ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

地上の大祭司 天上の大祭司

 

 「アロンの子孫の大祭司たちは、死ということがあるため、務めにいつまでも留まることができず、大勢の者が祭司となりました。

 しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。

 したがって、ご自分に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、執り成しをしておられるからです。

 また、このように聖く、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。

 ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日生贄を献げる必要はありません。というのは、キリストは自分自身を献げ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。」(へブル7:23-27)

 

 モーセが仲介者となって立てた大祭司は、やがて寿命を迎えます。アロンも死にました。どんなにすぐれた大祭司も、死によって、その務めを終了します。それで、幾人もの人が大祭司として立ち、大祭司の職務が維持されます。

 

 「祭司職が変われば、律法も必ず変わらなければなりません。」(へブル7:12)

 

 しかし、死から復活された主キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。死から甦られたイエス・キリストは、永遠に生きておられます。もはや、死ぬことがありません。

 

 キリストはいつも生きていて、民のために、執り成しをしておられます。それゆえ、イエス・キリストの御名によって神に祈る者の祈りを聞き、また、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。

 

 地上の大祭司は、土から造られた肉のからだの(肉体を持つ)大祭司です。

 地上の大祭司は、まず自分のために、その次に、民の罪のために毎日生贄を献げました。そして、やぎと子牛との血を携えて聖所に入ります。その聖所は、モーセが神から御告げを受けて造ったものです。それは、天にあるものの写しです。写しであって、本物ではありません。いわば、天にあるものの写しと影です。

 

 大祭司はみな、人々の中から選ばれ、神に仕える事柄について人々に代わる者として、任命を受けたのです。それは、罪のために、献げ物と生贄とを献げるためです。

 彼は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な迷っている人々を思いやることができるのです。

 そしてまた、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分のためにも、罪のための献げ物をしなければなりません。(へブル5:1-3)

 

 天上の大祭司は、死から甦られた復活のからだ(霊のからだ)の大祭司です。

 天上の大祭司は、まず自分のために、その次に、民の罪のために毎日生贄を献げる必要はありません。神の御子イエスは、自分自身を献げ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはありません。

 「神の御子イエスは、ご自分の血をもって、本物の模型にすぎない手で造った聖所ではなく、天そのものに入られたのです。」(へブル9:24)

 

 神の御子イエスは、神の御前に憐れみ深い忠実な大祭司となって、民の罪を贖うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。

 イエス・キリストは、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになります。(へブル2:17,18)

 

 天上の大祭司は、地上で救いのわざを成し遂げ、天に帰られた神のひとり子イエス・キリストです。

 天上の大祭司は、天におられる大能者(父なる神)の御座の右に着座された方であり、主が設けられた真実の幕屋である聖所に仕えておられます。人間が設けた天にあるものの写しと影とにではなく、まことの聖所で仕えておられます。(へブル8:1)

 

 キリストはいつも生きていて、民のために、執り成しをしておられます。死のない主キリストは、地上で死んだ人々の祈りも覚え、彼らの死後でもその祈りの答えを現わされます。彼らの死で彼らの祈りが地に落ちることがありません。

 

 変わることのない祭司の務めを持っておられ、聖く、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。(へブル7:28)

 

 モーセは、神のしもべとして神の家全体に忠実でした。

 イエスは、ご自分を立てた方(父なる神)に対して忠実なのです。

 

 家を建てる者が家そのものよりもさらに尊ばれます。イエスは、新しいイスラエル、すなわち、神に帰り、天に引き上げられるイスラエルの家を造られます。イエスはモーセよりも大きな栄光を受けるのにふさわしいとされました。

 家はそれぞれ、だれかが建てるのですが、すべてのものを造られた方は、神です。(へブル3:4)

 

 モーセは、神のしもべとして神の家全体のために忠実でした。しかし、キリストは神の御子として神の家を忠実に治められるのです。(へブル3:5,6)

 

 地上を歩まれた主イエスは、天上において、さらにすぐれた務めを得られました。それは、キリスト・イエスが、さらにすぐれた約束に基づいて制定された、さらにすぐれた契約の仲介者であるからです。(へブル8:6)

 

 さらにすぐれた約束とは、神の御子イエスの贖いの血で罪は赦され、義とされるということです。律法の違反は帳消しにされ、罪の無い者とされるのです。神の御子イエスの贖いのわざによって、律法の呪いから永遠に解放してくださる、という恵みに満ちた約束です。

 

 さらにすぐれた契約とは、神が遣わされた主キリスト・イエスを信じて神の義を受ける者を、御霊によって新しく生まれさせ、神の子どもとしてくださるという契約です。神の民イスラエルの契約から、キリスト・イエスにおいて、永遠に生きる神の子どもたちの家、神の家族イスラエルの契約が与えられました。キリストは、新しい契約の仲介者であるからです。

 それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産(天の御国の相続)の約束を受けることができるためです。(へブル9:15)

 

 天上では、いつも私たちのために執り成しがされています。天上の大祭司キリストは、弱い私たちを憐れまれ、私たちを神に受け入れられる者として執り成し、守ってくださっているのです。