ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

永遠の律法

 

 「あなた(神)は、生贄や献げ物を望まないで、わたし(神のひとり子)のために、からだを造ってくださいました。あなたは全焼の生贄と罪のための生贄とで満足されませんでした。

 そこでわたしは言いました。

 『さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについて記されているとおり、神よ、あなたの御心を行なうために。」(へブル10:5-7)

 

 祭司が毎日立って礼拝の務めをなし、同じ生贄を献げますが、それらは決して罪を除き去ることができません。それゆえ、祭司は毎日生贄を献げました。これらの生贄と献げ物では、神は満足されませんでした。

 

 罪を完全に取り去ることのできない生贄と献げ物で満足されなかった神は、御自身のひとり子に肉体を造り、人と同じようにされ、地上に遣わされました。罪のない全き「人の子」となられた神の御子イエス。神に忠実で、神のことばに聞き従い通されました。

 

 「人の子」イエスは、神の御心を満足させる、完全な人でした。イエスのうちに罪を見出すことがありません。この傷なき完全な人は、神の子羊として、神の御前を従順に歩まれました。神のことばから外れることがありません。神の御心を満足させる、全き生贄の子羊です。

 

 神が肉体を造られた神の御子は、神の御心を満足させる贖いの神の子羊として、イスラエルに遣わされました。イスラエルでは、祭司が、まことの神に生贄を献げていました。しかし、神は、その生贄を満足しておられなかったのです。生贄を献げながら、民はまた罪を繰り返すのです。民の罪は終わることがありません。罪の生贄を献げながら、その心は神から離れているのです。良心をきよめることができません。民には、罪が残ったままです。

 

 人の子としてイスラエルに来られた神の御子イエスは、地上に来て、神に言われました。

 「さあ、わたし(神の御子イエス)はあなた(父なる神)の望みどおり、肉体を持つ人の子として地上に来ました。聖書のある巻に、救い主(神の子羊キリスト)について記されているとおり、神よ、あなたの御心を行なうために。」

 

 神の御子イエスは、民の罪の身代わりの生贄、贖いの子羊として、イスラエルに来られたのでした。父なる神の御心を満足させる、完全な生贄と献げ物として来られたのです。神の祭司の国民ユダヤ人によって、神の子羊イエスは、肉を裂き十字架につけられ、屠られました。

 

 神の子羊イエスの血は、天の聖所をも聖めました。キリストの血は、神に満足される献げ物です。キリストは聖なるものとされる人々を、一つの献げ物(ご自分の血)によって、永遠に全うされました。(へブル10:14)

 

 神は、キリストの血をご覧になって、「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」(へブル10:17)と仰せられます。

 神は、神の子羊イエスの贖いの血によって、罪を赦されました。罪が赦された以上、罪のための献げ物はもはや無用です。

 

 神が用意された神の子羊(イエス・キリスト)の贖いの血は、神に近づいて来る人々を、完全にすることができます。神は、キリストの血によって罪を赦し、義とされるのです。キリストの贖いの血による救いを信じた者は、もはや罪を意識することがありません。神に聖められ、義とされるので、裁きを恐れることがないからです。

 

 神の御子イエスは、ご自分の肉体という垂れ幕を通して、祭司も入ることのできなかった天にあるまことの聖所を開き、信じる者たちのために、新しい生ける道(天の御国に帰る道)を設けてくださいました。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。

 

 聖霊も私たちに次のように言って、あかしされます。

 「それらの日の後、わたしが、彼らと結ぼうとしている契約は、これであると、主は言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いに書きつける。」(へブル10:15,16)

 

 それらの日の後とは、呪いの道を歩む神に不敬虔なイスラエルを懲らしめた後のことです。彼らが嘆き、神を求めるようになると、神の憐れみが彼らに注がれ、新しい契約を結ばれます。

 イスラエルは彼らの主を裏切り、神の契約を破ってしまいました。彼らの時代の後に、神は、イスラエルの家と新しい契約を結ばれます。

 それは、「わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書き記す。」ことです。そして、「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」と言われました。

 

 この新しい契約は、神の御子キリストによって結ばれました。キリストを信じる者は、心にキリストの血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水(水のバプテスマ)で洗い、御霊(聖霊のバプテスマ)を授けられます。

 

 聖霊によってキリストを信じる者の心に置かれた律法は、彼らの思いに書きつけられるのです。

 

 この新しい契約は、聖霊によって完成されます。血肉の兄弟イスラエルに与えられた契約ですが、血肉のイスラエルとの契約ではありません。イエスを神の御子と信じる者と結ぶ契約です。

 

 キリストの御霊を受ける者は、新しい契約を結ぶものです。

 それで、神は言われます。

 「わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ31:33)

 

 「わたしは、わが民でない者をわが民と呼び、愛さなかった者を愛する者と呼ぶ。」(ローマ9:25)というように、ホセア2:23の聖書のことばが成就するのです。神の契約の外にいた異邦人も、キリストと契約を結ぶことで神の民に数えられるのです。これは破られる契約ではありません。永遠の律法(キリストの御霊)によって守られます。

 

 新しい契約では、神の御子キリストを信じる者を神の民イスラエルとします。神との契約を持つ血肉のイスラエルは、神の時が来れば、心の覆いが取り除かれて、キリストを主と告白する者とされます。

 ローマ11:25,26にこう書かれているからです。

 「奥義とは、イスラエルの一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなるときまでであり、こうして、イスラエルはみな救われるのです。」

 

 血肉のイスラエルがイエス・キリストを拒絶しているのは、救いが異邦人に及ぶためです。イスラエルの不信仰(神が遣わされたキリストを信じることができない)は、神と世界の和解のためです。しかし、イスラエルは受け入れられるのです。なぜならば、神が終わりの日に立てる証人(黙示録11:3-6)による、神のしるしと奇跡と預言によって、ヤコブ(ヤコブの子孫イスラエル)から不敬虔を取り払うからです。これこそが、ヤコブの子孫に与えられた神の契約であり、神が彼らの罪を取り除く時なのです。

 

 アブラムをアブラハムと改名された主が「あなたは多くの国民の父となる。」といわれたことばが成就します。女の子孫、神の御子イエス・キリストの新しい契約によって、聖書に書かれていることばはことごとく成就します。

 

 新しい契約の民(永遠のいのちを受けるイスラエル)は、永遠の律法(御霊)によって、キリストのからだとされ、神の子どもとされて、天の御国で永遠に生きるのです。