ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

キリストの木に繋がって実を結ぶ

 

 地上には、永遠のいのちがありません。時が来れば、被造物はすべて土に還ります。永遠に生きるものは、何一つとしてありません。すべてのものに、死が定められているからです。

 

 人は自ら、善悪を知る知識の木の実を食べて死にました。いのちの神から離れた人は、死ぬ者となったのです。神に似せて造られた人が死ぬと、すべての被造物も神を失いました。

 

 人は、母の胎から生まれ出たときから、命のある間生きるように定められているのです。限りのある命です。人は、死が定められた命の時間を過ごします。だれも死から逃れることができません。死後に何があるのでしょう。

 

 死後には、神の裁きがあります。神の御国に迎え入れられる者を取り分けて、すべての者は、創造主の裁きの座に立ちます。

 善悪を知る知識の木の実を食べたアダムの罪が裁かれます。神に聞き従わない者の裁きです。すべての人は、アダムの罪を負って生まれて来ました。

 

 神は、悪魔が天使長ルシファーであった平和な天を取り戻されます。平和な天に、神に逆らう者はいません。神の反逆者はひとりとして存在しないのです。

 神は、すべての主権を神のひとり子に与えられます。そして、神のひとり子に聞き従う者たちを集められます。

 権力争いを引き起こした天使長ルシファーと天使たちを追放して不和が生じた天に平和が取り戻されます。御子に逆らう者はいません。御子に敵対する者はいません。すべての者は、神のひとり子の栄光をほめたたえ、御子の主権を喜びます。

 

 天の神は、神のひとり子に主権を与えられます。天にも地にも主権者は、イエス・キリストただひとりです。

 

 善悪を知る知識の木の実を食べた人について、神である主は仰せられました。人を造られた主です。天地万物を造られた創造主が仰せられました。

 「見よ。人はわれわれ(父なる神、子なる神、聖霊)のひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」(創世記3:22)

 

 蛇がエバに言った言葉「あなたがたは決して死にません。あなたがたが善悪を知る知識の木の実を食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」(創世記3:4,5)は、半分は正しく、半分は間違っていました。

 

 蛇の言うように、善悪を知る知識の木の実を食べた人は、神に聞かなくても自分で善悪を知るようになりました。自分で考え判断する力を得たのです。人は神に従属するものではなくなりました。人は、神と等しくなりたい神よりも高いものになりたいと野望を持つ悪魔の性質を受ける者となったのです。

 

 天に二つの主人は要りません。天の主人は、神おひとりです。天の主人に従えない者は、天から追放されます。

 エデンの園から追放された人は、主人の心を持ち天から追放された悪魔の奴隷となりました。人は、神に背き、神に従えない者となったのです。

 

 蛇の言うとおり、善悪を知る知識の木の実を食べた人は、神を必要としない、神から外れて自分を主人とする人となりました。蛇の言ったことは実現しました。しかし、「善悪を知る知識の木の実を食べても、あなたがたは決して死なない。」という蛇の言葉は偽りでした。

 

 「善悪を知る知識の木の実を食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」と仰せられた神のことばが実現しました。人の息は取り去られて、土に還る者となりました。

 

 肉体を持って生きている間、人は死のことを意識しません。寿命があることは知っていても、自分に死が訪れることを実感していません。それで、身近な人の死を体験して、人は初めて、(人は死ぬのだ。)とわかるのです。

 

 神は、ひとり子のために、悪魔に奪われた人を神の子羊イエスの贖いの血によって奪い返して、御子にお与えになります。

 神のひとり子に敵対する悪魔は、神に似せて造られた人を騙して、御子から人を奪い取りました。神のことば(神のひとり子)のうちにいた人は、みずから御子の敵対者悪魔の奴隷となりました。神のことばに聞き従わなかったからです。

 

 神は、ひとり子に主権を与えるために、王としての油を注いで、地上に造られた御自身の祭司の民イスラエルに遣わされました。

 イスラエルに、モーセの律法や預言者や詩篇で予告しておられた主キリストです。永遠のいのちは、イスラエルにお与えになった聖書の中にありました。聖書に書かれた永遠のいのちが、人の姿で現われたのです。

 

 イエス・キリストは、世に現わされた真理の光です。異邦人の地に現わされた啓示の光です。世に明らかにされた永遠のいのちです。

 イエス・キリストの御名は、天の神が地上に植えられた永遠のいのちの木です。

 

 イエス・キリストを信じる者は、天の神を信じる者です。イエス・キリストの御名を信じる者は、神のひとり子を信じる者です。神のひとり子を信じる者は、天の主権者(神のひとり子)のしもべです。神のひとり子に言い逆らい、敵対する反逆者である悪魔の奴隷ではありません。

 

 神は、御子イエス・キリストを信じる者に永遠のいのちを得させられます。神は、イスラエルに、すべての造られたものが見ることのできるいのちの木を植えられました。天から下ったいのちの木です。天上に引き上げられる霊的ないのちの木です。神のひとり子イエス・キリストです。

 

 子羊イエスの贖いの血によって悪魔から買い戻された魂は、神の御子イエス・キリストに繋がる者です。キリストの木の枝です。

 主イエスは、イエスを主とする贖われた魂が義の実を結ぶために、彼らに、聖霊(キリストの御霊)を与えられます。

 

 肉体のいのちは血にあります。しかし、永遠のいのちは霊のからだにあり、聖霊(キリストの御霊)にあるのです。霊の人は、御霊によって、キリストの木の養分を得ます。御霊によって、永遠のいのちの木に実を結ぶ枝となるのです。

 

 キリストの木に繋がっても、御霊を持たない者は、血の流れない肉体と同じです。いのちのない者です。御霊によらなければ、実を結ぶことができません。

 

 御霊は永遠のいのちです。イエス・キリストと一つです。御霊を持たない者は、善悪を知る知識の木の実の生き方を繰り返します。神の御子を「主よ。」を呼びながら、自分を主とする者です。自分の力で救いを成し遂げようとするのです。肉のままに生きる者です。肉のままでキリストの御名を呼びます。自分の知識と知恵を誇ります。生まれながらの人間と同じです。そして、土のからだで滅びるのです。

 

 御霊によらなければ、実を結ぶことはありません。御霊は、キリストの木のいのちです。いのち(キリストの御霊)によって、いのちの実を実らせるのです。

 

 御霊の住まわれないキリストの木は、いのちのない偶像と同じです。

 

 人は、イエス・キリストの贖いの血によって、罪が赦され義とされます。そして、神の御霊によって洗われ、きよめられて、義の実を結ぶ神の子どもとされるのです。

 

 邪悪な良心をきよめるのは、御霊です。人の熱心や努力ではありません。肉を殺すのは、肉体の修行によるのではありません。人間の戒めと教えは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜を生みます。肉体の苦行は信仰熱心なすぐれた賢いもののように見えますが、肉の欲しいままな欲望に対しては、何の効き目もないのです。(コロサイ2:23)

 

 肉を憎みキリストのいのちを慕う者のところに御霊は住まわれます。イエスは肉に死んで、御霊によって、死から生まれました。うちなる御霊は、肉を殺して、キリストのご性質をかたち造られるのです。

 

 御霊の養分を受ける者は、善悪を知る知識の木の実のもたらした肉の性質を砕かれて、造り主のかたちに似せられる新しい人を着るのです。御霊によって生まれ、御霊によってかたち造られた新しい人は、真の知識に至ります。(コロサイ3:10)

 

 御霊に教えられ、御霊に導かれる人は、キリストの木に繋がって実を結ぶ人です。