ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神に信頼する

 

 「あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。」(ヤコブ2:19)

 

 悪霊どもは、神に逆らい悪魔となった天使長ルシファーのもとで、神に仕えていた堕天使です。彼らは、光の中で、神を讃える者たちでした。天地万物が創造される以前のことです。地はかたちなく、何もなかったとき、闇はなく、全き光だったときのことです。淵のおもてに闇がなかったときです。

 

 神が主であられ、天使たちは主に仕えていました。天使たちは、神を知る者でした。神を讃える者でした。天使は仕えるべきお方を知り、神のほかに主権を持つものはありませんでした。

 

 悪魔にとっても、悪霊どもにとっても、神はおひとりです。悪霊どもは、神を知っており、神を信じることは、信仰でなくて事実でした。彼らは、神を見、神のことばを聞いていたのです。しかし、彼らは神に信頼する者ではありませんでした。彼らは、神ではなく、天使長ルシファーに従いました。神を主とせず、天使長ルシファーを主としました。彼らの心は、ルシファーとともにあったのでした。天使長ルシファーに従い、天使長に仕えることが彼らの正義でした。

 

 悪霊どもは、天使長ルシファーが神に裁かれて天から追放されたとき、神の側に立たなかった者なのです。神のひとり子よりも天使長ルシファーの統率を望む者であり、また、神と心一つとする全き者ではありませんでした。

 

 悪魔も悪霊どもも、神を知っています。彼らは、神がおられることも、神がおひとりであることも、よく承知した者です。

 

 神がおひとりだと信じている者たちです。信じているから、神の側の者かというと、そうではありません。神に敵対する者なのです。神の主権の下にいるのを良しとしない、聖なる神にへりくだらない不従順な者なのです。

 

 堕天使たちは、神に反逆した天使長ルシファーを義とした、不義の者です。神を主としなかった、神に背く者です。

 

 彼らは、神がおひとりであること、また、神がイスラエルに遣わされたイエス・キリストが神のひとり子であることを知っています。しかし、神に従うことはありません。また、神のひとり子イエス・キリストに信頼する者ではありません。

 

 神が神であることを信じているから、また、神の御子イエス・キリストを信じているから神のもの、ではなさそうです。なぜなら、悪魔も悪霊どもも神がおひとりであること、ユダヤ人が十字架につけたナザレのイエスが神の御子キリストであることを信じています。彼らの場合、人のように信仰によって信じているのではなくて、そのことがまぎれもない事実なので信じているのです。

 

 悪魔や悪霊ども堕天使は、イエス・キリストがイスラエルに遣わされる前から、神のひとり子を知っていました。神のひとり子が受肉する前(肉体を持つ人の子イエス・キリストとしてイスラエルに遣わされる前)、神のひとり子としての栄光に輝いている姿、神の御子の栄光の姿を見ていたのです。

 

 人が造られる前のことです。天地万物を造られる以前のことです。人よりもはるか前、永遠の昔から存在する堕天使たちは、イエス・キリストの受肉前の栄光を見ていたのです。堕天使たちにとって、神がおひとりであることも、神の御子の存在も、神の御子が人の子となって地に下られたイエス・キリストであることも現実のことであり、真実なのです。

 悪魔には真実がありませんが、これらのことは、偽り者の悪魔でさえ否定できない嘘偽りのない真実であり、永遠に変わらない真理なのです。

 

 悪魔は悪魔です。自分が神になることができないことを知っています。神は永遠の昔からおられる天地創造の全能者おひとりであることも知っています。そして、神が悪魔を裁き、滅ぼされる方であることも知っており、このおひとりの神を信じて震えおののいているのです。

 

 人が神を信じる時、悪魔が信じている信じ方では、神の子どもになれません。イエス・キリストが神の御子である事実、イエス・キリストが死から復活した救い主である事実を信じることが、御救いをもたらすのではありません。事実を事実と認めることによってではなく、神の御子であられるイエス・キリストを信頼すること、また、神はおひとりであると信じて、この神を仰ぎ、神に仕える者としての信仰こそが、悪魔の表面的な信じ方を覆して、信仰によって神とひとつとなる信じ方なのです。神の御霊を受ける信じ方なのです。

 

 悪魔は、イエス・キリストの御名を呼び、イエス・キリストを信じる者たちを恐れていません。イエス・キリストの御霊を持ち、イエス・キリストの御名により頼む者、また、父なる神を礼拝し、霊とまことをもって神に仕え、神に聞き従う、新しい創造を憎みます。

 

 新しい創造には御霊がおられ、神の名が記されているのです。神に信頼する者に、悪魔が戦いを挑むならば、天使たちが彼を守り、彼は悪霊どもを刺し通す剣(神のことばの武器)を持つことを、悪霊どもは知っているのです。

 

 イエス・キリストを信じ、イエス・キリストの御名を呼び、神に信頼する者、神の御霊のうちにある者は、悪魔の敵となります。彼は、悪魔が敵対する神のひとり子キリストのものだからです。

 

 神がおひとりであることを信じ、イエス・キリストが神のひとり子であることを信じている悪霊どもは、神の御子キリスト・イエスのものをも知っています。なぜならば、その人のうちに神の御霊がおられるからです。

 

 悪霊どもは、イエス・キリストを信じる者を恐れているわけではありません。イエス・キリストの御名を呼ぶ者を憎んでいるのではありません。御霊がともにおられ、天使たちが仕えている神の子どもたちを憎んでいるのです。

 

 悪霊どもは、まことの神に信頼する者を恐れ、戦いを挑んで来ます。神に信頼し、神の御霊がともにおられる者は、神のことばを話し、神の栄光を讃えるからです。神に信頼する彼らとともに、生ける神の栄光が現わされることを知っているからです。

 

 「志の堅固な者を、あなた(神)は全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。」(イザヤ26:3)

 

 神に信頼する者たちは言います。

 「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」(イザヤ25:9)

 

 神に信頼する者の心は、救い主なる主とともにあるからです。天地万物を造られた全能の神が彼らの神であられ、十字架にかかられた神の御子イエス・キリストが彼らの主だからです。

 

 神がおひとりであること、また、イエス・キリストが神の御子であることを信じる悪霊どもとは違います。彼ら(悪霊どもや神の御霊を持たず神と一つになっていない者)には、恐れがあります。彼らの信心には刑罰が伴っているからです。悪霊どもは事実を信じているだけで、神に信頼する信仰を持っていません。神を恐れる者の愛は、全き者となっていないのです。

 

 しかし、神に信頼する者には恐れがありません。全き愛(神の愛)は恐れを締め出します。神に信頼する者は、神が愛であることを知っているのです。