ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神が造られたイスラエルと新しい契約

 

 神は、ひとり子のために、御自身の民を造られました。神に仕える民です。全地にあって、創造主であられる天の神と契約を結ぶ民です。

 

 神が、天地万物を創造し、ひとり子とともに、御子のために人(アダム)を造られました。神は、人と契約を結ばれました。そして、人をエデンの園の管理者とされたのです。

 神は人(アダム)に、「善悪を知る知識の木の実を食べてはならない。」と命じられました。エデンの園のどの木からでも自由に実を取って食べることが許されていました。そのうちの一本、善悪を知る知識の木から実を取って食べてはならない、というのが、神と人との約束であり、人が生き続けるための契約でした。

 

 しかし、人はその契約を破りました。そして、エデンの園から追放されたのです。契約を破ったアダムは、違反者となりました。違反は罪です。人は罪人となりました。罪の報酬は死です。アダムは、いのちの神から外れ、死と結ばれました。

 

 自分の行ないが悪いと、その行ないが明るみに出されることを恐れます。それで、アダムは、神から身を隠しました。罪に落ちた人は、悪い行ないが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ないのです。

 

 いのちの光を失った人は、闇を愛する者となりました。光を恐れます。神との契約を破り、罪の入った人は、全き光、真理の光を憎む者となったのです。

 

 神には、悪魔を滅ぼす御計画がありました。悪魔は反逆者です。神のひとり子の敵対者です。悪魔を滅ぼすとき、神に言い逆らう罪もともに滅ぼされます。神は、ひとり子のために、ひとり子とともに造られた人を悪魔から取り戻す御計画を持たれました。悪魔に捕らえられ訴えられている人の罪を清算して、罪を取り除き、悪魔の支配から解放するのです。

 

 アダムの子孫は、全地に満ちました。彼らの思いは汚れ、人の悪は増大しました。地上は暴虐に満ちていました。しかし、神は、そのうちのひとり、ノアの子、セムの子孫にアブラハムを見出されました。アブラハムは、暴虐に満ちた世界にあっても、天の神を恐れる正しい人でした。

 

 天の神は、アブラハムに現われて、彼と契約を結ばれました。アブラハムは契約を信じて、割礼を受けました。割礼は、天の神が選ばれた者のしるしでした。

 

 神は、不妊のまま閉経したアブラハムの妻サラが九十歳のとき、サラの胎に男の子を造られました。神は、その子の名前をイサクと名づけるように命じられました。

 

 神は、アブラハムに与えた契約をイサクに相続されました。そして、神は、イサクの不妊の妻リベカの胎に双子の男の子を造られました。神は、兄のエサウを退けて弟のヤコブを選び、イサクの契約をヤコブに相続させられました。

 

 神は、ヤコブに十二人の息子を与えられました。神は、ヤコブの十二人の息子と契約を結ばれました。神の民としての契約です。ヤコブの子らは、地上に置かれた神の祭司の国民です。

 神は、ヤコブに「イスラエル」の名前を与え、ヤコブの十二人の息子とその子孫に「イスラエル」という名前をお与えになりました。そして、御自身を「イスラエルの神」と名乗られます。

 

 イスラエルは、神と契約を結ぶ民であり、先祖アブラハム、イサク、ヤコブと結ばれた神の契約と神の祝福を相続する神の民です。アブラハム、イサク、ヤコブの神(天の神)に仕える、唯一の民です。天の神が、神のひとり子のために造られた御自分の民です。

 

 天の神御自身が、イスラエルを「わが民」と呼ばれます。「イスラエルの神」と呼ばれることを恥じとは思われません。天地万物を造られ全地の神であられる主は、イスラエルを憐れんで仰せられます。

 「たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらね愛はあなた(ユダヤ民族)から移らず、わたしの平和の契約は動かない。」(イザヤ54:10)

 

 ユダヤ民族は、神御自身が、神のひとり子のために造られた民族です。悪魔を踏み砕く女の子孫、「人の子」を生む祭司の国民です。神は、ひとり子をユダヤ民族に遣わされました。神は、ひとり子に肉体を造られて、神のひとり子は、罪を贖う神の生贄の子羊として、祭司の国民に与えられたのです。

 

 祭司の国民は、世の救いのために、神の子羊イエスを十字架につけて屠り、贖いの子羊イエスの血で、世の罪は清算されました。

 

