ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

肉の人 霊の人

 

 「神は御自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。

 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。」(ローマ8:3-6)

 

 神は、御自分のひとり子のために、御自身の民イスラエルを造られました。全地においてアブラハムと契約を結ばれた神は、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫ユダヤ民族と、神の国民としての契約を結ばれました。イスラエルを神の祭司の国民とするためです。

 

 地上に、神の国民が誕生しました。神は、イスラエルをほかの国民と区別し、聖なる民として養い育てられました。神は、鼻から息をする人には知らされていなかった天上の真理を、この民に知らされました。

 

 神がお立てになった霊的指導者モーセも神の律法も、神のことばを預かる預言者も、神が油注がれたダビデ王も、ユダヤ人です。神は、神がお造りになったユダヤ民族に『聖書』を与えられました。

 聖書は、永遠のいのちを与える、真理のことばであり、神のひとり子キリスト(メシア)について明かされた、天の御国から降ろされた書物です。

 地上に降ろされた、聖なる神のことばであり、死者を生かすためにイスラエルに託された真理の書物でした。

 

 人に隠された神のことばは、神の霊によって明らかにされます。人の霊によって見ることのできない隠れた真理を、神の霊によって啓示されるのです。

 聖書は神の啓示のことばであり、この世の人間には理解できません。人間の文字で記されていますが、神の霊によらなければ、隠された真理を悟ることができません。

 

 神は、イスラエルに祭司を立てられました。油注がれた祭司が聖書のことばを読み解き、イスラエルの民に知らせました。

 

 神の律法を与えられたイスラエルは、神の法を知らされた国民です。神の法は、神の御国の法です。永遠のいのちを受ける神の子どもたちが守らなければならない神の御国の基準です。

 

 盗みや人殺しが刑罰を伴う罪であることは、ほかの民族も知っています。しかし、イスラエルの神以外の神々は偽りであって、まことの神、天の神以外のものを拝むことが死に値する罪であることも、不貞の罪は殺されるに等しい罪であることも知りません。それで、異邦人は罪に対して自由に振る舞っています。

 

 しかし、イスラエルは違います。神からそれらのことは死に値する罪であると、はっきりと示されているのです。罪を知らされたイスラエルは、律法の奴隷となって苦しみました。律法の呪い(律法を守らない者に対する呪い)にうめきました。

 

 神は、神の律法を守ろうと苦悩するイスラエルに、律法を完成させて罪の呪いから解放してくださる救い主キリストを遣わされました。イスラエルを造られた全能の神が、イスラエルに御自分のひとり子を遣わされたのです。イスラエルと契約を結ばれた天の神が、イスラエルの救いのために、神の贖いの子羊イエスを遣わされました。

 

 神のひとり子イエスは、人の子のかたちでユダヤ人として歩まれました。罪を犯すことなく、神のことばとひとつとなって歩まれた神の御子イエスは、御自分において、神の律法を全うされました。人の子イエスは、すべての律法を守られ、イスラエルは、彼によって義とされるのです。

 

 律法の完成者であられる神のひとり子ナザレのイエスは、イスラエルの罪の呪いの身代わりとなり、罪の呪いのさらし者となって、十字架で死なれました。ナザレのイエスの死は、イスラエルの罪を贖いました。

 

 神の子どもとされる神の民イスラエルは、神のひとり子イエス・キリストの贖いの血によって罪が赦され、神に義とされ、律法の呪いから解放されました。文字の律法の奴隷ではなくなったのです。

 

 神の律法は神のひとり子ナザレのイエスによって全うされて、イスラエルは合格点をいただき、肉の律法は完成して新しい御霊の律法が与えられました。神の祭司の国民イスラエルは、天から来られた神の御子キリストにあって、御霊の律法に引き上げられました。肉のイスラエルの律法から、霊のイスラエルの律法に引き上げられました。

 

