ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ユダヤ人のDNAに埋め込まれたエルサレム

                                               

 「神よ。国々は、御自身のものである地に侵入し、あなたの聖なる宮を汚し、エルサレムを廃墟としました。」(詩篇79:1)

 

 聖書では、「主が御自分の名を置くためにイスラエルの全部族の中から選ばれた都、エルサレム。」(列王記Ⅰ 14:21)とあります。

 

 ダビデ王の子ソロモンが神に背くと、神は、ソロモン王の子の手から王国を引き裂くことを告げられました。「ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族(ベニヤミン族)だけをあなたに与えよう。」(列王記一11:13)と仰せられました。

 

 エルサレムは、神御自身が、御自分のために選ばれた神の都です。イスラエル十二部族の土地の中で、神のために聖別された場所です。神の御計画は、神が定められたエルサレムから移ることはありません。エルサレムは、万軍の主のための都です。

 神の御心は、神がお定めになったイスラエルと、また、エルサレムとともにあるのです。

 

 しかし、イスラエルの心は神から離れ、悪いものとなりました。

 「これを聞け。ヤコブの家(ユダヤ民族)のかしらたち、イスラエルの家(神と契約を結ぶユダヤ人)の首領たち。あなたがたは公義を忌み嫌い、あらゆる正しいことを曲げている。血を流してシオンを建て、不正を行なってエルサレムを建てている。

 そのかしらたちはわいろを取ってさばき、その祭司たちは代金を取って教え、その預言者たちは金を取って占いをする。

 しかもなお、彼らは主に寄りかかって、『主は私たちの中におられるではないか。わざわいは私たちの上にかかって来ない。』と言う。

 それゆえ、シオンは、あなたがたのために、畑のように耕され、エルサレムは廃墟となり、この宮の山は森の丘となる。』」(ミカ3:9-12)

 

 神は、御自身の住まいであるエルサレムを廃墟とすることを告げられました。神御自身で決められたのです。御自身のために定めた神の都エルサレムが廃墟になるようなことを神はされないと高をくくるのは、人間です。

 しかし、神は信仰を失った空っぽのエルサレムにしがみつくお方ではありません。神は、エルサレム以上に、信仰を持つイスラエルを慕われたのです。御自分の都の栄光を滅ぼして廃墟としてでも、イスラエルのうちに信仰が回復されることを望まれました。

 

 神は宣言されました。

 「わたしはエルサレムを石くれの山とし、ジャッカルの住みかとする。ユダの町々を荒れ果てさせ、住む者もなくする。

 知恵があって、これを悟ることのできる者はだれか。主の御口が語られたことを告げ知らせることのできる者はだれか。

 どうしてこの国(イスラエル)は滅びたのか。どうして荒野のように焼き払われて、通る人もいないのか。

 主は仰せられる。

 『彼ら(イスラエル)は、わたしが彼らの前に与えたわたしの律法を捨て、わたしの声に聞き従わず、それに歩まず、彼らのかたくなな心のままに歩み、先祖たちが彼らに教えたバアル(外国の偶像の神々)に従って歩んだ。』

 それゆえ、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。

 『見よ。わたしは、この民に、苦よもぎを食べさせ、毒の水を飲ませる。彼らも先祖たちも知らなかった国々に彼らを散らし、剣を彼らのうしろに送り、ついに彼らを絶滅させる。』」(エレミヤ9:11ー16)

 

 神は、イスラエルの心のうちにある偶像を打ち壊し、神に立ち返らせるために、彼らをイスラエルの地から引き抜いて諸国の間で苦しめて、偶像に汚れたユダヤ人を滅ぼされました。

 

 諸国に散らされたユダヤ人の心には、神の都エルサレムへの思いが焼き付けられていました。人に永遠を想う思いを与えられた創造主が、御自分の民イスラエルに神の都エルサレムを想う思いを与えられたのです。

 

