ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

キリストはイエスただひとり

 

 悪魔が支配する世が始まろうとしています。神の計画通りにことは運ばれています。人類が誤った方向に向かっているからではなく、このように仕組まれていたのです。こうなることは、二千五百年ほど前のダニエル書にも預言されています。

 

 人間が望まなくても、神が神の預言者を通して語っておられた事の実現へと、世は流れているのです。聖書を信じる人々が解読を試みて来た預言の成就の時が近づいているのです。

 

 イエスも弟子たちに言っておられました。

 「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。」

 

 これが、再臨のキリストが治められる新しい世が始まる前、世の終わりの時の前兆です。目に見えるところでは、民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、戦争のことを聞きます。方々に飢饉と地震が起こります。これらは、避けられないのです。

 

 当たり前の日常が、実はとても有難い恵みだったと気づいた頃には、もう、キリストを名乗る者が大勢世に現れているのでしょう。世の移り替わりに思考が止まり、方向性を見失い、心が置き去りになって、袋小路に向かう人々もいるでしょう。

 

 これらの出来事の意味を知りたい。何故、立て続けに望まないことが起こるのか。答えを知りたい。人々は、救いを求めます。そんな状況で、声を上げるのが、自分は答えを与え、確かな道を示すことのできる、と救世主のように振舞う者たちです。彼らは自分の信じる宗教の教えを広めるのかも知れません。

 

 イエスは、「私こそキリストだ。」と言う者が現れると言っておられます。私のうちにいれば間違いがない、と言って勇気を与え、人々を幸せにするようなことや、神と等しくする誉れを与え、もっともらしいことを言うでしょう。その自称キリストの群れのうちにいることが安全であり、真理の道を行くことだと信じさせます。悪い事柄からの解放を教えながら、悪魔の餌食としていくのです。

 

 神の民イスラエルの中にも、クリスチャンの中にも、惑わされる者が現れるようです。しかも、多くの人が惑わされると言うのです。

 

 キリストの名を名乗る人のようです。イエス・キリストの生まれ変わりと称する人々が、世界中に現れるのでしょう。そして、彼について行く人も大勢いるのでしょう。

 

 ここで、はっきりさせておかなければなりません。肉体を持って来られたキリストは、ナザレのイエスただひとりであると言うことです。イエス・キリストの生まれ変わりは、誰もいません。

 

 イエス・キリストは、人の罪の贖いのために十字架で血を流し、墓に葬られ、三日目に墓から甦られた神の子羊イエスただひとりです。生まれ変わることはありません。イエスの十字架のわざは完了したのです。もう一度やり直すことはありません。

 

 再び来られるキリストは、墓から甦られた復活のからだのイエスです。もう、肉体はありません。キリストの霊を語る人が現れても騙されてはいけません。

 

 十字架で贖いを成し遂げられたキリスト・イエスは、神の子羊イエスの血による救いを信じて贖われ罪赦された人々に、キリストの御霊(聖霊)を与えておられます。神が遣わされた真理の御霊が、イエス・キリストを証し、真理へと導いてくださるのです。

 

 主の聖徒らのうちに、御霊が与えられています。信者の中に、神の霊がおられるのです。御霊に聞くならば、御霊が教えてくださいます。

 

 その人のうちに、御霊がおられるならば、神の国はもうその人のうちに来ているのです。救いを求めて、右往左往することはありません。

 

 「鼻で息をする人間を頼りにするな。そんなものに、何の値打ちがあろうか。」と聖書は言っています。

 

 「わが民よ。あなたの指導者は迷わす者、あなたの歩む道を搔き乱す。」とも言っています。

 

 アブラハムは、ノアから始まった人類の中で、選ばれた人です。多くの候補者がいたでしょうが、神に応答したのは、アブラハムだけでした。神の御子を遣わすために、信仰の父として選んだのが、アブラハムでした。多くの人々の中で選ばれたアブラハムと、キリストは異なります。

 

 キリストは、創世の初めから、神の御子ただひとりです。イエスは、多くの候補者の中から選ばれた人ではありません。初めから、キリストに定められていたのです。

 

 創世の初め、神は蛇に、蛇(悪魔)の頭を砕く女の子孫のことを語られました。これが、神の御子イエスです。神のひとり子を人の子として、女から生まれさせる計画を言っておられたのです。

 

 神がキリストとされるのは、神の子羊イエスただひとりです。人の罪を贖い、死から甦らせる唯一の「人の子」です。イエス・キリストの後にも先にも、神が天から遣わされたキリストは、神のひとり子ただひとりです。

 

 創世の初めから、それは定まっていました。

 

 「私こそキリストだ。」と言う者が現れても、惑わされてはなりません。戦争のことや、戦争の噂を聞くでしょうが、気をつけて、慌てないようにしなさい、と主は言われます。これらは必ず起こることだ、と言っておられます。

 

 キリストは、神のひとり子であり、天地万物が造られる前からおられる方です。処女から生まれ、神の都エルサレムで十字架につけられ、神の祭司の民ユダヤ人によって屠られた神の子羊イエスです。墓に葬られ、三日目に墓から甦り、天に上り、復活の新しいからだで神の右の座に着座しておられるキリスト・イエスです。

 

 キリストの霊は、別の肉体を必要とはされません。キリストには、復活のからだがあるのです。死に勝利したキリストに、肉体はありません。

 

 肉体をもって「私こそキリストだ。」と言う者は、神からの者ではありません。惑わされてはいけません。肉体がある者は、まだ死に勝利していない偽キリストです。彼について行く者は、死の穴に落ち込むのです。

 

 まことのキリストは、天から来て死に打ち勝ち、天に帰られたナザレのイエスただひとりです。まことのキリストは、罪を赦す贖いの血を与え人々を死から取り戻して魂を救う方、それで、救われた魂を永遠のいのちのからだに造り変えて、天上に引き上げてくださるのです。

 

 天から来られたキリスト・イエスは、魂を天に戻す唯一のまことのキリストなのです。