 文字の律法を完成されたイエス・キリストは、天の御国に入る御霊の律法を授けられます。文字の律法はイエス・キリストが完成してくださったので、違反は取り除かれました。律法の呪いにもはや、縛られることはありません。

 

 神が与えられる新しい御霊の律法は、天の御国に入る者の律法です。肉の力で守るようなものではありません。御霊に聞き従うことで全うされます。

 御霊は、イスラエルの神の律法を完成されたナザレのイエスを死から甦らせられた神の御霊です。御霊はキリストの御思いを受けて、肉の聖徒らを新しく生まれさせて天の御国にふさわしい神の子どもとされます。かしらなるキリストに結び合わせて、キリストのからだを完成し、神のために新しいひとりの人を創造されるのです。

 

 御霊の子らは、永遠のいのちを得て、キリストとともに天の御国を相続する神の子どもとされるのです。

 

 「肉の思いは神に対して反抗するものです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。

 肉にある者は神を喜ばせることができません。」(ローマ8:7,8)

 

 血肉のイスラエルが天の御国を相続するのではありません。アブラハム、イサク、ヤコブの契約は、神のひとり子イエス・キリストの現われによって成就しました。神と契約を結ぶユダヤ民族から、救世主であるキリストが生まれ、御救いのわざ(十字架の贖い)を成し遂げて、イスラエルの契約を全うされたのです。

 

 救世主イエス・キリストは、罪の呪いを破り、天の御国の門を開かれました。キリストは、罪の根源である肉を破り、血肉のイスラエルの契約を古いとして、天の御国に入るための新しい契約(御霊)を与えられました。血肉のイスラエルをキリストの御霊によって造り変えて霊のイスラエルを創造するためです。

 

 神は、神の御子キリストにあって喜びのなかった文字の律法を完成させ、キリストの御霊によって新しい創造を施して、生ける神に仕える者に造り変えてくださいます。

 神の御霊は、信仰の父アブラハムの信仰の子どもらを生みます。御霊は、信仰の義によって御救いを受ける新しいイスラエルを創造し、天の御国の国民イスラエル(御霊の教会)を完成されます。

 

 「御霊に導かれる人々は、イエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、魂の救いを得ているからです。」(ペテロ一1:8,9)

 

 血肉のイスラエルから生まれたキリストは、新しいいのちの律法(御霊)を与えて、御霊によって新しいイスラエルを生み、永遠に生きる神の子どもを創造されます。

 

 血肉のイスラエルがイスラエルではなく、御霊によって生まれる者がイスラエルと呼ばれます。イエス・キリストを主と告白し、御霊によって新しく生まれた信仰の人が、アブラハムの子どもと呼ばれます。ユダヤ人も異邦人もありません。神のひとり子イエス・キリストへの信仰により、御霊によって新しく生まれる者が、生ける神の民イスラエルなのです。

 

 神の約束を受けているユダヤ教徒も、神の御恵みによって御救いを知ったキリスト教徒も、キリストの御霊を受けて、御霊によって新しく生まれなければ、肉の人のままです。肉の力で神のことばを守る者は肉の人です。肉にある者は神を喜ばせることはありません。御霊が内に住んで、御霊の助けによって新しい創造を受ける人が霊の人です。

 

 天の御国は、霊の世界です。肉の人は入ることができません。御霊によって生きる霊の人が相続する国なのです。

 

 どんなに良い心掛けで神に熱心であっても、御霊がお住まいになっていなければ、肉の人です。御霊が住まう人は、御霊の人です。しかし、御霊に聞き従わなければ、新しい創造を受けることができません。御霊に聞き従う人が、神の子どもに造り変えられる新しい霊の人です。

 

 霊の人は、御霊に属することをひたすら考えます。その人の霊が、御霊によって生きているからです。

 

 肉の人は、地につく人です。キリストにつく者と自負していても、御霊を持たなければ、天の御国に入る神の子どもではありません。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

 霊の人は、キリストにつく人です。御霊ご自身が、神の子どもであることを証してくださいます。