ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ゼルべブルと大祭司ヨシュア

 

 大祭司ヨシュアをご覧になった主は、サタンに仰せられました。

 「サタンよ。主がおまえ(サタン)をとがめている。エルサレムを選んだ主が、おまえをとがめている。これは、火から取り出した燃えさしではないか。」(ゼカリヤ3:2)

 

 サタンは訴える者です。大祭司ヨシュアを訴えるためにそこにいました。

 ヨシュアは、汚れた服を着て、御使いの前に立っていました。このような汚れた者が、神の祭司にふさわしいのでしょうか。ヨシュアは、神の聖なる働きに立つ人でしょうか。

 

 「御使いは、自分の前に立っている者たちに答えてこう言った。   

 『彼(ヨシュア)の汚れた服を脱がせよ。』そして彼はヨシュアに言った。

 『見よ。わたしは、あなたの不義を除いた。あなたに礼服を着せよう。』

 私(ゼカリヤ)は言った。

 『彼(ヨシュア)の頭に、きよいターバンをかぶらせなければなりません。』

 すると、彼らは、彼の頭にきよいターバンをかぶらせ、彼に服(礼服〈天の御国に入る、神が用意された贖いの衣〉)を着せた。」(ゼカリヤ3:4,5)

 

 大祭司ヨシュアをきよめられた神は、あらゆる霊によって汚されたエルサレムをも第三神殿を建てるのにふさわしい地にきよめられるのでしょう。

 

 これらのことは、終わりの時代にも起こることではないでしょうか。

 私は、この大祭司ヨシュアを、終わりの時代に立つ、死海文書のいうところの「アロンのメシア」、すなわち、ホピ族に言い伝えられている「○のしるしの人」ではないのか、と考えます。

 ○の紋章を日本人の精神を形成してきた日本古来の神道の神に御告げを受ける者と捉えるならば、神示を受け取る人でしょう。しかし、神道の神々は、一神教ではなくてイスラエルの神から遠く離れています。神を唯一としないからです。

 全知全能の主、イスラエルの神の働きを担う者としてふさわしくありません。しかし、神が終わりの時代のために、地上に召された人なのです。

 

 ヨシュアの汚れた服を脱がし、礼服を着せる者、また、ヨシュアの頭にきよいターバン(聖なる神の思い)をかぶらせる働きをするのが、ホピ族に伝えられる「白い兄」なのではないでしょうか。

 白い兄は、すでに罪贖われて永遠のいのちを得ている人なのでしょう。イスラエルの神の礼服を着ている人です。この人も、日本から起こると思われます。

 

 「聞け。大祭司ヨシュアよ。あなたとあなたの前にすわっているあなたの同僚たちは、しるしとなる人々だ。見よ。わたしは、わたしのしもべ、一つの若枝を来させる。

 見よ。わたしがヨシュアの前に置いた石。その一つの石の上に七つの目があり、見よ、わたしはそれに彫り物を刻む。―万軍の主の御告げ。―わたしはまた、その国の不義を一日のうちに取り除く。」(ゼカリヤ3:8,9)

 

 大祭司ヨシュアとされる「○のしるしのある人」のもとには、神の神示を信じる仲間がいます。おそらく、十四万四千人のうちに数えられる人々でしょう。彼らは、神々ではなく、神の神示にへりくだり、神の御告げに応答する人々でしょう。

 

 神は、彼らのもとに、神のしもべ、一つの若枝を来させられます。

 

 「見よ。その日が来る。―主の御告げ。―

 その日、わたし(神)は、ダビデに一つの正しい若枝を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この国に公義と正義を行なう。」(エレミヤ23:5)

 聖書で、若枝は、ユダ族のダビデの子として生まれる神の御子イエス・キリストを現わしています。しかし、神の御子イエス・キリストはすでに、御救いのわざを成し遂げて、神の御座の右に着座しておられます。

 

 よって、ゼカリヤ3:8に記述されている「若枝」は、イエス・キリストのことではありません。終わりの時代(ユダヤ人の救いが約束された患難の時期)に立てられる救いの若枝です。

 イスラエルに、真理の神のことばを語り、預言をするキリストの証人であり、イスラエルの民を正しい正義の道(救いの道、いのちの道)に歩ませる指導者です。

 この「主の若枝」が、「○のしるしのある人」のところに来ます。そして、十四万四千人に属する人の思いに、「父の名と子羊の名」を書きつけていくのでしょう。

 すると、神は、その国の不義を一日のうちに取り除かれます。○のしるしのある人と、また、○のしるしのある人とともにいる十四万四千人に属する人に印が押されると、神は、日本の国の不義を取り除いてくださるようです。

 すなわち、日本人たちに救いが起こり、多くの日本人がまことの神に立ち返り、神の御子キリストの血によって罪が贖われるという、素晴らしい事が起こるようですね。

 日本人はユダヤ人のように、イエス・キリストを信じる人が少ない国民です。人口の約1%と言われています。しかし、この時、神は、日本人にリバイバルをもたらしてくださるようです。

 

 さて、イエス・キリストとは別に、終わりの日に立つ「若枝」とは、どんな人なのでしょう。

 「あなた(ゼカリヤ)は金と銀を取って、冠を作り、それをエホツァダクの子、大祭司ヨシュアの頭にかぶらせ、彼にこう言え。

 『万軍の主はこう仰せられる。見よ。ひとりの人がいる。その名は若枝。彼のいる所から芽を出し、主の神殿を建て直す。

 彼(若枝)は主の神殿を建て、彼は尊厳を帯び、その王座のかたわらに、ひとりの祭司がいて、このふたりの間には平和の一致がある。』」(ゼカリヤ6:11-13)

