ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

聖霊の声を聞く

 

 ペテロは幻を見ました。

 「ペテロが幻について思いめぐらしているとき、御霊が彼にこう言われた。『見なさい。三人の人があなたを尋ねて来ています。さあ、下に降りて行って、ためらわずに、彼らといっしょに行きなさい。彼らを遣わしたのはわたしです。』(使徒10:19,20)

 

 ペテロが御霊の声に従って、その人たちといっしょに行くと、異邦人のコルネリオのところに導かれました。コルネリオは、親族や親しい友人たちを呼び集め、彼らを待っていました。

 

 コルネリオは、祈りの中で、輝いた衣を着た人(おそらく、御使い)が現われて、コルネリオの祈りが聞き入れられたことと、コルネリオの施しは神の前に覚えられていることを告げ、ヨッパに人をやってシモン・ペテロを招くように命じられたのでした。

 

 ユダヤ人が外国人の仲間に入ったり、訪問したりするのは、律法に敵わないことであるにも関わらず、ペテロも御霊の声に従ってコルネリオを尋ねると、イエス・キリストを伝えました。このことによって、ペテロは、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられることを知りました。

 

 そして、神は、ペテロの目の前で、コルネリオたち異邦人にも聖霊を注がれ、ペテロ達ユダヤ人は、彼らが異言を話し、神を賛美するのを目撃したのです。それで、聖霊を受けた異邦人たちに、水のバプテスマを授けたのでした。

 

 「主の使いがピリポに向かってこう言った。『立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。』そこで立って出かけた。」(使徒8:26,27)

 すると、そこには、馬車に乗ったエチオピアの宦官がいました。

 

 「御霊がピリポに『近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。』と言われた。」(使徒8:29)

 ピリポが御霊に従い、走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいる宦官は、ピリポに馬車にいっしょにすわって、聖書の意味を導いてくれるように頼んだ。ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエス・キリストのことを彼に宣べ伝えた。

 

 イエス・キリストを信じた宦官は、ピリポから水のバプテスマを受けたのでした。

 

 「使徒の働き」の書簡には、神の霊に従うキリストの弟子たちによって成された数々の出来事が書かれています。

 幻や御使いや御霊によって告げられたキリストの弟子たちが御霊の声に従う結果、多くの人の御救いが実現した記録です。

 

 神の教会は、聖霊のバプテスマによって、誕生しました。そのことは、使徒2章に記録されています。五旬節(ペンテコステ)の日のことです。五旬節は、モーセが神から「律法」を受け取った日です。

 

 神がイスラエルに与えられた律法は、神の子羊イエスの十字架によって完成されました。イエス・キリストが、イスラエルの代表となって、律法を完全に守り、また、律法の違反を贖われたのです。それで、神の子羊イエスにあって罪は帳消しにされ、イスラエルは、イエス・キリストにあって、律法を守った義なる者とされたのです。

 

 モーセを通して、神の民イスラエルに与えられた律法の契約は、神の御子イエス・キリストによって、完了しました。

 

 モーセがイスラエルに命じた、「わたしのようなひとりの預言者に聞き従わなければならない。」とは、神が遣わすと約束されたメシア、主キリストのことでした。

 

 モーセは、イスラエルにこう言いました。

 「神である主は、あなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。この方があなたがたに語ることはみな聞きなさい。その預言者に聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる。」(使徒3:22,23)

 

 イスラエルの中から、ユダヤ人から、神に油注がれたキリストが起こるのです。神がイスラエルに遣わされる救世主イエス・キリストです。この方のことばを信じず、神の御子キリストに聞き従わない者はだれでも、聖なる神の民から除外される、とモーセは語ったのです。それゆえ、イエス・キリストに聞き従うことは、神の命令でした。

 

 イエス・キリストを信じることで、律法は完成するのです。モーセの律法を厳格に守る律法に熱心なユダヤ人でも、イエス・キリストを信じなければ、イスラエルから除外される律法の違反者です。

 

