ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

御霊の初物は聖くなければならない

 

 「地は嘆き悲しみ、衰える。世界はしおれ、衰える。天も地とともにしおれる。

 地はその住民によって汚された。彼らが律法を犯し、定めを変え、とこしえの契約を破ったからである。」(イザヤ書24:4,5)

 

 主は、エデンの園に置いた人に命じられました。

 「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」

 

 主の命令に背いて善悪の知識の木の実を取って食べた人(アダムとエバ)は、主が仰せられたとおりに、死ぬ者となりました。

 主は、モーセを通して、イスラエルに命じておられました。

 「神である主は、あなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。この方があなたがたに語ることはみな聞きなさい。

 その預言者に聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる。」

 

 神がその預言者(祭司の油と預言者の油と王の油を注がれた、唯一のキリスト)をイスラエルに遣わされました。モーセの命令をうけてから、千四百年以上経つ頃のことです。イスラエルは、モーセの命令を覚えていました。

 

 しかし、神が遣わされた神の御子イエスが、その預言者であることを悟れませんでした。神に仕える大祭司も、祭司たちも、律法学者も、パリサイ人たちも、長老たちも悟らなかったのです。彼らは、民衆が信じるのを妨げました。国民挙げて、イスラエルは神の御子イエスを拒絶したのです。

 

 モーセの命令を知っていながら、彼らは自ら、滅びの道を選んだのでした。神の命令に背いたアダムが死に入ったように、モーセの命令に背いたイスラエルは、赦されない罪を犯して民の中から滅ぼし絶やされる者となったのです。

 

 神が救いのために造られたイスラエルの民が、滅びを選んだのです。アダムが死の道を選んだことで、被造物すべてに死が入ったように、イスラエルが滅びの道を歩むことで、地の救いは遠のき、地は嘆き悲しむ歴史を繰り返してうめきます。

 

 エデンの園の管理が任されたアダムの裏切りは、すべての被造物を巻き込み、地は神の呪いの対象となりました。被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させた方によるのです。被造物にも、滅びの縄目から解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているのです。(ローマ8:20,21)

 

 神から人類の祭司としての役割を担っているイスラエル民族が、神の命令に逆らいました。イスラエルの中で祭司の務めをした者たちが民衆を惑わし、神に背かせたのです。それと同様に、祭司の国民イスラエルが神に背いた(神が遣わしたキリストを信じなかった)ことで、イスラエルが世界に散らされただけではなく、世界から救いが遠のいたのです。

 

 神の憐れみによって、神は異邦人の中にイエス・キリストを信じる者を起こして、救いの福音が途絶えないようにされました。しかし、異邦人は神の契約から生まれた者ではないので、その働きは不完全なものです。

 

 聖霊のバプテスマを受けた使徒や弟子たちが亡くなると、異邦人信者は、神の契約を無視しました。ユダヤ人に割礼することも律法を守ることも禁じました。ユダヤの慣習やしきたりを憎み、ユダヤ性を消滅させようとしました。異邦人信者がイスラエルに取って代わって、神の民になろうとしたのです。そうすることで、異邦人信者は、御霊を消したのです。彼らは、キリストのからだのかかと(ヤコブ)にかみつく悪魔の支配下にありました。

 

 被造物も、切実な思いで神の子たちの現われを待ち望んでいます。イスラエルは御霊の最初の実を持つ者たちです。ユダヤ人は、御霊の初穂なのです。初物が聖ければ、粉の全部が聖いのです。初物のイスラエルが聖くならなければ、異邦人信者も聖いと宣言されません。初物のイスラエルが聖ければ、キリストのからだ全体が聖いとされるのです。

 

 悪魔はキリストのからだに入り込んで、救いを台無しにしようと働いています。悪魔は、キリスト教会が数を増し、大きく成長することには寛容です。その中に、御霊を持たない偽信者を入れればよいだけのことです。彼らの唇に混ぜ物の言葉を置き、信者を惑わして真理から引き離せばよいのです。

 

 イエスは天の御国のたとえ話をされました。

 「自分の畑に良い種を蒔いた人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。麦が実ったとき、毒麦も現われた。

 その家の主人にしもべたちが言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』

 主人は言った。『敵がやったことです。』

 『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』としもべたちが言うと、主人は言った。

 『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」(マタイ13:24-30)

 

 毒麦がキリスト教会に入ることも留まることも、神は承知しておられます。神は、神の子どもたちに御霊を与え、御霊に聞き従う者たちを神の御国に入らせるのです。

 

 御霊に聞き従う者たちは、神の子ら(イスラエル)の贖われること、イスラエルがキリストのからだとして立つことを待ち望んでいます。

 

 御霊の初物であるイスラエルが聖ければ、キリストのからだ全体が聖いのです。イエス・キリストの贖いの血できよめられ、御霊を受けた者がキリストのからだとされるのです。