 諸国に離散したユダヤ人たちの過越しの祭りの挨拶は、「来年こそはエルサレムで。」だったそうです。数千年の間、エルサレムは、ユダヤ人の希望であり、憧れだったのです。

 それなのに、なぜ、先祖の地(カナンの地)にイスラエル国家が築かれた今、諸国のユダヤ人たちは先祖の地を所有しないのでしょうか。

 

 諸国に散らされたのは、イスラエルが神に罪を犯した結果です。ユダヤ人の国(イスラエル)が建国されたのは、神の怒りのときが終わって神がイスラエルを御自分の民として受け入れてくださった結果です。イスラエルに帰還することは、イスラエルの神に帰る行為です。

 帰る場所シオンがありながら、なぜ、外国の地から脱出しないのでしょうか。なぜ、苦よもぎを食べ、毒の水を飲み、剣が追って来る地、嘲りと憎しみと迫害の地に留まるのでしょうか。

 神の憐れみをないがしろにしてはいけません。神は、ユダヤ人の苦しみと嘆きの声に応えて、ユダヤ人の国を造られたのです。彼らの心が神に定まらないために、パレスチナ問題は残されています。

 

 エルサレムは神の都です。万軍の主のものです。ユダヤ教徒のものでもなく、イスラム教徒のものでもなく、キリスト教徒のものでもありません。聖書の神のものです。神御自身の御住まいなのです。

 

 「万軍の主はこう仰せられる。『わたしは、シオンをねたむほど激しく愛し、ひどい憤りでこれをねたむ。』

  主はこう仰せられる。『わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住もう。エルサレムは真実の町と呼ばれ、万軍の主の山は聖なる山と呼ばれよう。」(ゼカリヤ8:2,3)

 

 エルサレムが誰のものだと人間が争っている間は、神は来られません。今、エルサレムに万軍の主の神殿はありません。神の御住まいはエルサレムにないのです。

 

 神の御子イエスの血とキリストの御霊により新しく生まれ、新しく創造された主キリストの弟子、すなわち、神の子どもたちのうちに聖霊が住まわれます。神の子どもたちは、聖霊の住まわれる宮です。それは、エルサレムにあるのではありません。

 世界の国々の中で、キリストの御霊を宿す「聖霊の器」が存在しています。これらの土の器(肉体)は、神が神の御子キリストにあって、神の子羊イエスの贖いの血と御霊によって新しく設けられた「聖霊の宮」「神の神殿」なのです。

 

 ユダヤ人の間で、聖霊の宮が増えて、イスラエルの地が「神の神殿」の集まりとなるとき、イスラエルの地に、神の御子キリスト・イエスが再び来られて、新しいエルサレムが天から降りてきます。

 

 地上のエルサレムが荒らされることは神の御計画のうちにあります。イエスは、地上のものに固執される方ではありません。死から復活したイエスは、永遠に生きる霊のからだのキリストです。霊のからだのキリストに、年を経て古くなり朽ちて行く人間の手でつくった神殿はふさわしくありません。

 

 イスラエルの王としてエルサレムに来られる主キリストのために、神は、新しいエルサレムを用意しておられます。

 

 「私(黙示を見たヨハネ)はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。」(黙示録21:2)

 イスラエルの王、神の御子キリストは、新しいエルサレムのただ中に住まわれます。こうして、エルサレムは真実の町と呼ばれ、万軍の主の山は聖なる山と呼ばれるのです。

 

 「万軍の主はこう仰せられる。

 『見よ。わたしは、わたしの民を日の出る地と日の入る地から救い、彼らを連れ帰り、エルサレムの中に住まわせる。このとき、彼らはわたしの民となり、わたしは真実と正義をもって彼らの神となる。』」(ゼカリヤ8:7,8)

 

 そして、多くの国々の民(諸国の民)、強い国々がエルサレムで万軍の主(イスラエルの王イエス・キリスト)を尋ね求め、主の恵みを請うために来るのです。(ゼカリヤ8:22)

 

 ユダヤ人たちが慕い求めたエルサレムは、天から下りて来る新しいエルサレムとなります。新しいエルサレムは万軍の主のものとなり、平和が実現します。