「主は、モーセに仰せられた。
『わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。
わたし(父祖アブラハムと契約を結ばれた神)は、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者(エジプト人)の前の彼ら(へブル人、すなわちイスラエル)の叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。
わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地(エジプトの地)から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所(カナンの地)に、彼らを上らせるためだ。
見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らを虐げているその虐げを見た。
今、行け。わたしはあなたをエジプトの王のもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。』」(出エジプト3:6-10)
神は、ミデヤンの地で羊を飼っていたモーセに現われて、モーセの同胞へブル人(ユダヤ人)を四百年間虐げたエジプト人の手から救い出し、奴隷の家エジプトから連れ上って、父祖アブラハムに誓ったイサクの子、ユダヤ民族の父ヤコブに与えると約束したカナンの地に、イスラエルを導き上るように命じられました。
カナンの地には、アブラハムが妻サラのために購入した墓地があります。その墓地には、アブラハムと妻サラ、イサクと妻リベカ、ヤコブと妻レアが眠っています。
神がアブラハムに与えると約束された土地です。神が、アブラハムの子孫(アブラハムの契約と祝福を受け継いだヤコブの子らユダヤ民族)に所有させる地です。
神は、アブラハムに、カナンの地を相続する子孫は、外国の地で寄留者となり、彼らは奴隷とされて、四百年の間苦しめられることを告げておられました。
奴隷の苦しみをくぐり抜けたアブラハムの子孫と契約を結び、彼らにカナン全土を所有として与えること、そして、アブラハムと契約を結ばれた神が彼らの神となる、と約束しておられました。(創世記17:8)
アブラハム、イサク、ヤコブの子孫がエジプトで四百年間、奴隷とされることは、神から出たことでした。彼らの罪の結果の苦しみではなく、神の民として造り上げるための課程でした。世の奴隷の苦しみを味わわせ、神に仕えることを選ぶ民とするためでした。
神は、イスラエルの叫びを聞かれました。エジプト人の虐げもご覧になりました。神がヤコブに、導き上ると約束しておられたカナンの地では、エモリ人の咎が満ち、そこに住むすべての民族、すべての住民の悪が満ちていました。時が満ちました。
神は、エジプトの王女の息子として育ち、エジプトの最高の教育を受けたへブル人のモーセ、また、エジプトの王の殺意から逃れ、ミデヤンの荒野に逃げ延びて、その地でミデヤンの祭司イテロの娘をめとり、羊飼いをしていたモーセに現われて、イスラエルをエジプトの地から導き上るように命じられたのです。
エジプトでは、モーセに殺意を抱いた王はすでに息絶えていました。モーセは、すでに八十歳になっていました。
へブル人の男の子は、生まれたらナイルに投げ込み殺さなければならないとのエジプトの王の命令を施行する世代に、神は、エジプトの王女の心を動かし、モーセひとりを生かしておかれました。この日のためだったのです。モーセには、イスラエルをエジプトから連れ出す使命がありました。
モーセは、神に聞き従って、エジプトの地に行き、エジプトの王に、へブル人の神、主に生贄を献げるために、へブル人を荒野へ三日の道のりの旅をさせてください、と言いました。神は、王の心を頑なにされました。
頑ななエジプトに、神は十のわざわいを下されました。そして、エジプト人が神の民イスラエルにした虐げの報いをエジプトに与えられたのです。
四百年間の奴隷の生活はイスラエル人を苦しめ、イスラエル人の叫びは神に届きました。ひとりふたりのユダヤ人の叫びではありません。ユダヤ民族の叫びでした。
神は、アブラハムに告げられたとおり、アブラハムの子孫(神の契約と祝福の民)を奴隷として虐げ苦しめるエジプト人を裁き、アブラハムの子孫イスラエルにエジプトの多くの財産を与えて、連れ上られたのです。
神に立てられたレビ人のモーセが指導者に任じられ、大祭司の油が注がれたアロンとともに、イスラエルをエジプトから連れ出しました。
神は、奴隷の家エジプトの地でイスラエルを、単なる奴隷としてではなく、ひとつの民族として、また秩序ある群れとして育てておられました。奴隷でありながら、長老たちがいて、ひとつの民族としての機能を持っていました。
