ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

光のうちを歩め

 

 「イエスはユダヤ人たちに言われた。

 『まだしばらくの間、光(キリストの福音)はあなたがたの間にあります。(悪魔が聖徒らを滅ぼし、キリストの福音が聞かれなくなる)闇があなたがたを襲うことのないように、あなたがた(ユダヤ人)は、(神の御子イエス・キリストの御名が聞かれる)光がある間に歩きなさい。(神がイスラエルに遣わされた救い主キリストを拒絶して真理の光を打ち消した)闇の中を歩く者(ユダヤ人)は、自分がどこに行くのかわかりません。(イスラエルの神が約束どおり遣わされた主キリストを拒む者は、たとい、契約の民イスラエルであっても、聖なる神の民イスラエルから滅ぼし絶やされます。そして、神の御救いの約束は彼らから取り去られて、契約のない民と同じ滅びの道を行くのです。)

 あなたがたに光(イエス・キリストの御名)がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。』」(ヨハネ12:35,36)

 

 このみことばは、イスラエルの救いのために、イスラエルに遣わされた神のひとり子イエス・キリストが、ユダヤ人たちに語られたことばですが、時を越えて、イエス・キリストへの信仰によって神の御救いを受ける霊的イスラエル(新生したイスラエル)に加えられる異邦人(クリスチャン)たちにも語られています。

 

 神の子羊イエス・キリストの血によって罪が贖われたクリスチャンたちも、ユダヤ人たちと同様に御救いの約束を持つ神の民です。

 しかし、御救いの約束を持つユダヤ人たちが、神が御救いのために遣わされた神の子羊イエスを信じることができなかったと同様に、クリスチャンたちも、神の奥義(キリストの御霊によって新生する異邦人が、永遠のいのちを得るイスラエルに加えられる)に達していない人々もいるのです。

 

 ユダヤ人たちにとって、光とは、救い主イエス・キリストのみことばでした。神の御子イエスのことばは真理のことばです。

 クリスチャンたちにとって、光とは、イエス・キリストを信じる者が受ける真理の御霊です。真理の御霊は、神の律法の外におり約束のなかった異邦人(キリスト信者)にイエスのことばを思い起こさせ、真理を悟らせてくださる、まことの光です。

 

 イスラエルの神の命令は、奴隷の家エジプトからイスラエルを連れ上ったモーセを通して、イスラエルに語られました。

 「モーセはこう言いました。

 『神である主は、あなたがたのために、私(モーセ)のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟(ユダヤ人)たちの中からお立てになる。この方(主キリスト、すなわち、神がイスラエルに遣わされるメシア)があなたがた(イスラエル)に語ることはみな聞きなさい。

 その預言者(キリスト)に聞き従わない者はだれでも、(イスラエルの)民の中から滅ぼし絶やされる。』」(使徒3:22,23)

 

 ユダヤ人は、神がお与えになられたモーセの律法の下にいる神の民です。彼らは、神の御子イエス・キリストを信じることで、御救いの中に入ります。

 ユダヤ人には、神の律法の下にいて、イエス・キリストを信じるメシアニック・ジューと、律法を守ることにこだわらないでユダヤ人たちから(当時の)取税人や遊女のように扱われるユダヤ人ビリーバーとがいます。

 

 律法の下にいるユダヤ人は、石の板に書かれたモーセの律法の奴隷です。それで、律法の下にいながらイエス・キリストを信じるユダヤ人(メシアニック・ジュー)は、御霊による心の割礼を受けていないのではないでしょうか。なぜなら、今は彼らの時ではないからです。メシヤニック・ジューは、ユダヤ人の時に神の御国に入るのです。

 律法の下にいないユダヤ人は、契約を持たない異邦人のようです。イエスが命じられた聖霊を受けて、心の板に律法が記されます。すなわち、キリストの御霊がうちに住まわれて、心に御霊の律法を持つ者です。

 

 律法の下にいるユダヤ人たちに、使徒ペテロは言います。

 「(ユダヤ人たちよ。)あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。

 それは、主(イスラエルの神)の御前から回復の時が来て、あなたがた(イスラエル)のためにメシア(救世主)と定められたイエスを、主が遣わしてくださるためです。(悪魔を足台として万物を改めるために、キリストは再びイスラエルに来られます。)

