ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イエスの働き キリストの働き

 

 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)

 神が、イスラエルに遣わすと約束しておられた主キリスト(救い主)が来られる。罪を悔い改めて、神のキリストを信じ、神が遣わされた者(キリスト)の福音(良き知らせ)を信じなさい。とバプテスマのヨハネは荒野に現われて、罪が赦されるための悔い改めのバプテスマを説きました。

 

 「バプテスマのヨハネは、宣べ伝えて言った。

 『私よりもさらに力のある方が、あとからおいでになります。私には、かがんでその方の靴の紐を解く値打ちもありません。

 私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。』」(マルコ1:7,8)

 

 水のバプテスマは、悔い改めのバプテスマでした。罪を悔い改める者の信仰の表明です。バプテスマのヨハネは、罪を悔い改めた者に水のバプテスマを授ける者でした。

 

 主の道を用意するために、神に遣わされたエリヤの霊の人でした。

 バプテスマのヨハネは、その使命を受けて、母の胎に宿ったのです。父ザカリヤは祭司で、不妊の妻が男の子を産むことが告げられました。ザカリヤに御使いが現われて、こう告げたのです。

 「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。

 彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、葡萄酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。

 彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」(ルカ1:13-17)

 

 ヨハネの名前をつけたのは、イスラエルの神でした。ヨハネは、神の使命をもって生まれた子でした。エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、神が遣わされるキリストのために整えられた民を用意する者でした。

 それで、ヨハネは、民に悔い改めのバプテスマを授けていたのです。

 

 このエリヤの霊で来たヨハネが、イスラエルの神が遣わされるキリストについて、証言しています。

 「私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方(キリスト)は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。」

 

 イスラエルの神が遣わされるキリストは、悔い改めのバプテスマを授ける方ではなく、聖霊(神の霊)のバプテスマを授ける方だと言うのです。

 

 聖霊とは、三位一体(父、子、聖霊)の神の、一位格の神です。神格者です。天地万物を造られた神の聖霊を授ける権威を持つのが、イスラエルの神がイスラエルに遣わされたキリスト(救い主)です。

 

 神の被造物には成し得ない、バプテスマです。神格を持つ神のひとり子、神の御子イエスの成せるわざです。この聖霊のバプテスマを授ける権威を神から与えられたのが、天から来られたキリスト・イエスであり、イエス・キリストの御名なのです。

 

 イエスがバプテスマのヨハネから水のバプテスマを受けて水から上がられると、天が裂けて御霊(聖霊)が鳩のようにイエスの上に下られました。

 それを霊の目で見たヨハネは、この方(ナザレのイエス)が、神の遣わされたキリストであることを知ったのでした。

 

 バプテスマのヨハネが捕えられました。ヨハネが捕えられたと聞いてイエスは、ナザレを去って、カペナウム(ゼブルンとナフタリとの境にある湖のほとりの町)に来て住まわれた。これは、預言者イザヤの預言(イザヤ9:1,2)の成就のためでした。

 「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。暗闇の中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」(マタイ4:15,16)

 

 イエスは宣教を開始して言われた。

 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ4:17)

 

 イエスは、三年半と言われる公生涯の中で、イスラエルの神について、神の約束について、神が遣わされたキリストについて証し、神の御力を現わされました。

 イスラエルが「私たちの神」と呼んでいる神は、イエス・キリストの父であり、神の子どもの父であること。神が遣わされた約束のダビデの子(イスラエルの王)がまさしくイエスご自身であること。キリストは木に掛けられ呪われた者となってイスラエルの罪を贖い、また、死から甦り、天(父のもと)に帰ること。イエスは、多くの奇跡としるしをもって、神の力と栄光を現されました。

 そして、罪を贖う神の子羊の血を受ける者に、聖霊を授けることを約束されました。

 神の御子イエスが救いのわざを完了すると、神は、御子イエスを天に引き上げられます。そして、イエスの弟子たちのもとにもうひとりの助け主、真理の御霊(聖霊)を遣わされるのです。

 

 使徒の働きの書簡には、約束の聖霊がイエスの弟子たちに注がれたことが書かれています。それは、五旬節の日のことでした。モーセの律法(十戒)が与えられた記念の日に、神は新しい律法(聖霊による心の割礼)を与えられたのでした。

 墓から甦り栄光のからだで復活されたキリスト・イエスが天に上られるのを見送った弟子たちが、イエスに命じられたとおりに、約束の聖霊を受けるために、エルサレムで祈り待ち望んでいたところに、聖霊が下られたのです。

 イエス・キリストの御名によって、父なる神が授けられる聖霊のバプテスマでした。

 

 イエスは、聖書を成就するために、「わたしは渇く。」と言われると、酸い葡萄酒を含んだ海綿をヒソプの枝につけて、それをイエスの口もとに差し出した。

 イエスは、酸い葡萄酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。(ヨハネ19:28-30)

 

 ルカはこう記述しています。

 「イエスは大声で叫んで、言われた。『父よ。わが霊を御手にゆだねます。』こう言って、息を引き取られた。」(ルカ23:46)

 

 ここで、イエスのわざは完了しました。イエスの働きは完了したのです。

 イエスを死から甦らせたのは、聖霊です。復活する栄光のからだを与えたのも、聖霊です。

 

 イエスは死から甦り、父のもとに帰られました。主キリストは、父なる神の御座の右に着座されました。イエスは十字架で贖いのわざを成し遂げ、復活の主キリストとして天におられます。キリストは、聖霊のバプテスマを授ける権威を神から授けられています。それゆえ、イエス・キリストの御名に権威があるのです。

 

 地上を歩まれた肉体の中におられたイエスは、まだ栄光のからだではなく、聖霊のバプテスマを授ける時ではありませんでした。しかし、死から復活されたキリスト・イエスは、永遠のいのちのキリストです。永遠のいのちを得させる御霊を与える権威を行使するキリストです。聖霊のバプテスマは、イエスがキリストであることの証明です。そして、キリストの油を注がれたイエス・キリストの御名に、その権威が置かれました。

 

 イエスの弟子たちは、イエス・キリストの御名によるバプテスマ(聖霊を授けるバプテスマ)をゆだねられています。聖霊を受けた者は、イエスのされたわざと同じわざも与えられています。癒しも、悪霊追い出しも、罪の赦しも、イエス・キリストの御名とキリストの御霊とともにあるのです。

 

 使徒の働きは、実は、聖霊の働きです。聖霊を受けた者が、イエス・キリストの御名によって神の栄光を現わしているのです。弟子たちは、キリストの御霊に聞き、聖霊に聞き従うことで、神の御国の働きをしたのです。

 

 イスラエルに託された神の律法は、神が遣わされたキリストによって完成し、イスラエルは、神が約束された救い主(イエス・キリスト)を受け取りました。モーセの律法は、キリスト・イエスによって完成されたので、もはや律法によって責められることはありません。

 イスラエルに遣わされた救い主(イエス・キリスト)は、イスラエルに新しい律法(聖霊による心の割礼)を与えられました。

 

 神は終りの時代に、神の民イスラエルに新しい律法(聖霊による心の割礼)を与えられました。新しい律法によれば、聖霊によって神の御国の国民が新しく造られ、約束の地(天の御国)に向かって導かれるのです。

 

 イエスの働きは、十字架の死で完了しました。

 キリストの働きは、聖霊を与え、真理の御霊によって神の子どもたちを神の御国へと導くのです。

 今は、復活のキリストの霊(キリストの御霊なる聖霊)とともに、主イエスの御足跡を歩む、いのちの道の開かれた時代です。