エジプトから救い出されたイスラエルは、荒野で神と契約を結び、父祖アブラハムの契約と祝福を相続する神の民となりました。神は、アブラハムの契約と祝福を受け継ぐアブラハムの子孫イスラエルに律法を与え、神の民としての掟と定めを与えられました。そして、イスラエルを神の民とし、神はイスラエルの神となられたのです。
エジプトからイスラエルを連れ上り、荒野でイスラエルを神と契約を結ぶ神の民としたモーセですが、神を聖としなかったことで、カナンの地を見るがカナンの地に入ることのできない者とされました。荒野で、大祭司アロンと預言者モーセは息絶えました。
エジプトからイスラエルを救い出したモーセは死にました。神は、モーセの忠実な従者のヨシュアを立てて、イスラエルをカナンの地に導き入れられました。
イスラエルを奴隷の家エジプトから救い出したモーセと、荒野で神の民となったイスラエルを約束の地カナンに導き入れたヨシュアがいました。
カナンの地でイスラエルは国家となり、ダビデ王の王座が設けられました。これらは、旧約時代の出来事です。
すべての人を世から救い出し天の御国に入れられるキリスト・イエスが来られて、肉の割礼を持つユダヤ人の律法の契約から、キリストの御霊を宿す心の割礼という新しい契約の時代となりました。
イスラエルの神は、ユダヤ民族だけの神ではなく、すべての国々、すべての民族の神となられました。
イスラエルの神がイスラエルに遣わされたメシア、十字架で罪の贖いの血を流し、死から復活された神の御子イエス・キリストによって、新約時代が始まったのです。
イスラエルの神とイスラエル民族との契約が、神の御子イエス・キリストの父なる神と神の子ども(キリストの御霊を持つ人々)との契約に広げられました。
新しい契約は、キリストの血と、キリストの御霊によって結ばれました。
古い契約で、イスラエルが「私たちは主が仰せられたことを、みな行ないます。」(出エジプト19:8)と誓って神との契約に入り神の民とされたように、新しい契約では、イエス・キリストと、イエス・キリストの父なる神と、キリストの御霊に従う誓いをもって、神の子どもとされるのです。
この世に来られた神のひとり子イエス・キリストは、ご自身の血をもって罪を贖い、神は、罪人の罪を赦し、神の御子イエスを信じる者を義とされます。
神が遣わされたイエス・キリストが、滅びの子悪魔に勝利して墓から甦り、この世の呪い、罪の報酬である苦しみと痛みと悲しみと嘆きに満ちた生と、老いと、病と、死の悩みと滅びから救い出し、天の御国に入る希望と、永遠のいのちを得させる約束を与えられました。
イエス・キリストは十字架の贖いの御業を成し遂げて、死から復活されると、天の父なる神のみもとに帰られました。
この世の奴隷を世から救い出し、荒野(この世の寄留者、旅人としての歩み)に導かれた、モーセのような預言者イエス・キリストは、天に上り、メルキゼデクのような大祭司として天の至聖所で仕えておられます。
イエス・キリストは、神の子羊イエスの贖いの血によって罪の赦された義人たちを世の生き方から連れ上り、荒野(この世の旅人としての生き方)に導き入れました。
荒野で神のことばを待ち望む神の義人に、神は、イエス・キリストの御名によって聖霊のバプテスマを授け、もうひとりの助け主、真理の御霊を与えられます。
救いを待ち望む人々に神のひとり子(イエス・キリスト)を遣わされた神は、救い主キリスト・イエスの御名を信じる魂を滅びの世から救い出されます。
救い主を信じる魂を滅びの世から救い出された御子キリストのあとに、神は、聖霊を遣わされました。
神のうちには、出エジプト(滅びの世から救い出す)の指導者キリストと、荒野(火のバプテスマ)を経て天の御国に連れ上る指導者キリストの御霊がおられます。
神の導きは、出エジプト(罪の奴隷から救い出す)で終わりではありません。約束の地(神の国)に入らせることで完成します。
神は、モーセのあとに、カナンの地に民を連れ上るヨシュアを立てられました。モーセに従った民は、ヨシュアに聞き従わなければなりません。
神は、イエス・キリストを天に引き上げられた後で、キリストの御霊を授けられました。イエス・キリストを信じる人はキリストの御霊に聞き従わなければなりません。
救い主イエス・キリストと、もうひとりの助け主、真理の御霊(キリストの御霊)によって、約束の地、神の国に入るのです。
神の国にはダビデの王座にイエス・キリストが着座し、イスラエルの王として世界を統べ治められます。
ユダヤ人たちは、聖書のことばがことごとく成就するのを見て、イスラエルの王(神の子羊キリスト・イエス)にひれ伏し、神をほめたたえるでしょう。
キリスト者たちも、ユダヤ人と同じ民、神の国民となって、キリストとともに世界を治めるのです。