ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神に近づく希望

 

 「もしあの初めの契約が欠けのないものであったなら、後のものが必要になる余地はなかったでしょう。しかし、神は、それに欠けがあるとして、こう言われたのです。

 『主が、言われる。

 見よ。日が来る。わたしが、イスラエルの家やユダの家と新しい契約を結ぶ日が。

 それは、わたしが彼らの先祖たちの手を引いて、彼らをエジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らがわたしの契約を守り通さないので、わたしも、彼らを顧みなかったと、主は言われる。

 それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。

 わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

 また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ。』と言うことは決してない。小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからである。

 なぜなら、わたしは彼らの不義に憐れみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さないからである。」(へブル8:7-12)

 

 モーセの与えた契約は、イスラエルが守り通すことのできないものでした。へブル書に書かれたことばは、エレミヤ書31:31-34の引用です。エレミヤの時代に、すでに、神はイスラエルに新しい契約を与えることを約束されていたのです。神の律法を受けたイスラエルは、律法の違反者たちの集団でした。

 

 聖書では、イスラエルの家とユダの家というように、北イスラエル王国に属するアッシリア捕囚で離散した十部族と、南ユダ王国に属するバビロン捕囚から帰還した二部族に分けて語られることがあります。

 

 しかし、新しい契約は、イスラエルの家(北イスラエルと南ユダが一つとなったイスラエル)と結ばれます。もはや、二つに分裂した王国ではなく、二つは一つとなり、イスラエルは回復されます。ひとりの王イエス・キリストをイスラエルの王とする、ダビデに約束されたとこしえの王国です。回復したイスラエルとして、キリスト王国が建国されるのです。

 

 肉のイスラエルではありません。永遠に生きる者たちのイスラエルです。アブラハム、イサク、ヤコブの子孫の血肉のイスラエルではありません。モーセの律法を守るユダヤ教徒のイスラエルではありません。イスラエルの王であるキリストの血の契約を持つ者たちのイスラエルです。

 

 この新しい契約を結ぶイスラエルは、新しく聖霊によって生まれ、キリストの御霊によって新しく創造された、イスラエルの王キリスト・イエスの国民です。

 

 神は、彼らに御霊をお与えになり、神の律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけられます。すると、モーセの律法のように、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ。』と言うことはありません。すべての者は、小さい者から大きい者に至るまでみな、罪を贖い救ってくださったイエス・キリストを知り、イスラエルの王を知っているからです。

 新しいイスラエルの「イスラエルの王」は、彼らの不義に憐れみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さないからです。

 

 新しい契約は、神の御子キリストの血の契約です。律法の違反の罪の贖いを成し遂げられた主キリストの与えられる契約です。この契約には、憐れみがあります。肉体を持つ人の子となられ、肉の人の弱さをよく知る神の御子の契約です。

 

 土からできた人は、弱い者です。自分の力では、神の義を得ることができません。神に受け入れられる完全な者になることはできません。

 「前の戒めは、(人が)弱く無益なために、廃止されましたが、―律法は何事も全うしなかったのです。―他方で、さらにすぐれた希望が導き入れられました。私たちはこれによって神に近づくのです。」(へブル7:18,19)

 

 以前の戒めは、神を恐れさせます。神は恐ろしい方、として心に映ります。戒めを破ると罰せられる厳格な神を見ています。しかし、律法を守ることの要求は、弱い人間には無益なものであるために廃止されました。

 

 神は、彼らの不義を罰せられるのではなく、憐みをかけられました。神のひとり子による贖いのわざを実行されました。神の御子イエスが、彼らの罪の呪いをひとりでお受けになられました。それで、神は彼らの罪を赦されました。赦した彼らの罪を思い出すことはありません。

 

 罪が赦され、義とされた人には、以前の律法の契約にまさる契約、さらにすぐれた希望が導き入れられたのです。神が遣わしてくださった罪の贖いの子羊イエスの贖いの血が流された後には、イエスが神の御子キリストであると信じる者に、聖霊が注がれ、その人のうちにキリストの御霊が住まわれます。

 

 神の御子キリストが分け与えてくださった御霊によって、神を「アバ、父。」と呼び、神に近づく者とされるのです。

 

 律法で神を知っていたときのように神を恐れることがありません。神は、神の御子イエスの贖いのわざとキリストが授ける聖霊のバプテスマによって、新しいものに創造してくださいます。肉で生きて肉で死んでいく者ではありません。神に義とせられ、永遠のいのちと復活のからだをいただき、神の子どもとしてくださるのです。

 

 イエス・キリストの御名により授けられた御霊によって、教えられ、神を知る者、神を愛する者、神を賛美し喜ぶ者として造り変えられます。御霊によって生まれ、御霊によって教えられ、御霊によっていのちの道へと導かれます。神の御前で永遠に生きる者、神の子どもとして造り変えてくださるのです。

 

 古い契約の仲介者はモーセでした。イエス・キリストが新しい契約の仲介者です。イエス・キリストによる新しい契約のうちに入った者には、いのちがあります。いのちの主(イエス・キリスト)に繋がり、神に立ち返った者だからです。いのちを得た者は、イエス・キリストの御名によって、父なる神に近づくことができます。イエス・キリストの御名によって祈り、その祈りに神が答えてくださいます。

 

 それは、神の御子イエス・キリストによって、神の家族とされたからです。神が新しい契約を結ぶ新しいイスラエルの家を造られます。御霊の教会です。

 

 ヤコブの子だけがイスラエルなのではなく、イエス・キリストの御霊によって、新しく創造された神の民が、神の民イスラエルとなり、イエス・キリストをイスラエルの王として地上に迎えるのです。

 

 新しい契約は、すべての民族、すべての国、すべての国民、万民と結ばれます。すべてのものは、神が造られたものであり、神の御子のものだからです。

 

 神の御子イエス・キリストのお与えになる血(十字架で流された贖いの血)の契約には、希望があります。私たちには、神と人との間の仲介者としての大祭司である神の御子イエスがおられます。

 

 「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。

 ですから、私たちは、憐れみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(へブル4:15,16)