 

 ここには、大祭司ヨシュアに金と銀の冠をかぶせた「ゼカリヤ」と、「大祭司ヨシュア」と、主の神殿を建て王座を持つ「若枝」との三人がいます。

 私は、これらの三人をこのように捉えました。 

 ゼカリヤは、白い兄。大祭司ヨシュアは、○のしるしのある人で、アロンのメシア。神殿を建て王座(指導者の権威)を持つ「若枝」は、卍と十字のしるしのある人で、イスラエルのメシア。

 イスラエルのメシアとアロンのメシアのふたりの間には、平和の一致があります。

 

 イスラエルのメシアは、イスラエルから出るユダ族の人である可能性が考えられます。日本人だと思っていましたが、日本人ではないようです。あるいは、日本人なのでしょうか。ゼルバベルは、ユダの総督です。

 ユダヤ人でありながら、救いを求めて仏教の教えを探究している人なのかも知れません。ユダヤ人の中には、仏教の禅に興味を持つ人々がいるそうです。

 仏法を探究することは、光を見ていながら真理の光の中に入ることができないことのように思います。私には、仏教徒全体が、キリスト教会でいうところの求道者(御救いを与える真理〈神の御子キリスト〉に辿り着くために、いのちの道を求めて歩んでいる人々)のように思えてなりません。彼らが勇気をもって聖書に飛び込めば、彼らのもやもやしていた未解決の事柄が明確な姿で現われて、御救いの真理を悟るに違いありません。

 

 卍と十字のしるしのある人は、仏陀が菩提樹の下で瞑想するうちに悟りが開かれたように、瞑想のうちに、神の御子イエス・キリストに出会い、罪の贖いの血を流してくださった神の子羊イエスを神の御子キリストと告白して、キリストのしもべとなるのかも知れません。

 

 神は、大祭司ヨシュアのもとに、若枝を来させられます。

 ヨシュアの前には、主が置かれた一つの石があります。主の神殿のかしら石です。かしら石とは、神の神殿の全体を支える石です。すなわち、七つの御霊の教会を支える大変重要なかしら石なのです。それは、十四万四千人の人をさします。エルサレムにある主キリストの礎石(信仰)の上に建てられます。

 

 その一つの石の上には七つの目があります。七つの教会を安全に救いに導く七つの御霊の目です。

 その石には、彫り物が刻まれています。かしら石(十四万四千人の人の思い)に、白い兄や卍と十字のしるしのある人(若枝、ユダの総督ゼルバベル)や○のしるしのある人(大祭司ヨシュア)によって、生ける神の印(子羊の名と子羊の父の名)が刻まれたのです。

 生ける神の印が押されると、神は、十四万四千人の人の心を変えて新しくされます。サムエル第一10:9で、ひとりのユダヤ人であったサウルの心を、王の心に変えて、新しくされたのと同様のことが、十四万四千人の人に起こるのです。

 

 ゼルバベルは、「恵みあれ。これに恵みあれ。」と叫びながら、かしら石(十四万四千人のユダヤ人)を運び出します。(ゼカリヤ4:7)

 

 「ユダの総督ゼルバベルに次のように言え。わたし(神)は天と地とを揺り動かし、もろもろの王国の王座をくつがえし、異邦の民の王国の力を滅ぼし、戦車と、それに乗る者をくつがえす。馬と騎兵は彼ら仲間同士の剣(同士打ち)によって倒れる。

 その日、―万軍の主の御告げ。―シェアルティエルの子、わたしのしもべゼルバベルよ、わたし(神)はあなたを選び取る。―主の御告げ。―わたしはあなたを印形のようにする。わたしがあなたを選んだからだ。―万軍の主の御告げ。―」(ハガイ2:21-23)

 

 ふたりの証人は、主の定められた三年半の活動を終えると、反キリストにより殺されますが、死から復活して、人々の見ている目の前で、天に上って行きます。

 黙示録12:1-5に記述された、太陽(天の神のおおい)を着て月(神の御子)を足の下に踏み頭には十二の星(十二部族)の冠をかぶったひとりの女(ヤコブの子孫イスラエル)が生んだ男の子は、卍と十字のしるしのある人、すなわち、イスラエルのメシアであるユダの総督ゼルバベルの霊の人であると考えられます。

 

 神は、ゼルバベルと大祭司ヨシュアのふたりとともにおられます。

 「彼らに害を加えようとする者があれば、火が彼らの口から出て、敵を滅ぼし尽くす。(ふたりが命じると、天から火が降って来て敵を滅ぼす。)彼ら(ふたり)に害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。」(黙示録11:5)

 

 イスラエルの神は、バビロン捕囚のあとで、ユダヤ人をイスラエルの地に帰還させると、ユダの総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアとを立てて、ユダヤ人たちに主の宮を建てさせられました。

 

 神は、神の御子イエスを世に現わす前に、エリヤを遣わされました。バプテスマのヨハネがエリヤの霊の人でした。

 終わりの時代に、イスラエルの神は、ユダの総督ゼルバベルの霊の人と大祭司ヨシュアの霊の人を立てて、エルサレムに第三神殿を建てさせられるのでしょう。