ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

信仰によって入る狭い道

 

 「預言者エリヤは、イスラエルを神に訴えてこう言いました。

 『主よ。彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇を壊し、私だけが残されました。彼らはいま私のいのちを取ろうとしています。』

 ところが彼に対して何とお答えになりましたか。

 『バアル(偶像の神)にひざをかがめていない男子七千人が、わたしのために残してある。』

 それと同じように、今も、恵みの選びによって残された者がいます。もし恵みによるのであれば、もはや行ないによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。

 では、どうなるのでしょう。イスラエルは追い求めていたものを獲得できませんでした。選ばれた者は獲得しましたが、他の者は、頑なにされたのです。

 こう書かれているとおりです。

 『神は、彼らに鈍い心と見えない目と聞こえない耳を与えられた。今日に至るまで。』(ローマ11:2-8)

 

 イスラエルは、不信仰のゆえに、追い求めていたものを獲得できませんでした。選ばれた者は獲得しましたが、他の者は、頑なにされ、得ることが許されませんでした。

 

 神がモーセを立てて、イスラエルを奴隷の家エジプトから連れ出され荒野で養われたとき、イスラエルは、父祖アブラハムに与えられた神の約束の地カナンに向かっていました。

 

 荒野の生活でイスラエルの信仰は試されました。彼らはつぶやき、何度も神を怒らせ、罰せられました。モーセが主に従い、十二部族ひとりずつ、それぞれの族長をカナンの地を偵察させると、不信仰な十人の者は、探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらし民の士気をくじきました。

 二人の者(ヨシュアとカレブ)は信仰によって、乳と蜜の流れる良い地の報告をしました。不信仰なイスラエルの民は、二人の報告を聞き入れませんでした。

 

 神は怒り誓って仰せられました。

 「エジプトとこの荒野で、わたしの栄光とわたしの行なったしるしを見ながら、わたしを試みて、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、みな、わたしが彼らの先祖たちに誓った地を見ることがない。わたしを侮った者も、みなそれを見ることがない。

 ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者と違った心を持っていて、わたしに従い通したので、わたしは彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。」(民数記14:22-24)

 

 そして、神は不信仰で不服従なイスラエルに、向きを変えて荒野に行くようにと命じられました。

 四十日間でカナンの地に入るはずだったイスラエルは、彼らの不信仰ゆえに、神によってカナンの地から遠ざけられて、四十年の間荒野をさまようことになりました。

 

 神は、約束のカナンの地に向かっていながら不信仰で神を侮るイスラエルを罰して、エジプトから出て来た不服従な成人男子をみな、荒野で死に絶えさせられました。

 しかし、神に聞き従う信仰の人ヨシュアとカレブの二人は約束のカナンの地に入り、カナンの地を所有しました。

 

 奴隷の家エジプトの地を出るとき、イスラエルの成人男子は約六十万人いました。しかし、ヨシュアとカレブの二人以外の成人男子はみな、荒野で死に絶えました。カナンの地に招かれたイスラエルは、神の不思議とみわざによって、荒野で養われました。しかし、不信仰で不服従なイスラエルは神に打たれて、カナンの地を見ることなく、荒野で死に絶えたのです。彼らは、約束のものを獲得できませんでした。

 

 荒野で死に絶えたイスラエルの人々は、信仰によって神に結びついてはいませんでした。自分の見るもの、聞くもので判断し、人間の知識と知恵により頼む者でした。神のことばよりも、自分に良いと思われることに聞き従う罪の奴隷でした。

 

 神のことばへの信頼と神に聞き従う信仰がなければ、カナンの地に入ることはできません。自分にその信仰がなくても、不信仰な人々を離れてヨシュアとカレブとともにいるならば、カナンの地に導かれたでしょう。

 

 ローマ帝国の圧政に苦しみ、メシアの到来を待ち望むイスラエルに、約束の救い主キリストが遣わされました。

 神に仕える祭司や律法学者やパリサイ人、また、イスラエルの指導者たちは、神の御子であられるナザレのイエスを信じませんでした。彼らはイスラエルの神に仕える者でありながら、律法の呪いを恐れるあまり、先人の伝えたしきたりや伝統に縛られ、生ける霊なる神の存在を見失っていました。

 また、ローマ帝国を敵に回すことを恐れ、自分を守りました。イエスは真理を語りました。人間を恐れ真理から遠く離れた彼らは、真理を語るイエスを憎みました。民衆の心は、祭司たち文字の律法に仕える指導者と、父なる神とともにおられるイエスとの間で揺れ動きます。

 

