ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神のひとり子が遣わされたのは生かす御霊を授けるため

 

 「神である主は、土地の塵で人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」(創世記2:7)

 

 人は、肉体にいのちの息を吹き込まれて生きる者となりました。

 胎児が母の産道を通って出て来ると、「オギャー」と泣きます。いのちの息を吸って肺が膨らみ、赤ちゃん自ら呼吸をし始め、生きるものとなります。母の胎内にあるときには、母の胎盤を通して母の血液で生きていました。羊水という水の中に浮かんでいる状態の胎内で、空気の環境にいない赤ちゃんは呼吸していませんでした。

 

 産声を上げた赤ちゃんは、呼吸をして空気中で生きていくことができるようになります。産声を上げなければ、呼吸ができずに死んでしまいます。

 

 最初の人アダムだけではありません。人はみな、いのちの息を吹き込まれて産声を上げて、呼吸する者、生きる者とされるのです。

 

 いのちの息を受けて生きものとなった人は、神が、「それを取って食べる時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:17)と仰せられた善悪を知る知識の木の実を食べて、死ぬ者となりました。

 

 いのちの息を吹き込まれて生きものとなった人は、いのちの息が抜き取られて死ぬ者となったのです。

 主は仰せられました。

 「わたしの霊は永く人と争わない。(わたしの霊は、永久には人のうちに留まらない。)人は肉にすぎないのだ。しかし人の日は百二十年にならなければならない。」(創世記6:3)

 神は、人が息をして生きる日数を、百二十年と定められました。

 

 神は、御自分が造られた被造物を愛されました。それで、罪によって命の期間が百二十年に限られた人々を、永く生かしたいと願われました。

 

 母の胎から出て来て、鼻にいのちの息を吹き込まれて生きものとなった人ですが、百二十年の間に死んでしまいます。鼻から息をする者は必ず死にます。

 

 神は、必ず死んでしまう人の霊に、生かす御霊を授けて、永遠に生きる者にしようと御計画されました。

 

 鼻からいのちの息を吹き込まれて、空気のある環境で呼吸して生きる者(肉の人)ではなく、人の霊に生かす御霊を授けて、御霊によって永遠に生きる者(霊の人)を新しく創造されるのです。

 

 いのちの息は、空気を呼吸してこの世で生きる限られた命を与えます。

 しかし、生かす御霊は、天の御国で生きる永遠のいのちを得させてくださいます。

 

 生かす御霊は、空気の呼吸ではなく、御霊の呼吸によって生かしてくださいます。生かす御霊は、新しい創造によって、御霊の呼吸(祈り、賛美、礼拝)をする者に造り変えてくださるのです。

 

 御霊は、新しい創造のために、鼻から息する者に死を宣告されます。限りある命に死ぬのです。肉に死ぬのです。肉に死んだ者を、死から引き上げ、新しいいのちで生かすのが、生かす御霊です。生かす御霊は、肉のままでは受けることのできない、「永遠のいのち」を得させてくださるのです。

 

 生かす御霊は、肉体に入れられるいのちの息ではありません。人の霊の中にお住まいになる、聖霊です。

 

 神は、ひとり子イエス・キリストを、祭司の国民イスラエルに遣わされました。神のひとり子イエス・キリストは、祭司の国民イスラエルに与えられた、罪の贖いの神の子羊でした。

 

 人が死ぬ者となった原因の「罪」を贖う、生贄の子羊です。神の御子イエスは、イスラエルの罪となって、イスラエルの身代わりに十字架で死なれました。

 

 イスラエルとは、神から祝福を勝ち取ったヤコブの子孫です。アブラハム、イサクの契約と祝福を、兄エサウと戦い、神と戦って、弟ヤコブが勝ち取りました。

 神にすがる強い求めと、知力を尽くし、力を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くして、祝福を受けるまでは決して神を去らせないという堅い信仰のヤコブ(イスラエル)は、神と戦って勝利し、神から祝福を受け取りました。

 

 神を求める者、神を信じる者、神に熱心な者は、イスラエル(ヤコブ)です。神と契約を結ぶ割礼の民(ユダヤ民族)ではなく、契約の無いほかの民族や無割礼の民族の者であっても、ヤコブのように、神の祝福をいただくまでは神を去らせない者、神と戦い、人と戦って信仰に勝利する者は、イスラエルです。

 

 鼻からいのちの息を受けるのは、神の一方的な恵みです。一方、生かす御霊を受けるのは、信仰によって勝利して得る祝福です。

 

 キリストは、神が預言者の油、祭司の油、王の油を注がれたメシアです。メシアである、神のひとり子イエス・キリストは、モーセの律法・預言者、詩篇を成就させ、世の終わりの預言(ヨハネの黙示録)を与えた預言者であり、天のまことの聖所で仕えるとこしえの祭司であり、「イスラエルの王」として再び天から来られて、信仰の勝利者であるイスラエルの国民(七つの御霊の教会)とともに、平和な世界を治められる、とこしえの王です。

 

 キリストは、神から聖霊のバプテスマを授ける権威を与えられた、救い主です。イエス・キリストの御名によって聖霊のバプテスマが授けられることで、イエスがキリストであることが証明されます。また、イエス・キリストは、生かす御霊を授けて永遠のいのちを得させることで、神に油注がれた唯一のキリストであることが実証されるのです。

 

 イエスは、十字架で肉が死にました。そして、聖霊によって死から甦り、永遠に生きるキリストとなって、天に上って神の御座の右に着座され、イエス・キリストを信じる人々に、イエス・キリストの御名によって、聖霊のバプテスマを授けられるのです。

 

 神は、イエス・キリストを信じる人の霊に、生かす御霊を住まわせられます。そして、いのちの息で生きる人の生き方を十字架につけて、生かす御霊によって生きる新しいいのちを得させてくださるのです。

 

 永遠のいのちは、生かす御霊のうちにあります。イエス・キリストを信じる者のうちに住まわれる御霊に、永遠のいのちがあるのです。

 

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

 

 神は、御子イエスを信じる者が、世の人々といっしょに滅びることのないように、生かす御霊をその人のうちに住まわせられます。御霊を授けられて、御霊の御教えのうちに留まり最後まで信仰を捨てなかった人は、約束の祝福(永遠のいのち)を受けるまで神を離れなかった信仰の勝利者です。

 

 神のひとり子は、人の子イエスとなって罪の贖いのわざを成し遂げ、死から甦って、生かす御霊となられました。第二のアダムは、復活によって、永遠に生かす御霊となられたのです。

 

 生かす御霊が、永遠のいのちです。神のひとり子キリストがイスラエルに遣わされたのは、実に、生かす御霊を与えて、御子イエスを信じる者に、死から復活する永遠のいのちを得させるためでした。

 

 十字架が生かすのではなくて、生かす御霊が人の霊を生かすのです。十字架は、肉の死のためでした。罪の赦しのためでした。御霊は、肉を殺し、霊を生かしてくださいます。

 

 人は、神と戦い、人と戦って神の祝福を受けたヤコブのように、御霊を得るまでは、神を離れてはいけません。神と格闘して、永遠のいのちを得させてくださる「生かす御霊」を勝ち取るのです。また、御霊に助けられて、悪魔の誘惑や罠から逃れ、「生かす御霊」の新しい創造により聖なる者とされて、天の御国を勝ち取るのです。

 

 神のひとり子キリストがイスラエルに遣わされたのは、イスラエル(天の御国に入る神の民)に生かす御霊を授けて、永遠のいのちを得させるためなのです。