ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

大祝会に近づいています

 

 「あなたがたは、手でさわれる山、燃える火、黒雲、暗闇、あらし、ラッパの響き、ことばのとどろきに近づいているのではありません。このとどろきは、これを聞いた者たちが、それ以上一言も加えてもらいたくないと願ったものです。

 彼らは、『たとい、獣でも、山に触れるものは石で打ち殺されなければならない。』というその命令に耐えることができなかったのです。

 また、その光景があまり恐ろしかったので、モーセは、『私は恐れて、震える。』と言いました。

 しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。

 また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。

 語っておられる方を拒まないように注意しなさい。なぜなら、地上においても、警告を与えた方を拒んだ彼らが処罰を免れることができなかったとすれば、まして天から語っておられる方に背を向ける私たちが、処罰を免れることができないのは当然ではありませんか。

 あのときは、その声が地を揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、こう言われます。『わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。』

 この『もう一度』ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。」(ヘブル12:18-27)

 

 神がモーセに十戒を授けるために、シナイ山の頂に呼び寄せられた時のことです。

 「山の上に雷と稲妻と密雲があり、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。

 モーセは民を、神を迎えるために、宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立っていた。

 シナイ山は全山が煙っていた。それは主が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山が激しく震えた。」(出エジプト19:16-18)とあります。

 

 主がシナイ山の頂に降りて来られ、モーセは登って行きました。

 山の上にはもくもくと雲がおおい、雷が鳴り、稲妻が光っています。それだけでも、人を仰天させる恐ろしい光景です。青空はありません。雲に覆われた空を激しい稲妻が裂き、恐ろしい雷鳴が響き渡っています。雷鳴は山をこだまします。山は火を噴き出し、全山一帯、その煙で煙っています。そして、民が立っている地は、とどろきとともに、揺れ動いています。

 

 目にも恐ろしく、耳にも恐ろしく、鼻にも不快な生きた心地のしない光景です。地震と雷と火事がいっぺんにやって来た情景です。そして、おやじ(天の父)が叫んでいるのです。日本で恐ろしいものをあげる語句に、「地震、雷、火事、親父」という言葉がありますが、四大恐怖が一時に地に現われた状態でした。

 

 神は、モーセとイスラエルに、天と地と万物に対して持っておられる御自身の主権を現わされました。神の御前では、山も熔けてしまいます。

 

 モーセは、神の主権と、その聖なる権威の御前で、恐れて震えました。神の警告を拒んだ者は、神の処罰を免れることができません。地上を歩まれた人の子イエスに逆らう者が処罰を免れることができなかったとすれば、尚更、天から語っておられる父なる神に背を向ける者は、処罰を免れることができません。

 

 あのシナイ山の光景、モーセのときには、神の声が地を揺り動かしましたが、神の御子イエスを遣わされた神は約束をもって、こう言われます。「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。」

 

 黙示録6:12-14に、終わりに起こることが書かれています。

 「大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。天は巻物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。」とあります。

 

 これは、多くの預言者が昔から語っていたことです。イエスも言っておられます。

「まことに、あなたがたに告げます。すべてのことが起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。

 この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(ルカ21:32,33)

 

 ノアの時代、水で滅ぼされた神は、今度は、火で滅ぼされます。神は焼き尽くす火です。

 

 イスラエルと契約を結ばれたとき、神は、雷と稲妻と火と煙の中で山と地を揺り動かされました。地を揺り動かされた神が、今度は、地だけではなく、天も揺り動かすと言われるのです。それは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての被造物、すべての造られた揺り動かされるものが取り除かれるためです。

 

 天変地異が地球レベルで起こります。どこに逃げても無駄です。山は火を噴き出し、全山は激しく揺れ、全山は煙におおわれ、地は揺れ動きます。太陽は暗くなり、世界は闇となります。悪者や罪の贖われていない罪人は、恐怖のあまり、顔色を失います。

 

 神の民は、ラッパの響き、神の警告のことばに近づいているのではありません。神の民は、世の終わりに近づいているのではありません。

 

 神の民は、神の定められた平和、生ける神の都(この都の中に神殿は見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、子羊イエスとが都の神殿だからである。黙示録21:22)、天にあるエルサレム(天に引き上げられ、キリストの婚礼に招かれた、神に召されたもの、選ばれた者、忠実な者)と、無数の御使いたちの大祝会(神の子羊キリスト・イエスの披露宴、千年王国)に近づいているのです。

 

 また、天に登録されている長子たちの教会(贖われたユダヤ民族)、万民の審判者である神(白い御座による裁きの裁き主)、全うされた義人たちの霊(イエスを主と告白した死者の甦り)、さらに、新しい契約の仲介者イエスの贖い(御救い)の完成に近づいているのです。

 

 それは、神に叫んだアベルの血の義よりもすぐれた、罪を贖う血を流し、罪人を赦し、罪人を義とする、主イエスの贖いの血の御救いの完成に近づいているのです。

 

 神は、むかしユダヤ人の先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られました。様々な世代、様々な時代の預言者たちが、いろいろな角度から語ってきました。それは、一度に開かれたのではなく、多くの部分に分けて開かれました。

 

 この終わりの時には、神は、御子によって、語られました。御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。(ヘブル1:1-3)

 

 神は贖いのわざを成し遂げ、死から復活した子羊イエスに言われました。

 「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」

 

 この世が終わる時とは、神の御子イエス・キリストの敵がキリストの足台となる時です。キリストの血で贖われた世(千年王国)が始まる時なのです。悪魔の取り除かれた地上は、神の世となるのです。

 

 イエスを主と告白する者は、キリストの血で贖われた者たちの大祝会に近づいているのです。