ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の黙示が開かれる時代

 

 ニ十年以上前から黙示録に興味を持ち、理解できないながらも幾度も読み返していました。十五年前からは、解読しようと試みて来ました。

 

 今の時代は、以前とは異なります。十年ひと昔と言っていた時代は過去のことです。今は、どんどん加速しています。半年、いいえ、三か月、或いは一か月で、世の中は変化しています。一年前のことが遠い昔のことのようです。そのくらい世界は変化しており、過ぎ去る時間はどんどん古くなって行くのです。

 

 皆が目覚める時が来たのです。私は、『日月神示』の存在を知らずに生きて来ました。今回、『よひとやむみな』の存在を知って、日本人に神の霊言が語られていたことを知りました。

 

 神はひとりです。聖書の神は世界の神です。イスラエルの神ですが、世界の神です。神がひとりであるからそうなのです。神は、各国にまことの神と通じる者を起こしておられます。キリストの血が流されて世界が贖われ、霊の覆いが取り除かれたからです。

 

 イエス・キリストを知らない者達に、創造主である霊なる神、父なる神のことばが授けられているのです。日本人だけではありません。アメリカの原住民ホピ族にも、インドの国やまた他もあるでしょう。

 

 仏教を拓いたお釈迦さんは、生老病死の苦しみから解かれるための修行をし、修行中ではなく、ひとり静かに瞑想する中で悟りを得たのです。日本の仏教は、人間本来の在り方を問います。日本だけに残っている『般若心経』は、その究極の書です。

 

 神は、この日本に日本神道の教えを与えておられます。これは宗教ではなく、神の道を、神の子として生きる道を教えています。この日本に般若心経を与え、人の存在の原則のようなもの、大きな力によって生かされている存在であること、人はいのちと繋がる存在であって、自らがいのちではないことを教えています。神は日本人に、神の真理を託しておられます。

 

 神は、黙示を啓く民として日本人を立てておられるようです。七十年以上前に『日月神示』を、自動書記という形で与えられています。同じ神によって、2021年には、『よひとやむみな』が、やはり自動書記で与えられています。自動書記とは、人の思考ではなく、神がその手に力を与え、神御自身がその人の手を使って、神示を書きおろしていくことです。神がかりなことです。

 

 『日月神示』は第二次世界大戦が終盤に差し掛かった昭和19年に降ろされています。それには、日本の敗戦のことも、東京が元の土に返ることも告げられていました。

 

 聖書のアモス書3:7には、こう書いてます。

 「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者達に示さないでは、何事もなさらない。」

 

 神は必ず、前もって示されます。それが、聖書の神のやり方です。ソドムの町を滅ぼす時も、神の人アブラハムに告げられました。それで、アブラハムの執り成しによってロトは救い出されたのです。

 

 世界の神は、背信の罪によってアッシリアやバビロンに捕囚されたユダヤ人に代わって、海に囲まれた日本で神の祭儀を執り行わせられました。イスラエルの神は、AD70年以降ユダヤ人を離散させて、ユダヤ人のイスラエルの国は失われましたが、神の祭儀は日本で行われていました。

 

 日本に、アブラハム、イサク、ヤコブの血族の子孫が来ている、と考えられていますが、私もそうだと思います。ユダヤ人という自覚は失われていますが、神の使命を帯びた、ヤコブの血統の人々がいるのだ、と思います。今は、日本人として生きているのです。

 

 アメリカのホピ族もそうですし、また、インドにも血肉のユダヤ人が混在しているのだ、と思います。ユダヤ人の血統だから、神のことばを受けるのです。霊的に神を捉えるのです。

 

 『日月神示』を与えた神は、終わりの時代に再び、『よひとやむみ』を与えられました。創造主のメッセージです。イエス・キリストを知る人々にとっては、天の父なる神です。また、ヤコブの子らが仕えて来たイスラエルの神です。

 

 イスラエルの神は、アブラハム、イサク、ヤコブの神、ユダヤ人の神でしたが、キリストの十字架の血によって人類の罪が贖われると、世界の神となられました。イスラエルとは、血肉のユダヤ人のことではなく、復活のキリストによって、神と結ばれた神の子ら霊的ユダヤ人のことを言うのです。血肉ではなく、霊によってイスラエルとされる者の神となられたのです。

 

 「あら楽し、あなさやけ、元津御神の、輝く御代ぞ近づけり。岩戸開けたり野も山も、草の片葉も言止めて、大御光に寄り集ふ、真の御代ぞ楽しけれ。今一苦労二苦労、とことん苦労あるなれど、楽しき苦労ぞ目出度けれ。申、酉すぎて戌の年、亥の年、子の年 目出度けれ。一二三(日月神示)の裏の御用する御霊も今に引き寄せるから、その覚悟せよ。覚悟よいか。待ちに待ちにし秋来たぞ。」日月神示の神示です。

 

 日月神示によると、昭和20年の段階で奥の神界の岩戸は開かれており、中の神界における岩戸開きが最中とされています。

 

 第二次世界大戦の敗戦によって、明治維新以降の文明に湧いていた日本に、明治維新の背後で働いた外国の力を悟る者が現れました。文明が大和魂を壊していることを知り、嘆く者が起きたのです。日本人は、天皇を中心とした臣民であり、日本国は、心ひとつとなって神に仕える神の国であることに目覚め、日本人であることを誇りとして生きる、外国のまねをすべきではない、外国人が持ち込んだ文明に踊らされてはならないと、日本が失ったものを取り返すために奮闘する者が起こったのです。これが、奥の神界の岩戸開きであったと思います。天皇が国民の象徴となって、現人神ではないという新憲法によって、日本人はまことの神を求めるようになったのです。これが、日本人の本来の在り方だったのでしょう。神を畏れる、ということです。本来の姿を取り戻す道が開かれたのです。

 

 申の年は、2016年です。平成の天皇が退位のお気持ちを、ビデオメッセージで表明された年です。戌の年(2018年)に天皇の退位等に関する皇室典範特例法が成立され、亥の年(2019年)に令和の天皇が即位。子の年(2020年)に秋篠宮立皇嗣宣明の儀が行われました。待ちに待ちにし秋きたぞ。秋篠宮が皇嗣の立場になられたことをさしているのではないかと思います。これは、一二三の裏の御霊であります。

 

 神から出たものではない者が皇嗣の立場に立つことで、皇室の闇があぶり出されました。国民の敬意を踏みにじり、国民のうちにタブーであった宮内庁や宮家への怒りが沸き上がり、皇室の権威は失墜します。神がいよいよ、国民一人一人が神御自身に立ち返る時に至らせられたのです。日本人の心を神に向けさせられます。このことで、中の神界における岩戸が開かれるのです。

 

 皇室を敬愛して来た日本人にとっては受け入れ難いことで、混乱します。信じていたものに裏切られたような、日本人の純粋な魂が汚されたようなやるせない気持ちになり、権威ある立場に騙されていたことに目覚めます。

 

 日本人の心にあった権威が、現人神からまことの神に移り変わる時です。そして、大御光なるまことの光である神に寄り集まり、神に仕える者に変えられるのです。

 

 『日月神示』や『よひとやむ』に書かれた神示は、黙示録を読み解く助けになります。終わりの時代の状況をより具体的に知ることができるからです。日本人に託された働きです。