 モーセの律法を完成し、死から復活したイエス・キリストは、イスラエルに新しい律法を与えられました。イエス・キリストの御名によって授けられる聖霊を受け取ることです。

 

 キリストは、聖霊のバプテスマを授ける権威を持つ唯一の救世主です。聖霊を受けることは、神が用意された御救いを受けることであり、永遠のいのちと天の御国の相続が約束された神の子どもとされるために、新しい創造を受けることです。

 

 イスラエルには、神の契約の、肉の割礼とモーセの律法がありました。神と契約を結ぶ神の選びの民のしるしです。

 

 神の御子イエス・キリストがイスラエルに来られて、先の契約を古いとし、新しい契約を与えられました。

 新しい契約は、肉の割礼ではありません。文字の律法ではありません。キリストが与える聖霊です。聖霊が神の民のしるしです。聖霊(キリストの御霊)を受ける者は、心に割礼を受けます。また、御霊がイエスのことばを思い起こさせ、神のことばに従う者に造り変えてくださるのです。

 

 神の教会は、聖霊(キリストの御霊)によって生まれました。新しいイスラエル(神の民)です。神の民イスラエルもまた、御霊によって生まれるのです。

 

 御霊によって生まれた者は、御霊の声を聞くことを学んでいきます。それは、肉声ではありません。思いの中に響く声です。

 

 自然の中に神を感じる日本人の感性のうちにある、虫の知らせのようなものだったり、かすかな声。また、ひらめきのように、突然ぱっと思い浮かぶような時もあります。

 

 これは、訓練です。他の人から教えられるようなものではありません。自分の思いとは違うところから出た発想のようなものです。

 

 これが、聖霊のものなのか、自分自身の思いなのかわからないとき、祈って、不安がなければ、それに従ってみる。それが神からのものならば、そのことが実現するし、そうでなければ、御霊の声ではなかった、と学ぶことができます。幾度も失敗を繰り返して、少しずつ御霊のものがクリアになっていきます。

 

 聖霊を人格者として親しむことが大切です。「イエス様。」と言うように、「聖霊様。」「御霊様。」と声をかけて祈ってみましょう。

 

 「聖霊様。正しい道を教えてください。」「御霊様。どうしたらいいですか。」聖霊は、もうひとりの助け主です。必ず、助けてくださいます。

 幻や夢や預言でも示してくださるでしょう。聖書のみことばからも語ってくださいます。私たちの日常のことの中で、訓練してくださいます。

 

 郵便ポストに手紙を投函することを忘れていたことに気づいた私は、心の中で、「どうしよう。これから行く方向にはポストはないし、引き返す時間もないし⋯。」と焦っていたら、「必要はすべて備えられている。」と御霊の細き声が脳裏に響きました。

 「本当にそんなことがあるんだろうか。」と半信半疑でした。自分で自分を励ましているだけかもしれない、と思いました。

 

 何の前触れもなく、すっとことばが来るのです。そういうときは御霊の声のようですが、本当にそうかどうかは、それが実現するまではわかりません。

 

 これから行こうと向かっていたお店の隣にポストがありました。私は全く気づいていませんでした。「本当にポストがあった。あれは、聖霊の声だったのだ。」とわかりました。また、求めていたものすべてがそのお店の中に揃っていました。

 

 日常生活の中の何気ない小さなことの中で、一つ一つ積み上げて、聖霊の声を聞くということを学んでいきます。

 声があったら従ってみる、その繰り返しで、その結果、その声が御霊の声かそうでないかを知っていくのです。

 

 実現したときは、主をたたえつつ、その出来事と同じようなことが起こっていないか聖書を調べます。聖書の裏づけによって、信仰と結びつき、御霊に聞くことを学んでいくのです。

 

 聖霊は真理を教える御霊ですが、御霊の声を聞くため、また、御霊の導きをとらえるための訓練もしてくださいます。御霊の経験をすると、御霊に聞くという姿勢の信仰へと成長させてくださるのです。