 このイエスは、(イスラエルの)神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天に留まっていなければなりません。」(使徒3:19-21)

 

 イエスは二千年前に、十字架による罪の贖いのわざを成し遂げられて、死から復活し、天に引き上げられて、神の御座の右に着座しておられます。

 そして、主は、ダビデの主(約束のダビデの子、すなわち、とこしえにダビデの王座につく神の御子キリスト・イエス)に仰せられました。

 「わたし(神であられる主)があなた(神のひとり子キリスト)の敵(悪魔)をあなたの足台(キリストが征服)とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」(詩篇110:1)

 

 大祭司がイエスに、「私(大祭司)は、生ける神によって、あなた(イエス)に命じます。あなた(イエス)は神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」と言うと、イエスは大祭司に言われました。

 「あなた(大祭司)の言うとおりです。なお、あなたがた(祭司長たちユダヤ人)に言っておきますが、今からのち、人の子(ダニエルがダニエル書7:13,14に『人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方〈御座に着いておられるとこしえの生けるまことの神〉のもとに進み、その前に導かれた。この方〈人の子〉に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼〈人の子〉に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく〈終わることがなく〉、その国は滅びない。』と預言した〈人の子〉メシアをさします。)が、力ある方(全知全能の神)の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがた(ユダヤ人たち)は見ることになります。(ヨハネの黙示録1:7に『見よ、彼(神の子羊イエス・キリスト)が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼(イエス)を突きさした者(イエスを十字架につけたユダヤ人たち)が、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに(イエス・キリストを信じなかったことを)嘆く。』とあります。)」(マタイ26:64)

 

 そのとき、「わたし(神)は、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼ら(ユダヤ人たち)は、自分たちが突き刺した者(神に呪われた者として十字架に掛けたナザレのイエス)、わたし(天の雲に乗って来た神の子羊イエス)を仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者(神のひとり子イエス・キリスト)のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。」(ゼカリヤ12:10)の預言が成就します。

 

 神の御救いの契約のない異邦人は、イエス・キリストを信じたならば、聖霊を受けて、神の御救いの契約のしるしを必要とします。

 神の民に与えられたモーセの律法を持たない彼ら(異邦人の信者)にとって、御霊が生ける神の律法なのです。神の御子イエス・キリストの御名によって授けられるキリストの御霊は、真理の御霊であり、神のみもとに導くもうひとりの助け主です。

 

 神の御子イエス・キリストを拒んだユダヤ人たちは、長い間彼らのうちからイエス・キリストの御名による福音が取り除かれて御救いの光を失い、闇が彼らを襲い、いのちの道を見えなくされました。

 異邦人信者たちは、このユダヤ人たちの失敗から学ばなければなりません。イエス・キリストを信じる異邦人は、御霊のおられるうち(世に御霊がおられる昼の間)に光(御霊)のある歩みをしなければいけません。

 

 異邦人の完成のなる時には、真理の御霊は、神のみもとに引き上げられます。すると、闇が襲い、イエスのことばを思い起こすことができなくなります。そして、導きを失って不安と恐れに支配されます。

 闇の中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。そして、御救いの信仰を失ってしまいます。

 

 ですから、イエスは言われます。

 「あなたがたに光がある(信者たちの間に真理の御霊がおられる)間に、光の子どもとなる(キリストの御霊によって新しく生まれ、キリストに似た者に造り変えられる)ために、光(もうひとりの助け主、真理の御霊)を信じなさい。」

 

 「わたし(主イエス・キリスト)は、世の光(永遠のいのちを得させる、人の御救いの光)です。わたしに従う者(キリストの御霊に導かれる者)は、決して闇(罪の滅び)の中を歩むことがなく、いのちの光(生かす御霊が生む永遠のいのち)を持つのです。」(ヨハネ8:12)

 

 イエスの「光がある間に光を信じなさい。」という命令は、私たちに御救いを得させるための恵みのことばです。私たちに永遠のいのちを得させるための憐れみに満ちた命令です。

 

 御霊によって生まれ、御霊によって導かれるならば、その人のうちに光があり、光が引き上げられる時、御霊とともに天に引き上げられ、闇の中に取り残されることがないのです。