ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神格者であるイエス・キリスト

 

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

 

 聖書には、永遠の昔からおられる全能者、永遠に生きられる神がおられることと、その方は肉眼に隠された霊なる方であることと、神格を持つ方はもうひとりおられることとが書かれています。

 

 詩篇に、ダビデの賛歌があります。

 「主は、わたしの主に仰せられる。

 『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。』」(詩篇110:1)

 

 全知全能の神である主は、ダビデが「主」と慕う方に、「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右に着いていよ。」と仰せられました。

 ダビデの主は、アブラハムに約束された、敵の門を勝ち取る主です。

 アブラハムは神に聞き従い、妻サラが百歳で得たひとり子イサクを、神に献げました。神は、ひとり子を惜しまなかったアブラハムを祝福し、アブラハムの子孫を祝福することと、アブラハムの子孫によって敵の門を勝ち取り、地のすべての国々は祝福を受けることとを約束されました。

 

 敵の門を勝ち取るアブラハムの子孫とは、エバを騙してエデンの園から追放される罪を、人に犯させた蛇の頭(悪魔)を踏み砕き、敵の門(死の門)を勝ち取る、女の子孫「人の子」のことです。

 死の門を勝ち取るひとりの「人の子」が、アブラハムの子孫の女から生まれます。この「人の子」は、ダビデが「わたしの主」と呼ぶ神格者です。

 

 また、モーセがイスラエルに、「あなたの神、主は、あなた(ユダヤ人)のうちから、あなたの同胞の中から、わたしのようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない。」と命じた、神のことばを語る預言者(主キリスト)です。イスラエルは、この預言者を、「メシア」として知っています。

 

 神である主は、預言者ナタンにことばを授け、ダビデに仰せられました。

 「主があなたのために一つの家を建てる。」(歴代誌一17:10)

 そして、ダビデ王の子孫に、神が父となり、神にとって子となる「王」を、神の家と神の王国の中に、とこしえまでも立たせることを約束されました。

 それは、ダビデの子孫です。ひとりの王です。「彼の王座は、とこしえまでも堅く立つ。」と、神は仰せられました。

 

 神が父である「子」がひとりいます。神のひとり子です。天地の創造がなされる前から、神とともにおられたひとり子です。神を「父」と呼ぶ、神の御子です。大勢の御使いの中で、唯一の神格者です。

 しかし、ひとり子も、神格者ではありますが、御使いとともに神に仕えておられました。御使いとあまり変わらないように見えました。

 

 神は、このひとり子に主権を与えられました。神格者であるひとり子に与えられた権限です。敵対する悪魔を踏み砕く権威です。

 

 神はひとり子に仰せられました。

 「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」

 神のひとり子の敵とは、反逆者の悪魔です。かつて、神に仕えていた天使長ルシファーです。神は、神の御子に敵対する天使長を、天から追放されました。

 

 天から追放された天使長は、死の国を支配する悪魔となりました。闇の王です。

 神は、闇の王を踏み砕き、敵である悪魔の門(死)を打ち破る、光の王を、地に遣わされます。光の王は、全き光である神の国から遣わされた者です。しかし、御使いではありません。

 神は、天使に権威を持たれる神格者、神のひとり子を、世に遣わされました。アブラハムが、愛する年寄り子のイサクを惜しげもなく神に献げたように、神は、神御自身のひとり子を、人のために与えられました。

 

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛されました。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。

 

 天の神は、三位一体の神です。悪魔が追放された天には、三位格の神格者がおられます。父なる神と、子なる神と、聖霊です。父なる神は、子なる神を、世に遣わされました。世に来られた、悪魔の門(死)を勝ち取る「人の子」は、天地万物を造られた神のひとり子です。

 

 子なる神は、とこしえに堅く立つダビデの王座に着く「王」となるために、神に遣わされて、世に来られました。天から来られた王は、神の栄光に輝く神のひとり子です。

 

 神がひとり子を世に遣わされたのは、世を裁くためではありません。神のひとり子によって世が救われるためです。

 神のひとり子は、ナザレのイエスと呼ばれ、十字架にかかられた神の子羊です。罪の贖いの血を流された、贖いの子羊イエスです。

 

 死を破る神の御子イエスは、この世のものではありません。天から来られた救世主(メシア)です。

 すべての被造物は、悪魔の支配に服しています。悪魔の奴隷です。そして、悪魔の国、死に向かって歩んでいるのです。悪魔の支配から救い出さなければなりません。

 

 「闇」を破るのは、「光」です。

 「死」を破るのは、「永遠のいのち」です。

 

 闇と死に勝利する者は、闇からは出て来ません。地には、闇と死を破る者は存在しません。天から追放された闇、いのちから追放された死、真理から追放された地に勝利する者は、真理の光しかありません。天から出られた神格者です。

 

 神は、真理の光を、世にお与えになりました。神格者であられる神の御子イエス・キリストを、世にお遣わしになられたのです。

 

 イエス・キリストは神格者です。御使いではありません。神の御子です。神のひとり子なのです。

 父なる神は、子なる神を地に遣わし、御子イエス・キリストを信じる者を天に集められます。神のひとり子を、人々は、神の御子として信じるでしょうか。

 

 ペテロは聖霊に満たされて、言っています。

 「この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使徒4:12)

 

 なぜ、イエス・キリストには、永遠のいのちがあるのでしょう。神の御子だからです。イエス・キリストは、人として来られましたが、神のひとり子として、神格者なのです。

 

 すべてのわざを成し遂げられたイエス・キリストは、父なる神の御座の右の座に着座されました。神のひとり子は、とこしえまで堅く立つ王座に座される王(イスラエルー神の民ーの王)です。

 

 彼は、父なる神が、子なる神の敵である悪魔を「イスラエルの王イエス・キリスト」の足台とするまでは、神の御座の右に着座しておられるのです。

 

 世界には、「救世主」として慕われる数々の名があります。しかし、神格を有するまことの救世主は、ただひとりです。天から来られたイエス・キリストが、永遠のいのちを与える、唯一のメシアなのです。

 

 かつて、神のひとり子に敵対した天使長ルシファーは、天から追放されました。神のひとり子を侮る者は、天に居場所がありません。

 

 イエス・キリストは、神のひとり子の御名です。

 

 御子イエス・キリストを信じる者は裁かれません。栄光の王であられる主キリストの民は、永遠のいのちを受けて天の御国に入るのです。神のひとり子の御名を信じたからです。

 しかし、イエス・キリストを信じない者は、神のひとり子の御名を信じなかったので、反逆者悪魔と同じ裁きを受けるのです。

 

 神格者である、神のひとり子イエス・キリストに、御救いがあります。

 そして、神は、御子イエス・キリストを信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つために、神格者である御子キリストの御霊、すなわち、神格者である聖霊をお与えになられました。