ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

反キリストの霊

 

 「小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現われています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。」(ヨハネ一2:18)

 

 反キリストとは誰でしょう。真理の神から出たキリストを否定する者です。

 神が遣わされた者は、真理です。真理(神)から出た者です。真理の神から出たキリスト・イエスを否定する者は、遣わされた神(真理)をも否定する者です。真理を否定する者は、偽り者です。

 

 「反キリスト」と言うと、ダニエルが預言した、「聖なる所に立つ荒らす憎むべき者」のことだと思ってしまいます。これは、イエスも語られています。この反キリストが現われることは、神に定められています。

 竜(悪魔)の権威が与えられた、七つの頭と十本の角とを持つ獣をさします。黙示録にも、ダニエル書にも預言されています。

 キリストが地上に来られる直前に、世界の覇権を握る悪魔の子です。それは、ひとりの人です。

 

 しかし、ヨハネ一の手紙に書かれているのは、反キリストの霊です。反キリストは、終わりの時に立つ悪魔の子ひとりだけではないようです。神の民に立ち向かう者、また、人々を神のことばから離し救いから引き離す霊です。

 

 ヨハネ一4:13には、こう書かれています。

 「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、試しなさい。なぜなら、偽預言者がたくさん世に出て来たからです。

 人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。

 イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。」(ヨハネ一4:13)

 

 イエスとともに生活をした弟子のヨハネの時代からすでに、反キリストの霊は働いていたのです。

 

 イエスのキリスト性を強調するゆえに行き過ぎて、イエスを超人として現われた神の御子であることを主張して人の子であることを否定する者も現われたようです。人となって来られたイエス・キリストではなく、神としてのキリストを告白します。つまり、キリストは、初めから永遠に生きておられる方であり、永遠に生きておられる神の御子だから死なない、とするのです。

 

 しかし、神は、イスラエルに「ダビデの子」と呼ばれる人の子を遣わされたのです。ユダヤ人は、メシアを人の子のような姿の方として待ち望んできました。神がエバや蛇に言われたように、キリストは蛇の頭である悪魔を踏み砕く人の子です。神のことばによって悪魔に勝利する人の子です。女から生まれる肉体の人なのです。

 

 神がイスラエルに遣わされたキリストはこのような人です。すなわち、肉体の人が人の罪の身代わりに死んで、滅びを体験し、神の御力で死から甦られたのです。

 肉体の人の罪を贖うために、ご自分が肉体の人となられたのです。自ら苦しみと死と滅びを体験されたのです。ご自分が痛むことなく、神の御子の力で、罪を消したのではありません。ご自分の肉体を裂き、ご自分の血を流し、一度、完全に死なれたのです。そして、ご自分の血で、民の罪を贖われました。人の子イエスは、神の子羊として、イスラエルに来られたのです。

 神の御子という栄光のからだで来られたのではありません。ご自分の民、イスラエルと同じ人の子となられました。ユダヤ人の同胞、ご自分の民の兄弟として、イスラエルの神の民の中に生まれてくださったのです。

 

 人と同じようになられた神の御子ですが、人と違うのは、完全に律法を守られたということです。神の御子だから、完全であったのではなくて、肉体を持ちながら父なる神のことばに聞き従って罪の誘惑に打ち勝たれたのです。それで、キリストとしての任務を完全に果たされたのでした。イエスは、神のことばから離れませんでした。神のことばの中を、神のことばとともに歩まれたのです。

 

 最初のアダムは、神のことばの中に置かれていながら、悪魔の言葉に耳を傾けて神のことばから外れました。最後のアダム、第二のアダムは、悪魔を𠮟りつけて、悪魔の言葉に対して神のことばで応酬し、神のことばから外れることがありませんでした。イエスは、悪魔に勝利した人の子です。悪魔を踏み砕くために女から生まれた人の子でした。

 

 人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。

 しかし、偽り者は、このことを利用して真理を曲げます。

 偽預言者や偽り者は、キリストが人とは違う特別な者であることを言い含めキリストを神の御心によって聖別された人として持ち上げつつ、自分がキリストだと思い込ませるのです。そうして、自分自身をキリストと名乗る者たちは、自分の特異性を人々の思いに洗脳し、自分が神から出た者であることを強調して自分をキリストの座に据えるのです。

 

 また、イエスが主であることを告白しない者は、イエスのことばを利用するだけであり、キリストの栄誉を自分のものとします。偽り者は、主の存在を認めません。イエスが主であれば、自分が主になれないからです。

 イエス・キリストを告白しない霊は、どれひとつとして神から出たものではありません。聖書のことばを用いてキリストに敵対する者であり、反キリストの霊です。

 

 反キリストの霊は、イエスが主キリストであることを望みません。イエス・キリストが高められることを憎み、神から出たキリスト・イエスに敵対する者です。それは、神に敵対する悪魔から出た霊です。

 

 「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。

 すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。

 世と世の欲は滅び去ります。しかし、神の御心を行なう者は、いつまでもながらえます。」(ヨハネ一2:15-17)

 

 自分自身の栄誉を求めることなく、また、大きな力を持つこともなく、自分を愛する以上に主を愛する心の低い小さい者に、ヨハネは告げます。

 能力が豊かで力を持ち華やかで自分を高めていた人々が私たちの中から出て行きましたが、もともと私たちの仲間ではなかったのです。そうなったのは、彼らがみな私たちの仲間でなかったことが明らかにされるためなのです。(ヨハネ一2:19)

 

 「偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。

 だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を告白する者は、御父を持っているのです。」(ヨハネ一2:22,23)

 

 旧約聖書を信じ守っていても、神の御子キリストを否認する者は、聖書の神に受け入れられません。

 神の御子キリストを信じていても、旧約聖書を信仰の土台に置いていない者の信仰(神の選びの民ユダヤ人を否定する者)は御父を知りません。

 

 反キリストの霊は、神の御子キリストを否認するだけではありません。イスラエルの神、すなわち、父なる神(ユダヤ民族と契約を結ばれたイスラエルの神)を否認することもまた、反キリストの霊によるのであって、約束の永遠のいのちを取り去るのです。

 

 反キリストの霊は、世界中で働いています。彼らの居場所は教会の中にもあります。