ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

今は恵みの時

 

 イエスは言われました。

 「わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。

 わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」(ヨハネ9:4,5)

 

 イエスは語っておられました。

 神の御子キリスト・イエスを遣わされた方(生けるまことの神)のわざを、光のある昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる。

 イエス・キリストが地上にいる間、また、イエス・キリストの御名を呼ぶ者がいる間は、生ける神のいのちのわざが現われます。それは、昼の間の神の働きです。しかし、いのちの光であるキリストの御霊が世から取り去られると、世は闇となり、世は救いの光を見なくなるのです。

 

 死から復活されて天に上られ、ご自分を遣わされた方、父なる神のもとに帰られた救い主イエス・キリストは、救い主キリストの権威をもって、イエス・キリストの御名を呼ぶ者に、もうひとりの助け主、聖霊(キリストの御霊)を授けられます。

 

 聖霊を受ける者は、聖霊を受けた使徒たちのように、イエス・キリストの行なわれたわざを行なう賜物をいただきます。預言も癒しも悪霊追い出しも、キリストの御霊のわざです。

 

 神は、御救いを成し遂げた神のひとり子キリスト・イエスを天に引き上げられると、神の御子イエスを主キリストと告白する聖徒たちを助ける聖霊を遣わされました。今は、聖霊の働かれる時代です。聖霊は、聖徒のために執り成し、真理を教え、いのちの道に導き、キリストの御霊によってキリストに似た者に造り変えていかれるのです。

 

 聖霊が異邦人たちの間で働かれ、異邦人に救いのわざを完成されると、聖徒たちに聖霊を注がれた神は、再び、聖霊を御自分のもとに戻されます。

 

 イスラエルに約束された救い主キリスト(メシア)をイスラエルに遣わされて、神のわざを成し遂げたキリストを、再び、御自分のもとに戻された全知全能の生けるまことの神。

 神は、主イエス・キリストを信じる聖徒たちに約束されたもうひとりの助け主、聖霊をキリストの聖徒らに遣わされました。

 罪の贖いの血を流し神の御救いのわざを成し遂げた神の子羊イエスを死から甦らせて神の御座に引き上げられた神は、キリストの聖徒らを整えて神の子どもに造り変える神の御救いのわざを成し遂げた聖霊をもまた、再び、御自分のもとに戻されます。

 

 キリストの御霊が働く間は、いのちの光が輝く昼の時を過ごした世ですが、キリストの御霊が取り去られると、イエス・キリストが遣わされる以前のイスラエルのように、真理に暗い世となります。真理が悟れなくなるのです。世は、闇に支配され、いのちを求めても、いのちを得ることができません。

 

 それは、旧約聖書の時代のようです。神の召されたイスラエルの預言者や神の人の上に御霊が置かれ、彼ら以外には、だれも神から真理を受ける者はありません。足のともしび(神のみことば)にすがる時代が始まります。

 

 神の霊が置かれたユダヤ人たちが世界宣教をします。しかし、彼らの宣教によって救いを得る異邦人はいません。彼らには、福音の種(イエス・キリストへの信仰)がないので、彼らのことば(神のことば)を聞いて悟ることができないのです。

 その時、御救いを受けるのは、キリスト・イエスの福音のことばを聞いていた人々です。ぼんやりとしていた信仰の人々が神の人(召されたユダヤ人)のことばにすがり、自分の命を失っても神の御救いを求めて、イエス・キリストの御名にすがります。自分の信仰で自分のいのちを救うだけです。

 

 イエス・キリストの御名にすがり、キリスト以外のものを頼みとしない信仰によって、神に立ち返る者たちが、死と引き換えにまことのいのち(永遠のいのち)を得るのです。

 

 それは、毒蛇に噛まれ死にゆくユダヤ人たちが、モーセの造った青銅の蛇を仰ぎ見て生きたようです。青銅の蛇を仰ぎ見ない不信仰な人々は他の異邦人(契約のない民)と同じように死にました。しかし、わずかに残る希望をもって、青銅の蛇を仰ぎ見る者たちは死ぬことなく、生きたのです。

 

 時は「ユダヤ人の時」となりました。神は、ユダヤ人の心を揺さぶり、迫害と殺戮の中で、イスラエルの神に立ち返って十字架で死なれたイエスを主キリストと告白する者たちを起こされます。また、イスラエルの神以外を神としない真実な信仰者となって、命と引き換えに、御救いを受けるのです。

 

 聖書の神を知らない異邦人が救われる時は過ぎ去りました。今は、聖書の神の民である者が神に立ち返るときです。地上に残っているクリスチャンの刈り取りの時であり、ユダヤ人の救いの時です。

 

 ユダヤ民族は、神の選びの民であって、御救いの約束が与えられている民族です。こうして、ユダヤ人はみな、神の御救いを受けるのです。

 

 「兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがない(神が遣わされたキリストを信じることができなかった愚かなユダヤ人は神に捨てられたが、主イエス・キリストを信じる賢い私たちは神に選ばれた者だ、と高ぶることがない)ようにするためです。

 その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われるということです。

 こう書かれているとおりです。

 『救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。これこそ、彼らイスラエルに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。』」(ローマ11:25-27)

 

 一方、民族の救いの契約のない異邦人は、神が用意された救い主イエス・キリストに繋がらなければなりません。おのおのの民族にありながら、生けるまことの神が世に与えられた唯一の救い主イエス・キリストに出会わなければなりません。

 属している民族の中では、だれも、この御救いを教えてくれる者はいません。イエス・キリストを主とする主の民から受けるしかありません。

 

 イエス・キリストの福音を聞く者は幸いです。また、イエス・キリストを主と告白する信仰が与えられる者は幸いです。

 

 今は、恵みの時です。キリストの御霊が働く光に満ちた昼の世では、神の約束のない異邦人でも、神の御子イエス・キリストを信じる信仰を受けることができます。

 しかし、異邦人の御救いが完成する時が来ます。すると、役目を成し遂げた聖霊は、天に引き上げられます。いのちの光であるキリストの御霊が引き上げられた世は、偽りの光に満ち満ちた闇の世となります。真理の光はもう無いのです。

 

 真理の光がなければ、啓示の光もありません。神のことばを聞くことも、悟ることもできません。神の啓示を受け取る異邦人は、だれもいないのです。

 

 今、それぞれの国やそれぞれの民族の中で、イエス・キリストの御救いの福音を伝えることは、とても大切なことです。異邦人たちがイエス・キリストの福音を聞くことのできない闇の世が近づいているからです。

 異邦人の完成とは、神の御国に招かれる異邦人の数が満ちることです。神の御国の招きに応じた異邦人の中から、御国に入る者たちが選ばれます。キリストの民の中から信仰の勝利者を集められる時です。もはや、神を知らない異邦人にイエス・キリストの御名を宣教して神に立ち返らせる時ではありません。

 異邦人の救いの時は終わりました。神の民の時です。

 

 「神は言われます。

 『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』

 確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」(コリント二6:2)

 

 今は、異邦人に向けて神の御国の門が開かれています。キリストの御霊が、異邦人にも注がれているのです。今は異邦人も救いを受ける恵みの時なのです。