神は、神に反逆する天使長ルシファーを天から追放されました。悪魔となったルシファーは、神に、悪魔が主権を握る国を要求しました。
神は、闇を造り、悪魔に与えました。悪魔とともに天から落ちた天使の中に悔いる正しいものをご覧になった神は、彼らを救済することを思いつかれました。
彼らの救いのために、天使より劣る、塵からできた人を創造されました。人は神のひとり子の協力者であり、神から被造物の管理をまかされました。
しかし、管理者である人が、闇の支配者悪魔に惑わされて、神のことばである御子から分離したのです。神のことばとともにあった人は、神に守られ、光の中で安息していました。神のことばに逆らい、闇のことば(悪魔のことば)に結びついた人は、永遠の光から闇の支配下に移されました。
堕天使の救済のための協力者を失って、神の救済計画は頓挫しました。
神と御子は、喜びをもって人を造られました。御子を愛して御子とひとつ心となる者として造られたのです。多くの天使は、天使長ルシファーに従い、天から追放されて、闇に堕ちました。神の御子を憎む彼らに対して、御子を愛し御子に従う者を、神は必要とされたのです。
人は、御子とともにおり、御子ととともにすべての被造物を管理する者だったのです。すべての被造物は、堕天使の救済のためであり、人の住まいとするためでした。
果たして、堕天使は、塵から造られた人にへりくだる謙遜を持つことができるのでしょうか。天使よりも劣る管理者(塵から造られた人)に仕えることができるでしょうか。御子の主権にへりくだり仕えることができるでしょうか。
悪魔を滅ぼすことは定まっています。しかし、悔いる堕天使もともに滅ぼすことは、神の望まれることではありませんでした。神の義と愛に反することだからです。
神は、管理者である人のもとに、堕天使を試みる善悪を知る知識の木を置かれました。これは、人を試みるためではありません。人は管理者なのです。管理をまかせた人に、神は仰せられました。
「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
大人が、ネズミ駆除の薬(えさ)を、子どもが誤って食べないように注意するようなものです。木は、人から隠したり、別の場所に移したりはできません。置かれたところにあるだけです。しかし、危険を知らせて、人を守ることはできます。神は、人が神のことばを守ることを期待されました。
しかし、人は神のことばを守りませんでした。悪魔のことばに誘惑されたのです。蛇は悪魔のことばを語りました。神のことばとおり、神のことばに従わなかった人は、神の支配を失い、悪魔の支配下に置かれたのでした。神の支配はいのち、悪魔の支配は死です。
神にとっても、神の御子にとっても、とても悲しいことでした。堕天使たちは、支配者ルシファーを知っていて、彼に従ったのです。しかし、人は悪魔の存在を知らず、悪魔に騙されていることもわからずに、善悪の木の実の慕わしく好ましい姿に心を捉えられて、神のことばに反して、善悪の木の実を食べてしまったのです。
神は、人の救済を計画されました。悪魔のことばを食べた人は、光のうちにいることができません。光は、シミも傷もしわもない、全きものの生きるところです。全きものでなければ、たちまち、消滅してしまいます。存在することができないのです。
神に立ち返るためのエデンの園は、閉じられました。人は、闇に造られた神の被造物の中で生きるのです。闇の支配は、苦痛と嘆きが伴います。希望がありません。限られた命の中で、一喜一憂するだけです。永続的な喜びも楽しみもありません。それを得たと思った瞬間、泡のように消える儚いものです。
堕天使の救済を実行される神は、人の救済を定められました。御子とともに管理するために造られた人を、正しい場所に戻されます。
神の御子は、父に従い、肉体を持つ人の子となられて、人の罪の身代わりとなって、処罰を受けました。神の子羊イエスの血は、人の罪、被造物の罪を贖ったのです。キリストの血によって贖われたものは、光の中に帰ることが許されます。
神は、堕天使を救済するために人を造られました。神は、人を救済するために、神のひとり子に肉体を造られました。肉体を持つ神の御子イエスは、人の罪の贖いのために、ご自身を生贄の子羊として、神に献げられたのです。
永遠の昔から仕えていた天使(堕天使)のためにではなく、塵で造られた人のために、神の御子はご自分をお捨てになりました。神の御子としての栄光のからだを捨て、卑しい土のからだの「人の子」となられたのです。
本当に、神の御子は、塵から造った人を愛しておられたのです。また、父なる神は、御子のために、御子に土のからだを造って地上に遣わされるほどに、世を愛されたのです。
神の愛によって、神のひとり子イエスは、キリストになられました。イエス・キリストは、神が地上に伸ばされた、神の御手です。人を永遠の死から救い、永遠のいのちに引き上げるための、神の救いの御手なのです。
芥川龍之介の著書に、『蜘蛛の糸』があります。地獄に落ちた男のもとに蜘蛛の糸が垂らされました。男の生前に小さな蜘蛛の命を助けたと言う、小さな善行をご覧になった釈迦が、男を救い出すために垂らされた糸でした。ここに、釈迦の恩恵がありました。救いの糸を見つけたほかの罪人たちも、地獄から抜け出ようと、その糸をよじ登ります。男は、糸が切れることを恐れました。後ろに続く罪人たちを怒鳴りつけた途端、糸は斬れ、糸にすがっていたすべての者が、もとの地獄に落ちてしまう、というお話です。
神は、天から御手を差し伸べておられます。蜘蛛の糸のようなものではありません。御自分のひとり子、イエス・キリストです。イエス・キリストは、地上に伸ばされた、神の救いの御手なのです。イエス・キリストにすがる者を、神は死と滅びから救い上げてくださるのです。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14:6)と言われたイエスのことばは真実です。イエス・キリストに繋がらなければ、永遠のいのち(神)のもとに帰れないのです。
エデンの園の管理者であった人は、イスラエルの王であるキリストとともに千年の間、世界を治めるのです。彼らは、キリストの血によって贖われた者、御子キリストとともに神の国を相続する者です。
千年王国では、堕天使たちが地球に集められ、人間として、女から生まれるのでしょう。彼らは贖われるために、肉のからだをいただくのです。千年王国は、彼らの救いのときだと思います。