ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

隠された神道の神

 

  立川にある昭和記念公園の近くの昭和天皇記念館に行った時の事です。その時は、昭和天皇と香淳皇后の玉座が展示されていました。

 

  その前に立った時の感覚は忘れられません。なんとも清らかな光の粒子がきらめくような、清々しい空気に包まれたような不思議な経験をしました。

 

  今で言うと空気清浄機で綺麗になった空気のようでした。しかし、単に空気が綺麗なだけではなく、神の臨在のような尊厳と柔らかな愛、天に通じる何かを感じました。

 

  昭和天皇と香淳皇后の玉座は、真っすぐな心で神の責務にお仕えした功績を証しているかのようでした。そこには、神の威厳と神の喜びが置かれているようでした。

 

  この圧倒的な神の臨在を体験している時、長崎の日本二十六聖人記念館での事を思い起こしました。

 

  殉教者のある物が置かれた特別な空間があるのですが、「ここの場所は、神の臨在が半端ない」と牧師が言うのを聞いて、私も神の臨在を味わってみたいと思い、そこに立った時の事です。

 

  爽やかな空気と優しい愛のようなものを感じて、これが神の臨在なのか、と思ったものでした。でもそれは、臨在があると聞いていて、臨在を求めてしばらく立ち続けて得た感覚でした。

 

  しかし、昭和天皇記念館ではそのような期待は何もしていなかったのです。しかも、神道の天皇に聖書の神の臨在があるなんて考えてもいませんでした。

 

  玉座の前での神の臨在は圧倒されるほどのものでした。玉座の前の香りが真っ盛りの百合の花の芳しい香りであるとするならば、長崎の殉教者に感じた臨在は残り香のようです。

 

  昭和天皇と香淳皇后は殉教者の香りを上回る、神の御前でのキリストの香りだったのだ、と思いました。

 

  皇太子妃となる美智子様がミッションスクール出身である事で、神道の天皇家に入るのに相応しくないと反対しておられた昭和天皇ですが、イエス・キリストを地上に遣わされた、イエスの父である唯一の創造主、霊なる神に、それとはご存じなく仕えておられたのだな、と思いました。

 

  滝本明牧師は、昭和天皇の救いのために、ずっと祈っておられました。昭和天皇が崩御された時も祈っておられました。祈りのなかで幻を見られたそうです。昭和天皇が美しい光に包まれて、天に上げられて行かれる幻でした。後で、この幻が昭和天皇がお亡くなりになった時間と同じであった事に気づかれたのです。

 

  昭和天皇はいのちの神、創造主のもとに帰られた、と言われても、当時は思ったものです。昭和天皇はキリストを信じられたのかなぁ。

 

  しかし、玉座の前に立ち、確信しました。キリストの御名を呼ばなくても、キリストの父なる神、霊と真の神に、生涯かけてご自分をお献げになられ、父なる神はそれをよしとして、昭和天皇の魂を受け取られたのだ、と思いました。

 

  神道はもともとは霊なる神に仕える信仰から始まったのでしょうが、民衆に行き渡らせるためには、民衆が理解できる方法が必要です。目に見えない霊なる神を、どうやって現すのか。

 

  まず神を認識させるために、神に名前を付けました。最初に現れた神を天御中主神(アマノミナカヌシノカミ)次に高皇産霊神(タカミムスヒノカミ)と神皇産霊神(カミムスヒノカミ)が現れた、としました。この三柱は地上に降りて来ることの無い神でした。これは、聖書の神、御父なる神と聖霊と御子なる神の三位一体の神を現しているのではないのか、と思います。

 

  聖書では、神が「光よ。あれ」と仰せられると、光ができたと書かれています。光のあとに、大空を造り、地を造り、と神の創造が続くわけですが、そのひとつひとつにも神の名前を付けたのでしょう。

 

  そして、日本列島を造ったとされるイザナギとイザナミの神、土や石、岩や砂等、被造物ひとつひとつに神の名前を付けました。

 

  神道では、人がつけた名前の神々が満ちました。しかし、スタートは、初めから天に存在しておられる天御中主神でした。天地創造の神です。聖書の神でした。

 

  民衆にもわかるようにと、神の名をつけた事で、八百万(やおよろず)の神々が生まれたのだと思います。

 

  本当の天地創造の神は隠され、日本の神道が生まれたのでしょう。もともと神は天地創造の神おひとりだけであって、神道のように、多くの神々が存在するわけではありません。

 

  真の神は、ご自身で御名を名乗られる方です。人に名前を付けてもらう必要はありません。「わたしはある」といわれます。神は神自ら存在し、太初よりあるいのちであり、万物の存在の目的と原因である方なのです。

 

  神道は神に名前を付けることで、真の神を見失っていまいました。それで、日本をイザナギとイザナミの神からのものとして、最初の神である天御中主神を見失ってしまいました。

 

  後には、目に見えるものまで作り、日本人の思いに覆いが掛けられて、真の神がわからなくなってしまいました。そこで、日本の神とは違う、狐など獣を神とする神社が現れたのだと思います。

 

  しかし、昭和天皇は、古来の神道の中で歩まれ、霊なる神、日本を造ったとされるイザナギやイザナミの神をも生み出された最初の神、天地創造の偉大なる神、天御中主神に、戦争責任から来る苦しみの中で、出会われたのではないでしょうか。

 

  それは、キリストの御霊が導かれたのでしょう。背後では、キリストの御名によるクリスチャンの祈りが熱心に献げられていました。昭和天皇は、主の御霊に導かれ、真の霊なる神、いのちの神のもとに帰られたのだと思いました。

 

  神道を信じる方や神道の神に仕えておられる方は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)ではなく、天御中主神(アマノミナカヌシノカミ)に祈ってみてください。霊なる神、いのちの神が真理を開き、隠されていた事を明らかにして下さると思います。