 十字架にかかられたイエス・キリストは、天から遣わされた、世の罪を取り除く神の子羊でした。神のことばを信じて、神の子羊イエスを仰ぐ者は生きます。しかし、神の御救いを信じることなく、神の御子イエス・キリストを仰ごうとしない者、不信仰な者たちは、自分たちの罪の中で死にます。

 

 アダム以来、神から外れた人はみな、悪魔の支配下にあります。悪魔の死と結ばれています。人はみな、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっています。それは、罪ゆえです。悪魔ゆえです。

 

 「人の子」となられた神のひとり子は、十字架で罪を清算して、悪魔の策略を踏み砕かれました。悪魔が人(アダム)を巻き込んだ「死」は、罪の清算された人には無効となりました。

 

 罪の身代わりとなって十字架で死なれた神の御子イエスは、罪のない霊の子どもとして、死から新しく生まれ、新しい人となられました。新しい人に、肉はありません。罪を引き起こす肉がありません。永遠に生きる霊の子どもです。

 

 「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

 御子を信じる者は裁かれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでに裁かれている。」(ヨハネ3:17、18)

 

 天の神が、イスラエルを造り、ひとり子を遣わされたのは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためなのです。

 

 天の神は、神のひとり子イエス・キリストを信じる者に、聖霊(キリストの御霊)を与えて、永遠のいのちを得させてくださいます。

 

 祭司の国民イスラエルも、死ぬべき肉のからだから、永遠に生きる霊のからだに造り変えられなければなりません。

 

 アブラハム、イサク、ヤコブの子孫、イスラエルの契約は、新しい契約に更新されました。モーセの契約を古いとし、神の御子の契約を与えられました。

 

 モーセがイスラエルに、「彼に聞き従わなければならない。」と命じたのは、神が遣わされる神の御子キリストのことでした。神がモーセを通してイスラエルにお与えになった律法の契約の集約が、神の御子イエス・キリストだったのです。

 

 神の御子を迎えるために、イスラエルは造られ、神の子羊イエスを屠って贖いの血を受けるために、神の祭司イスラエルは造られました。

 悪魔を打ち破り死から救い出してくださった神の子羊イエス、天から遣わされた神の御子イエスの贖いの血による罪の赦しと、死から復活された主キリストの福音をゆだねられたのも、イスラエルです。

 

 神のことば、聖書をゆだねられたイスラエルは、「イスラエルの王」であられるイエスのことば、御救いの福音をもゆだねられました。

 

 アブラハム、イサク、ヤコブの血肉の子孫、血肉のイスラエルは、神の御子イエス(ダビデの子、主キリスト)の十字架のわざと、死と悪魔に勝利した復活のキリストの御霊において、新しい契約の中に入れられます。

 

 新しい契約は、モーセが命じた聞き従うべき預言者(神の御子イエス・キリスト)によって与えられました。

 

 新しい契約は、イエス・キリストの血によって罪が赦されて贖われたイスラエルと結ばれます。それは、血肉によるものではありません。信仰によるものです。ユダヤ人と異邦人の区別はありません。割礼と無割礼の区別はありません。こうして、神は、ひとり子のために、罪のない永遠のいのちのイスラエルを造られます。

 

 神は、アブラハムに命じられた肉の割礼も、モーセの律法も古いとされます。神は、ユダヤ民族にお与えになった最初の契約を古いとされ、御子イエスにおいて新しい霊的な契約をお与えになられました。死に勝利する霊的な契約です。永遠のいのちの契約です。

 

 新しい契約は、聖霊によって、心に割礼を施されます。キリストの御霊が、心に律法を与えられるのです。

 御霊は、イエスのことばを思い起こさせ、真理を教え、正しい道、いのちの道に導かれます。

 

 神の御子イエス・キリストの与えられる新しい契約を受ける人々が、神の国に入るイスラエル(神の民)です。永遠のいのちを得る神の子ども、新しい創造です。

 

 新しいイスラエルは、御霊によって生まれ、神のひとり子イエス・キリストの国民となります。イエス・キリストは、永遠に生きる神の民イスラエルの王となられるのです。

 

 血肉のイスラエル(ユダヤ民族)を造られた神は、新しい契約を与えて、神のひとり子イエス・キリストと御霊によって、天の御国に入る霊的イスラエル(信仰の勝利者)を造られるのです。