ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

キリストが与える割礼

 

 「もし律法を守るなら、割礼には価値があります。しかし、もしあなたが律法にそむいているなら、あなたの割礼は、無割礼になったのです。

 もし割礼を受けていない人が律法の規定を守るなら、割礼を受けていなくても、割礼を受けている者とみなされないでしょうか。

 また、からだに割礼を受けていないで律法を守る者が、律法の文字と割礼がありながら律法にそむいているあなたを、さばくことにならないでしょうか。

 外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。

 かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」(ローマ2:25-29)

 

 神と契約を結んだアブラハムの子孫、神に召され、民族として神と契約を結ぶイスラエル。彼らは、神がアブラハムに命じられた通り、神との契約のしるしの割礼を受ける民です。割礼の無い者は、イスラエルとして認められません。イスラエルにとって、アブラハム、イサク、ヤコブの血肉の子孫であることよりも、割礼こそが神と契約を結ぶ神の民イスラエルの条件です。

 

 割礼は、人の手によって、肉のからだにしるされるものです。

 しかし、パウロは言います。

 「もしあなた(ユダヤ人)が律法にそむいているなら、あなたの割礼は、無割礼になったのです。もし割礼を受けていない人(異邦人)が良心に従って律法の規定を守るなら、割礼を受けていなくても、割礼を受けている者と同じであり、彼らは、律法と文字がありながら律法にそむいているあなたを、さばくことにならないでしょうか。」

 

 律法を守るならば、割礼には価値があります。聖なる神の民として、ふさわしい生き方をしているからです。しかし、神の民としてのしるし(割礼)を受けていながら、神の律法に違反するならば、聖なる神を侮ることになります。

 神を侮る神の民を見て、異邦人は、イスラエルの神を聖とは思わないでしょう。そのようにして、イスラエルの神の名は、律法に違反するユダヤ人たちゆえに、異邦人の中で汚されているのです。

 

 神は預言者エゼキエルに仰せられました。

 「わたしは彼ら(イスラエル)を諸国の民の間に散らし、彼らを国々に追い散らし、彼らの行ないとわざとに応じて彼らをさばいた。

 彼ら(ユダヤ人たち)は、その行く先の国々に行っても、わたしの聖なる名を汚した。人々は彼らについて、『この人々は主の民であるのに、主の国から出されたのだ。』と言ったのだ。

 わたしは、イスラエルの家がその行った諸国の民の間で汚したわたしの聖なる名を惜しんだ。 それゆえ、イスラエルの家に言え。神である主はこう仰せられる。イスラエルの家よ。わたしが事を行なうのは、あなたがたのためではなく、あなたがたが行った諸国の民の間であなたがたが汚した、わたしの聖なる名のためである。

 わたしは、諸国の民の間で汚され、あなたがたが彼らの間で汚したわたしの偉大な名の聖なることを示す。わたしが彼らの目の前であなたがたのうちにわたしの聖なることを示すとき、諸国の民は、わたしが主であることを知ろう。―神である主の御告げ。―

 わたしはあなたがたを諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く。

 わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。

 わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる。

 あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住み、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。」(エゼキエル36:19-28)

 

 諸国の民で聖書を知る者たちは、神の怒りを買って諸国に散らされたユダヤ人を神に捨てられた者と蔑んだことでしょう。神の選びの民ユダヤ人が蔑まれることは、ユダヤ人を選んだ神を嘲笑うことです。

 イエス・キリストを嘲ることは、イエス・キリストを遣わされたイスラエルの神を嘲ることと同じことです。

 イスラエルが蔑まれることは、イスラエルの神が侮られることです。

 イスラエルの民が卑しめられることは、イスラエルの神を汚すことです。

 

 神が遣わした主キリストを信じなかったユダヤ人に神の怒りが燃えました。そしてまた、諸国の民の間で卑しめられた御自分の民を見て、諸国の民をも怒られます。それは、イスラエルの神が侮られているからです。

 

 しかし、聖書の神は生きておられます。イスラエルの神は、聖書のことばを必ず成就されるのです。

 

 ユダヤ人の割礼は、人の手による肉の割礼です。この肉の割礼が、地上における神の民のしるしでした。神の民のしるしがあるからと言って、律法を守れるわけではありません。彼らは律法の違反と刑罰に苦しみました。

 しかし、神は、律法を守ることのできない割礼の民に代わって、神の御子キリストをイスラエルに遣わされました。そして、違反の無い方、律法の完成者である神の御子イエスを贖いの子羊として、御自分の民に屠らせなさいました。

 子羊イエスの血は、罪を贖いました。神は、イエスの血によって罪を赦し、義とされたのです。

 

 割礼の民に与えられた律法は、ユダヤ人から生まれた神の御子イエスが完全に守り、完成されました。イスラエルの契約は実現したのです。イスラエルは、世の罪を贖い世を救う主キリストを地上に迎えたのです。そして、世の光、御救いを世界に与えたのでした。

 

 神がイスラエルに与えた律法の契約が完成すると、イスラエルに遣わされた神の御子キリストが、新しい契約を与えられました。

 

 神が遣わされたキリスト・イエスを信じる者に、キリストの御霊による心の割礼を与えることです。石の板に書かれたモーセの戒律は取り除かれ、キリストは人の心に律法を記されます。それは、神の霊によってしるされます。御霊によって授けられるものです。

 

 キリストの御霊によって、神との交わりの中で造り変えられる新しい心が与えられるのです。

 神はイスラエルから石の律法に従う石の心を取り除き、キリストの御霊が与える新しい心に造り変えられます。

 

 律法を守るのは、人のわざではありません。イエス・キリストを愛する者のうちにおられる御霊のわざです。それは、神の愛の交わりの中で成長していくものなのです。

 

 肉の割礼は地上の神の民のしるしでした。

 キリストが与える、御霊による心の割礼は神の子どものしるしであり、救いのしるしなのです。