悪魔)を踏み砕き、蛇(悪魔の子)は、人の子のかかと(ヤコブ、つまりイスラエル)に噛みつくことを宣告されました。

 

 蛇(悪魔の言葉)に捕らえられた肉体を持ち肉の性質で生きる人の子らを、女から生まれるイスラエルのひとりの子(神の御子イエス・キリスト)が、肉の呪いから救い出すことを宣告されました。

 悪魔を踏み砕く、女の子孫とは、神が御自分のために造られる民族イスラエルのうちに遣わす神のひとり子イエスのことを指していました。

 父なる神の創造をともにいてご覧になっておられた神の御子、神のことばとして働かれた神のひとり子が、肉体を持つ人の子イエスとしてイスラエルの女から生まれ、神のことばをもって、悪魔の支配を踏み砕きます。すると、悪魔は、主キリストを生んだイスラエルに噛みつき、イスラエルに苦しみと痛みを与えて、神が遣わされたキリストと一つにならないように働きます。

 

 創造の第七日目に、創造のわざを休まれた父なる神は、女(エバ)をそそのかし、人(アダム)を騙して、人を神の役に立たない的外れな者とした、神に敵対する悪魔の働きを、神のひとり子によって、踏み砕く御計画を持たれました。

 

 神は、御子のために、御子とともに、人を造られました。人は、御子イエスのために造られ、御子イエスとともにある者として造られました。人は、神のことばである御子とともにあったのです。御子イエスとともにあることは人のあるべき姿です。

 

 父なる神がイスラエルに遣わされた人の子(主キリスト)は、神のひとり子であり、神のことばでした。

 人を騙し闇の支配に落とした蛇の頭(悪魔)を踏み砕くために、地上に来られました。イエスは、悪魔の忌み嫌う「神のことば」をイスラエルに語り、悪魔の偽りを知らせました。

 また、神は、イスラエルのうちに神のことばに従う者(神が遣わされたダビデの子イエス・キリストに従う者)たちを起こされました。

 

 キリストの十字架は、悪魔の支配を破り、神のことばの真実を証する、神の愛の姿です。神が遣わされた人の子イエスは、十字架で流された贖いの血で、肉の呪いを破り、罪の力を砕いて、罪の赦しを宣言される神の義を公にされます。

 神が悪魔に勝利する人の子イエスの血によって、神のことばから外れた者の罪の赦しを宣言されます。

 

 イエスは、贖いの血を携えて死の国に入り、死に捕らえられていた魂を買い戻し、イエスの血を受ける者を死から解放されます。

 

 すべてのわざを成し終えたイエスを、聖霊が死から甦らせます。それは、肉体を持つイエスではなく、永遠に生きる霊のからだのキリスト(救い主)です。キリストは肉のからだではありません。永遠に生きる栄光のからだです。復活の主キリストが聖霊によって創造されたのです。

 

 主キリストは、「父の約束の聖霊を受けるように。」と弟子たちに命じて天に上られました。父が遣わされる聖霊は、主キリスト・イエスが世を去った後に、世に来られるもうひとりの助け主です。真理を知らせる真理の御霊です。

 父なる神に遣わされた人の子イエスは、父なる神のことばを受けて、父なる神に従い通されました。

 父なる神に遣わされた聖霊は、キリストのことばを受けて、キリストに従う者たちをキリストのことばで導かれます。それゆえ、聖霊は、「キリストの御霊」と呼ばれます。

 

 罪の呪いを負って、死に向かい闇をさまよう人が、十字架の主イエスを仰ぎ、キリストの贖いの血を信仰によって受けるならば、父なる神が、その人の罪を赦し、その人の信仰によって、その人を義とされます。

 神に義とされた人が、キリストの御霊を受けると、聖霊がその人を御霊によって新しく生まれさせます。新しく生まれた人は、多くの試練によって肉を殺し、御霊に従う者、御霊の信仰によって歩む者に造り変えられます。

 

 父なる神は、創造の第七日目に、創造のわざを休まれました。

 父なる神が土の塵で造り息を吹き入れられた人は、創造の第七日目に、神の御子イエス・キリストと聖霊(キリストの御霊)によって、霊の子とされる新しい創造のわざを施されます。

 

 新しく造られた新しい創造の人は、もはや肉の子ではありません。キリストの血で聖められ、キリストの御霊によって心に割礼を受けて思いが一新された、新しい創造です。新しい創造には、永遠のいのちがあります。新しい栄光のからだが用意されています。

 

 新しく創造される霊の人は、御使いではありません。神の子どもです。神のひとり子キリストと聖霊によって新しく創造される人の子は、父なる神の子どもであり、キリストの兄弟となって、天の御国を相続する者とされるのです。