ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

私たちが帰る天の御国

 

 人はひとりの神によって造られました。永遠の昔からおられる全知全能の神です。無から有を生じさせる創造主です。創造主が造られた「人」の魂の父です。

 

 魂の父は、神から離れて当てもなく暗闇をさまよう望みのない魂たちに、帰る場所を用意しておられます。いのちの神は、ひとり子を世に遣わし、御子の血と死によって、魂の父のもとに帰る道を設けられました。

 

 霊の暗い闇の世でうめき苦しむ魂たちに、天の御国に導く光を与えられたのです。真理の御霊です。神は、神のみことばを足のともしびとして歩んでいたイスラエルに、真理の光を遣わされました。いのちの輝きです。神が遣わされた神の御子主キリストです。

 

 主キリストは、御自分の肉を裂き、暗闇が引き留める罪を砕かれました。そして、注ぎ出された御自分の血によって、罪人の罪を贖われたのです。神の子羊イエスの血で贖われた罪は、もはや罪に問われることがありません。

 

 神が用意された神の子羊イエスの血は、神の赦しに有効です。どんな罪をも赦されます。イエス・キリストは、すべての時代に生きた人々に、また、すべての民族、すべての国の国民に有効な贖いの子羊なのです。なぜならば、イエス・キリストは、神の御子であって、地上のものではないからです。天上のお方なのです。天上のものは永遠なのです。永遠に有効なキリストの血です。

 

 キリストは、御自分の血で罪人の罪を贖い、死から甦られた御力で天に上り、天から真理の御霊を注がれました。キリストの御思いを受けた真理の御霊は、キリストの血で罪が贖われた人のうちに住み、天の御国へと続くいのちの道に導かれます。魂の父のもとに帰らせてくださるのです。

 

 聖書では、魂の父のもとに帰る人のことを、「救われた人」と呼びます。死と滅びから救い出された人です。キリストの贖いのわざによって、最後の裁きを過ぎ越された人であり、神に祝福された人です。

 

 「救われた人」は、復活のからだを与えられて、御使いのようになります。男も女もなく、めとることも嫁ぐこともなく、聖なるものとされるのです。

 

 天の御国には、闇がありません。光なのです。太陽の光ではありません。神が造られた被造物の光ではありません。創造主の光です。神御自身の栄光の輝きです。暗い心も、闇の働きも、汚れも悪もありません。すべてが光であって、影もないのです。

 

 愛が満ち満ちていて、神に仕えるすべてのものは、神を賛美しているのです。御使いたちは、「救われた人々」の贖いを成し遂げられた神の御子キリストの栄光をたたえ、神を崇めています。

 

 天の御国は、地上の何ものにも例えることのできない、人が見たことも、聞いたことも、味わったことも、想像することもできない栄光の輝きです。人が神の栄光を見たと思うことがあるならば、それは、天の御国の栄光を小さな穴から垣間見たにすぎません。

 

 魂は、天の御国と調和し、神と一つとなるのです。愛と喜びと平安で満たされます。自分が満たされているとは思いません。魂は、キリストと一つであり、キリストのからだの一部分だからです。御使いのようであって、御使いではありません。キリストにあって、神の子どもとなるのです。

 

 「救われた人」たちは、御使いに仕えられる、神の子どもたちなのです。地上で罪人であった魂が、キリストの血で聖められ、キリストの御霊によって新しい人に造り変えられて、天上で神の御使いたちに仕えられる神の子どもとされるのです。

 

 神の御子キリストは、神の栄光を受けて、栄光の輝きで輝いておられます。「救われた人」たちは、キリストの栄光の輝きを受けて、永遠に輝いているのです。それは、地上で見た夜空の星の輝きにまさる、栄光の輝きなのです。

 

 天の御国は用意されています。天の御国は神の約束です。それは、神の御子キリストを信じる者に与えられた約束です。

 

 地上で、「主キリストを遣わす。」と、神がユダヤ人に様々な世代の多くの預言者を通して約束されました。神は、イエス・キリストによって、この約束をことごとく成就されました。

 多くの預言者たちによって語られていた神は、終わりの時代に、ひとりの預言者(イエス・キリスト)によって語られました。今は、イエス・キリストのことばが成就するのを見る時代です。神が御子イエス・キリストによって語られたことを、ことごとく成就されます。

 

 イエス・キリストのことばが成就するとき、「救われた人」は、神の真実の中で憩うのです。神が「救われた人」のために用意された天の御国で神の栄光を見るのです。

 

 「救われた人」たちは、白い亜麻の衣をいただき、いのちの冠を受け、キリストの治められる千年王国でキリストとともに世界を治める者となり、永遠に生きる者とされました。

 一方、神が世に遣わされた神のひとり子イエスを信じなかった者たちは、裸の状態です。裸の恥をさらしながら、都の外に締め出され、泣いて歯ぎしりをするのです。彼らには、聖とされる亜麻の衣はありません。復活のからだをいただくことはできません。

 復活のからだは、たとい神の契約を持つユダヤ人であっても、イエス・キリストを主としなければ与えられません。また、キリストを信じる異邦人であっても、キリスト・イエスの御霊を持たない者には復活のからだは与えられません。

 

 神は、「救われた人」に、復活のからだと永遠のいのちと天の御国を用意しておられます。それを得るようにと、神は、キリストが「もうひとりの助け主」と言われた真理の御霊を世に遣わしておられるのです。