ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

きょう、わたしがあなたを生んだ

 

 パウロはアンテオケの人々に言いました。

 「私たちは、神が先祖たちに対してなされた約束について、あなたがたに良い知らせをしているのです。

 神は、イエスを甦らせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。詩編の第二篇に、『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。』と書いてあるとおりです。

 神がイエスを死者の中から甦らせて、もはや朽ちることのない方とされたことについては、『わたしはダビデに約束した聖なる確かな祝福を、あなたがたに与える。』というように言われていました。

 ですから、ほかの所でこう言っておられます。『あなたは、あなたの聖者を朽ち果てるままにはしておかれない。』

 ダビデは、その生きていた時代において神の御心に仕えて後、死んで先祖の仲間に加えられ、ついに朽ち果てました。しかし、神が甦らせた方は、朽ちることがありませんでした。

 ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。

 モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」(使徒13:32-39)

 

 イエスは、マルコ12:35-37でこう言っておられます。

 「律法学者たちは、どうしてキリストをダビデの子と言うのですか。ダビデ自身、聖霊によって、こう言っています。

 『主は私の主に言われた。「わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」』

 ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるのに、どういうわけでキリストがダビデの子なのでしょう。」

 

 ダビデは、聖霊によって、神の語られることばを聞いたのです。主(父なる神)は、私の主(神の御子キリスト)に言われました。「わたしがあなたの敵(悪魔)をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」

 

 イエスは十字架の贖いの血によって、死の呪いを破り、死から甦られて、悪魔に勝利されました。しかし、この世はまだ悪魔の支配下にあるのです。キリストのかかとであるヤコブ(イスラエル)が悪魔に制せられたままです。

 

 被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしているのです。被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいます。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられるからです。(ローマ8:22,19,21)

 

 ヤコブ(イスラエル)が神の子どもとして回復するまでは、イエスは神の右の座にいなければなりません。ユダヤ民族が、「ナザレのイエスが主キリストです。」と告白するときが、悪魔をキリストの足の下に従わせるときなのです。

 

 ペテロもイスラエル人に、使徒3:18-21で言っています。

 「神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように(十字架の死と復活)実現されました。そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。

 それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシアと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。

 このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天に留まっていなければなりません。」

 

 ユダヤ人がキリストを信じることが、神の子どもたちの回復であり、ユダヤ民族がキリストを信じて救われることが、万物の改まる時であり、メシア(イエス・キリスト)が天から来られる時なのです。

 

 キリストは、「ダビデの子」と呼ばれました。ダビデの系図から生まれることが預言されていたからです。イエスは、ダビデの子孫ヨセフの子として、ヨセフの許嫁のマリアから生まれました。神が、処女マリアの胎にイエスを宿らせたのです。イエスの父は、正確に言うと聖霊のわざであり、神御自身なのです。イエスは、ヨセフの子としてナザレで育ちましたが、ヨセフの血を引いているわけではないのです。

 

 ダビデも神の御子を見て、「私の主」と呼んでいます。それで、イエスは、「ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるのに、どういうわけでキリストがダビデの子なのでしょう。」と言っておられるのです。

 

 ダビデは、死んで先祖の仲間に加えられ、ついに朽ち果てました。しかし、神が甦らせたキリスト・イエスは、朽ちることがありませんでした。死んで墓に入り、三日目に甦って復活のからだとなられたのです。

 

 これは、神が先祖たちに対してなされた約束の実現でした。子孫であるユダヤ人にその約束を果たされたのです。詩編第二篇に書いてあるとおりです。「あなたは、私の子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」父なる神は、肉体のからだから、聖霊によって永遠のいのちを生んだのです。肉体のイエスを、復活のからだで新しく生まれさせたのです。

 

 このことは、神がダビデに約束した聖なる確かな祝福なのです。

 イザヤ書55:3に書いてます。

 「耳を傾け、わたしのところに出て来い。

 聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。

 わたしはあなたがたととこしえの契約、ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。

 見よ。わたしは彼を諸国の民への証人とし、諸国の民の君主とし、司令官とした。

 見よ。あなたの知らない国民をあなたが呼び寄せると、あなたを知らなかった国民が、あなたのところに走って来る。これは、あなたの神、主のため、また、あなたを輝かせたイスラエルの聖なる方のためである。」

 

 神は、復活のイエスを、御霊によって生んだのでした。肉体のからだではありません。霊のからだです。これが、神がダビデに約束した祝福です。ダビデの子と呼ばれるキリストが生まれること。そして、キリストが御霊によって、復活のからだで生まれたように、神の子どもたちは、御霊によって新しく生まれ、永遠のいのちと霊のからだを受けるのです。