 人間を恐れる民衆は、イスラエルの指導者に従い、ユダヤ人の中で蔑まれた罪人たちは、救いを求めてイエスのもとに来ます。

 

 肉の指導者たちは、民衆を扇動して、イエスを十字架につけました。救いを求める罪人らは、イエスが主キリストであると信じました。

 

 自分は正しいと考える指導者や律法の下にいた人々は、律法に目が塞がれて、正しいお方、神の御子イエス・キリストが見えませんでした。神に導くはずの良いものであった律法が、まことの御救い(イエス・キリスト)の道を見えなくさせたのです。

 

 神の御子イエスが来られたイスラエルで、キリストの御救いを受ける者はわずかでした。神の御救いが約束されたイスラエルの多くの者は、神が与えられた御救い(神の御子イエス・キリスト)を受け取ることができませんでした。

 

 キリストは、贖いのわざを成し遂げて、死から復活し、神の御座の右に引き上げられました。神は、御子イエス・キリストの御名によって、救い主イエスを信じる者に聖霊を授けられます。約束の御救い(天の御国)に入るために、真理の御霊を、助け主として遣わされるのです。

 

 御父の約束された御霊は、信仰によって受けることができます。血肉のイスラエルのしるしが肉の割礼であるように、キリストの永遠のいのちを得させられる霊のイスラエルのしるしは、真理の御霊です。真理の御霊が、神の子どもであることを証してくださいます。

 

 御霊は目では見えません。肉の耳に聞こえません。肉によって生きる者は、目で見えないもの、耳に聞こえないものを信じることができません。御霊を怪しみます。御霊を否定します。御霊は信仰の目によって見、信仰の耳によって聞くものだからです。信仰のない者には理解できません。信仰は理解するものではなく、信じるものです。しかし、不信仰な人々は、信じません。イエス・キリストを主と告白しながら、御霊を侮ります。

 

 御霊を侮る者は、荒野でつぶやき不信仰と不服従と神を侮る罪で死に絶えたイスラエルの道を行きます。エジプト(罪の世)から救い出された神のみわざを、信仰と結びつけていなかったのです。

 

 罪の世から救い出され、神に選ばれた聖なる神の民、キリストの民であると誇っている彼らのうち、霊とまことをもって生ける神を求めるわずかな人は、御霊を慕い御霊に聞き従います。

 

 割礼を受ける民の成人男子うち、荒野を生き延び、約束のカナンの地に入ったのはヨシュアとカレブの二人だけでした。

 

 モーセの律法を受けた民のうち、神のひとり子イエス・キリストを信じ、神のことば(主は、モーセのようなひとりの預言者をユダヤ人の中からお立てになる。その預言者ー主キリストーに聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる。)に従う者はわずかでした。

 

 神の御子イエス・キリストの御名を呼ぶ者のうち、キリストの御霊を受ける者はわずかです。(聖霊のバプテスマについての教えのない教会は多いのです。)

 

 荒野を行くイスラエルは、信仰によって神のことばと結びついていませんでした。不信仰な彼らは、目の前の状況を恐れ、神に逆らいました。不信仰で不服従なイスラエルは、約束のカナンの地に入ることがありませんでした。

 律法の下にいるイスラエルは、信仰によって神のことばと結びついていませんでした。不信仰な彼らは、神が遣わされた主キリストを受け入れることができず、神に逆らいました。不信仰で不服従なイスラエルは、約束の御救いを得ることができませんでした。

 救い主イエス・キリストの御名を呼ぶ新しいイスラエルは、信仰によって神のことばと結びついていません。不信仰で不服従な彼らは、キリストの御霊を受けることなく、永遠のいのちを得ることができません。

 

 イエス・キリストは言われました。

 「いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」(マタイ7:14)

 

 神のことばと結びついた信仰、キリストの御霊と結びついた信仰によらなければ、いのちに至る門を見出すことは難しいのです。また、いのちの門をくぐっても、その道は御霊を持たない人々の疑いや中傷や迫害に満ちた孤独の道です。大勢で歩む広い道ではありません。通る人の少なさに不安になって飛び出し広い道に引き戻してしまうかもしれません。

 

 いのちに至る門は、御霊によってキリストと結ばれ、御霊の助けによって歩む道です。御霊によらなければ、見出すことのできない小さな門であり、御霊に聞き従わなければ見失ってしまう狭い道です。

 

 しかし、その先に、約束の天の御国があるのです。永遠のいのちは御霊にあります。永遠のいのちは、御霊によって生まれた者が、不信仰な言葉が行き交い神に不従順な群れにあっても、御霊に結びついた信仰、御霊に教えられ導かれる信仰の歩みによって勝ち取るのです。