ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

信仰を求める

 

 最初の人アダムが神に背く善悪の知識の木の実を食べたとき、死を飲み込みました。

 

 神の息が吹き込まれて生きる者となった人は、神の霊によって生きていました。神の霊は、神のことば(子なる神)とともにあり、神(父なる神)とひとつ心のものです。

 

 しかし、神に敵対する悪魔の食べ物(善悪の知識の木の実)を食べると、神の霊は人から離れました。そして、死が入りました。神の霊は、永遠のいのちです。人のいのちは、永遠のいのちの支配から死の支配下に移されたのです。人が自分自身で行なった行為の結果でした。

 

 アダムとエバから生まれる人すべての中に、死が潜んでいます。だれもが、死を抱えて生まれてくるのです。

 

 人類が生まれては死んで行くことを繰り返しているうちに、人間は死ぬものだ。形あるものは壊れる。人もいつかは死んで行く。死ぬことが人生の終着点であると理解されるようになって来ました。

 

 死を抱え持った人は、得体のしれない恐れに苛まされます。暗がりの中をたった一人で歩いているような不安を抱えています。目標がなく、道なき道をさまよいます。月の無い夜の海のざわめきのような、何かに脅かされているような孤独な憂いを感じます。

 

 このことを他人に話すことをためらいます。ひとりひとりが抱えている心の闇があります。心の闇というと、罪を思い浮かべますが、実はだれもが持っているものなのです。人の存在そのものが抱えている闇なのです。この闇の起源は、アダムとエバまで遡ります。生まれ持ったものなのです。

 

 闇をどう解決したらよいのか分からず、何かを求めます。闇を直視すると、気が変になりそうです。心の純粋な人は、闇の存在に気づいて悩んだ末に宗教に辿り着くということもあるでしょう。

 

 しかし、残念ながら宗教は人間が作り出した救いの手立てであって、死から生まれたものなのです。死から生まれたものは死です。

 

 キリスト教でも、宗教の霊と、神の霊があるのです。宗教の霊のキリスト教は、悪霊の支配下にあります。神の霊のキリスト教は、御霊の支配下にあります。

 

 悪霊の支配下とは、この世の霊のことです。人間の思いも考えも入ります。聖書を使い神のことを説きながら、真理に混ぜ物が入っています。イエス・キリストの教えから離れているのです。

 

 イエス・キリストが永遠のいのちであり、真理です。御霊が明らかにしてくださいます。それ以外の知識や知恵、能力、権力は、救いに何の力もありません。イエスのことばと聖霊がいのちを与えるのです。

 

 長い間、宗教の霊に支配されていた人は、いのちのことを死の中で聞いていたのです。キリスト教以外の宗教の霊に支配されていた人は、イエスを信じた後で、悪霊の攻撃を受けるでしょう。死ぬのではないのかと思うほどの殺意ある激しい攻撃です。

 

 悪霊どもがキリストに魂を取られたくないと、必死に奪い返そうとするからです。魂を取り返すことのできない悪霊は、彼らの主人である悪魔から恐ろしい折檻を受けるからです。

 

 イエス・キリストを救い主と信じて心に迎えるならば、心の闇を片付け、不安と死の恐怖から解放してくださると聞きました。自分で心の闇と対峙して自分で始末しなくてよいのです。救いをイエス・キリストに求め、イエスを主キリストと信じて心に迎え入れるならば、主の御霊が心の闇を照らし、片づけを導いてくださいます。

 

 御霊が勝手に闇のものを外に放り出すのではありません。闇を照らし、これは必要か?と尋ねてくださいます。その人が未練を持っている間は、残されます。捨ててよいものは自ら捨てる勇気をくださるのです。埃が被るほど長らく保管していたものも、捨てる気持ちを持って捨てるときが訪れるのです。

 

 御霊は、イエス・キリストのことばを食べる者のうちにあって、闇に支配された「死の子」から新しい「いのちの子」に造り変えてくださるのです。

 

 アダムの子らが抱えていた死は、イエス・キリストの十字架の死と血によって滅ぼされました。イエスを救い主として信じ受け入れる者は、イエスによって死を打ち砕かれています。死の支配に恐れることはありません。

 

 イエス・キリストは、悪魔と死を裁く裁き主である神が定めた唯一のキリスト(救い主)です。神が定めたキリストは、生まれる場所も時代も神が定めておられました。神がキリストとして認められる救い主は、ローマ帝国の支配下のベツレヘムでお生まれになった神のひとり子です。神のひとり子は、何度も地に生まれることはありません。たった一度で、肉体を持った神のひとり子は、ご自身を罪の生贄として献げ、贖いの血を流して墓に入り、死に勝利して墓から甦り、死から復活されたのです。

 

 本当の救い主、キリストは、死から甦られたイエス・キリストただおひとりです。「我こそキリストだ。」と言う者が、数多く世に起こっています。しかし、彼らの誰ひとり、墓から甦っていないのです。死んで墓に入ったままです。彼らは、「死」に勝利できないのです。なぜなら、彼らは人間であって、神が遣わされたキリストではないからです。

 

 他の宗教から出て、キリスト・イエスを信じる人は、信仰を求めてください。信仰は人から出るものではありません。神が与えるものです。神に信仰を求めましょう。イエスを信じる信仰を求めましょう。イエスを信じる信仰を持ち続けることができるように、神に求めましょう。

 

 宗教の霊が追いかけて来るからです。キリストの贖いの血を求め、神の子羊イエスの贖いの血で覆われ、罪(悪霊)が行き過ぎるのを、ひたすらイエスの御名にすがって耐え忍びましょう。

 

 その人がイエス・キリストにすがり、その信仰が確かなものであることを突きとめると、悪霊は離れて行きます。信仰の告白として、水のバプテスマを受けたらよいでしょう。

 

 信仰がイエス・キリストに定まると、キリストの御霊が来て、その人のうちに住み、正しい道を教え導いてくださいます。