ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

変わらない約束

 

 「わたしに聞け、ヤコブの家(ユダヤ民族)とイスラエルの家(ユダヤ人の兄弟とされたキリストにある者)のすべての残りの民(神に忠実な人々)よ。

 胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。

 あなたがた(神の聖徒たち)が年をとっても、わたし(神)は同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。

 なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」(イザヤ46:3,4)

 

 神は、イスラエルを、永遠の愛をもって、愛しておられます。

 イスラエルの不服従によって、イスラエルの神は、約束のなかった異邦人に御救いをお与えになりました。しかし、それは、イスラエルの神が神に仕えたこともなかった無割礼の異邦人を憐れみ、神が異邦人を祝福されるのを見たユダヤ人に妬みを起こさせるためでした。

 

 イスラエルの神は、預言者エレミヤに現われて、イスラエルに告げて仰せられました。

 「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。

 それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。

 おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。」(エレミヤ31:3,4)

 

 神は、四千年前のアブラハムにお与えになられた契約を守られます。神は、アブラハムゆえに、アブラハムの子孫(アブラハムの契約と祝福を受け継ぐイスラエル)を愛されます。

 すべての民族が滅んでも、神は、イスラエルを火の中から取り戻されます。

 

 神は、モーセを通して、ユダヤ民族と契約を結び、神の民イスラエルとされ、御自身をイスラエルの神と名乗られました。

 「神の宮殿は、その定められている所に建つ。」(エレミヤ30:18)と仰せられます。神は、神が定められたエルサレムに神の宮殿を建てられます。

 現在、そうなっていないからと言って、侮ってはなりません。

 

 「あなたがた(ユダヤ民族)はわたしの民(イスラエル)となり、わたし(神)はあなたがたの神(イスラエルの神)となる。」(エレミヤ31:22)

 四千年前のアブラハムの契約を守られる神は、イスラエルの契約も守られます。

 

 神の約束は、「わたし(神)は人を増やして減らさず、彼ら(ユダヤ民族)を尊くして、軽んじられないようにする。その子たちは昔のようになり(神がお与えになられた相続地〈カナンの地〉に住み)、その会衆はわたしの前で堅く立てられる。(神の民〈ユダヤ民族とキリスト者〉はとこしえに神の国で生きる者となる。)わたしはこれらを圧迫する者をみな罰する。(神はユダヤ民族とキリスト者を迫害する者をみな滅ぼす。)」(エレミヤ30:19,20)

 

 神は、約束を果たされます。

 「主の燃える怒りは、御心の思うところを行なって、成し遂げるまで去ることはない。終わりの日に、あなたがた(ユダヤ民族とキリスト者)はそれを悟ろう。」(エレミヤ30:24)

 ユダヤ民族とキリスト者は、とこしえのイスラエル王国が地上に建つとき、それを自分の目ではっきりと見るのです。

 彼らを苦しめた迫害者たちは、もういません。天から来られたメシア(復活のキリスト・イエス)が、激しい御怒りで滅ぼされたからです。

 

 今、現実に起きていないからと言って疑う者は、神の前に立つ者ではありません。神の前に立つ者は、神が約束を覚えておられるように、神の約束を信じて待ち望む者です。信仰のある者が、神の前にとこしえに立つ者です。神を信じる者が神の御国に入る者です。

 

 万軍の主はこう仰せられます。

 「その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、ひとりのユダヤ人のすそを堅くつかみ、『私たちもあなたがたといっしょに行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ。』と言う。」(ゼカリヤ8:23)

 

 その日には(千年王国の時代が開かれると)、世界中の人々は、神がユダヤ人とともにおられることを知るのです。

 諸国民は、ユダヤ人の国、エルサレムに万軍の主がおられることを知り、主の恵みを請うために、エルサレムで万軍の主を尋ね求めます。

 そして、ユダヤ人にすがり、神の所に行きたいと願うのです。イスラエルの神に、永遠のいのちがあり、エルサレムの万軍の主(神の子羊イエス・キリスト)に永遠のいのちを与える主権があることを知るからです。

 

 ユダヤ人は神に逆らい(彼らは神が遣わされた神のひとり子イエス・キリストを信じなかった)、主の聖なる御霊を痛ませたので、主は彼らの敵となり、みずから彼らと戦われました。

 彼らを滅ぼすためではありません。彼らを神に立ち返らせて、彼らに御救いの約束を実現するためです。

 

 「彼ら(ユダヤ人たち)が苦しむときには、いつも主も苦しみ、御自身の使いが彼らを救った。

 その愛と憐れみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」(イザヤ63:9)

 

 「主は仰せられた。

 『まことに彼らはわたしの民、偽りのない子たちだ。』と。

 こうして、主は彼らの救い主となられた。」(イザヤ63:8)

 

 神のひとり子(ナザレのイエス)を罪の贖いの子羊として神がお与えになられたのは、イスラエルでした。

 神は、イスラエルの罪を贖われました。キリストの血を信じて受ける者はみな、とこしえのイスラエルに加えられるのです。救われる者はみな、イスラエルとなるのです。すなわち、神はイスラエルのために神の子羊イエスを遣わされたと言ってよいのです。

 イスラエルの神は、神の子羊イエスを遣わされたイスラエルの贖い主なのです。

 

 神の約束が変わらないことは、イスラエルを見ればわかります。神は、約束に忠実なお方です。

 「『わたし(神)はほんのしばらくの間、あなた(イスラエル)を見捨てたが、大きな憐れみをもって、あなたを集める。

 怒りがあふれて、ほんのしばらく、わたしの顔をあなたから隠したが、永遠の愛をもって、あなたを憐れむ。』とあなたを贖う主は仰せられる。」(イザヤ54:7,8)

 

 ホロコーストで六百万人のユダヤ人が殺されました。しかし、神は、彼らを捨てたわけではありません。

 神は、彼らにユダヤ人の国を与えになり、離散していたユダヤ人のためにイスラエル国家を再建されました。

 

 神の約束はこれで終わりではありません。

 次に、神はとこしえのイスラエル王国の建国を実現されます。そこには、ユダヤ人の兄弟となった、キリスト者たちも集められます。

 

 神の約束は変わりません。

 たとい、民が悪いものとなっても、約束を破棄されません。神は彼らと戦い、彼らを打って懲らしめ、苦しみの中で神を思い起こさせます。

 彼らを神とひとつ心の者とするまで、神は彼らの頑なな心を砕かれます。

 神は、約束をイスラエルからほかの者に移すことは、決してありません。神はイスラエルを救うことができなかったと、神の御名を侮らせて聖なる御名を汚すことはされません。

 

 神は約束に真実なお方です。イスラエルが神にへりくだるとき、その真実が明らかになります。

 キリスト者の希望はここにあります。神もなく望みもなかった異邦人が、信頼すべき確かなものに出会うことはありませんでした。しかし、イスラエルの神が真実なお方、変わらない信頼すべきお方であることを、イスラエルを見て、知ることができます。

 

 イスラエルに真実な神は、イスラエルの神の御子イエス・キリストに信頼する者に、必ず報いてくださいます。

 イエス・キリストを主と告白する私たちは、本当に御救い(永遠のいのち)を受けることができるという確かな希望を持つことができます。望みは、とこしえの神、主にあるからです。

 神(イスラエルの神)の約束は変わらないからです。