ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神が働いておられる

 

 皇室の尊厳を貶めたのは、キリスト教だと思います。(クリスチャンが、キリスト教を悪く言うのですか?)と思われるかも知れませんが、根っこがイエス・キリストには無い、聖書を倫理的に捉えた教えを持つ宗教のことを言っています。

 

 聖書の教えは、道徳的に生きる日本人に博愛を増して、とても良いものになります。GHQは、当時の皇太子にクリスチャンであるアメリカ人の女性家庭教師をつけました。将来の天皇に、日本独特の神観から世界的視野のキリスト教的価値観を得させようとしたのかも知れません。あるいは、天皇を中心に結束する日本人の心の拠り所を取り除くためであったのかも知れません。

 

 そして、皇太子は、ミッション系大学ご出身の方を妃に選ばれました。シスターの影響を受けておられますが、洗礼を受けたクリスチャンではありません。皇室に新しい風が吹きました。

 

 皇室の方々は、皇族や貴族のために建てられた学習院で学ばれます。しかし、あの宮家の内親王方は、キリスト教系の大学を卒業されました。

 

 クリスチャンの多くは、この事を歓迎したと思います。私もそうでした。しかし、キリスト教を土台とした学校を卒業したからと言って、聖書を信じているわけではありません。信仰は、個人的なものです。

 

 聖書の教えではなく、学習院とは異なる自由に生きる個人主義のようなものを受け取られたのではないのでしょうか。宗教による教育の場は、イエス・キリストのいのちが溢れる生きた信仰を育む場所では無いようです。

 

 結婚によって平民となられたはずの若いお二人は、日本国の公務に携わっているわけでも無く、日本国民のためにご奉仕しているわけでも無いのに、国民の税金で外国にお住まいです。

 

 これらの背後には、キリスト教に関わる人々の支援の声や祈りがあるのかも知れません。形ばかりのキリスト教徒で、神の霊が働いているイエス・キリストのからだでは無い人たちだと思います。

 

 天皇が仕えておられる神は、天地万物を造られた創造主だと思います。つまり、聖書の神です。聖書の無かった時代にアブラハムが仕えた神です。霊に満ち満ちておられる神です。

 

 日本人は、聖書を知りませんが、聖書の神とともに生きて来た民族だと思います。文字の神ではなく、霊の神に仕えて来ました。自然の中で働かれる神を畏れ、神を神として崇めて来た民族です。

 

 聖書を知らないので、救い主の存在を知りません。キリストを待ち望んではいません。しかし、心の底から目に見えない神を畏れ、あらゆるものの中に神を認めて拝んで来ました。

 

 キリスト教は、この日本人独特の信仰を否定して、外国の神を押し付けました。そこには、日本独自の霊的な神との交わりがありません。生きた信仰を、文字と規則に置き換えました。

 

 キリスト教が、神とともにあった日本人の魂を霊の塞がれた者のようにしました。これは、生きたキリストの教会のことを言っているのではありません。外国の影響の色濃い宗教としてのキリスト教のことを言っています。

 

 皇室にこの宗教的キリスト教の流れが入っていると思います。日本人に持っておられる神の計画を無きものにしようと言う、グローバリストの働きを感じます。

 

 「あの宮家は神が退けておられると思う。天皇の直系に御心があるのでは。」と私が言うと、「宮家を批判し長い歴史の男性天皇を止めるようにする意見は、皇室を非難させて日本から天皇を失くそうとするグローバリストの策略だ」と言うのです。

 

 その考えこそが、人間から出たものだと思うのですが、クリスチャンの中でも宮家を支持する人たちがいます。

 

 これは、神が介入される問題です。天皇は、神に仕える祭司ですから、神が立てられない人はその立場に立つことができないと思います。神が生きておられるからです。

 

 男性天皇にこだわり、本質を見落としていると思います。伊勢神宮の祭主に就任された天皇の妹君の黒田清子さんの祭主のお姿は、凛として神に仕える祭主に相応しいお方だと感動しました。神の臨在があるのです。

 

 神の臨在がある方が、神の選んでおられる方だと思います。神に仕える心のある方、国民を慈しむ心のある方、神のお勤めをする覚悟のある方、神に受け入れられる聖い方でなければ、神が退けられると思います。

 

 神は霊なる方で、生きて働いておられる方です。神が立てておられない人を祝福しても、神の報いはありません。もし神が退けておられる者を支持するならば、神の退ける人が受ける報いと同じ報いを受けることになるのです。

 

 神に従う人は、その恐ろしさを知っています。

 

 神は、神の古来からの土地に殺意を持つ者を起こし、また、神を怒らせている者を御自分の土地に呼び寄せて、彼の手に渡されます。本当に神を畏れなければなりません。

 

 「何故なら、彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、わたしの忠告を好まず、わたしの𠮟責を、ことごとく侮ったからである。それで、彼らは自分の行ないの実を食らい、自分の企みに飽きるであろう。

 わきまえのない者の背信は自分を殺し、愚かな者の安心は自分を滅ぼす。

 しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住まい、わざわいを恐れることもなく、安らかである。」(箴言1:29-33)

 

 神の子らは、生きて働いておられる霊なる神に仕える者です。