エバを騙した蛇の頭(悪魔)を打ち砕く女の子孫、女から生まれた「人の子」は、神が天から遣わされた神のひとり子イエス・キリストです。
天から来られたキリスト(救い主)は、イスラエルが待ち望んだメシアです。
聖書に書かれたことのすべてを実現させる神の聖者であり、悪魔の策略を踏み砕き、あらゆる支配と、あらゆる権威・権力を滅ぼし、国を父なる神に渡される、神の子羊イエスです。
悪魔と戦い、悪魔に勝利する全き人、神の聖者は、イエス・キリストただおひとりです。罪を犯さず、全き心で神に聞き従う、神とひとつ心の神の子羊イエスのうちに、暗いところがありません。悪魔の足場がないのです。悪魔はイエスを誘惑することに失敗します。イエスのうちに、悪魔と繋がるものがないのです。
罪のない全き神の子羊イエスの血は、すべての罪を覆います。罪を贖う完全な血です。ただ一度だけ献げられた永遠の生贄でした。
地上の祭司(ユダヤ人の大祭司)は、年ごとに、生贄を献げました。律法は、年ごとに絶えず献げられる生贄によって神に近づいて来る人々を、完全にすることができませんでした。
「もしそれができたのであったら、礼拝する人々は、一度きよめられた者として、もはや罪を意識しなかったはずであり、したがって、献げ物をすることは、やんだはずです。ところがかえって、これらの献げ物によって、罪が年ごとに思い出されるのです。雄牛とやぎの血は、罪を除くことができません。」(へブル10:2-4)
「キリストは、この世界に来て、こう言われるのです。
『あなた(父なる神)は、生贄や献げ物を望まないで、わたし(神のひとり子)のために、からだを造ってくださいました。
あなた(神)は全焼の生贄(神の心をなだめる生贄)と罪のための生贄(罪の贖いのための生贄)とで満足されませんでした。」(へブル10:5,6)
神のひとり子イエスは、聖書のある巻に、キリストについて記されているとおり、神の御心を行なうために、地上に来られました。
「初めには、『あなた(神)は、生贄と献げ物、全焼の生贄と罪のための生贄(律法に従って献げられる、いろいろの物)を望まず、またそれらで満足されませんでした』と言い、また、『さあ、わたし(キリスト)はあなた(神)の御心を行なうために来ました。』と言われたのです。後者が立てられるために、前者が廃止されるのです。」(へブル10:8,9)
祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、同じ生贄を繰り返し献げますが、それらは決して罪を除き去ることができません。礼拝する者の良心を完全にすることはできません。それらは、新しい秩序の立てられる時まで課せられた、からだに関する規定にすぎないからです。
しかしキリストは、来ようとしている善き事(神の国)の大祭司として来られ、手で造った物ではない、この世に属さないさらに偉大で完全な幕屋(罪の贖いの神の子羊イエスのからだ)を通り、やぎと子牛との血によらず、ご自分の血にによって、ただ一度、天の至聖所に入って、永遠の贖いを成し遂げられました。
キリスト・イエスは、ご自分の血によって、永遠の贖いを完了されたのでした。
地上の祭司のだれが、天の聖所に入ることができたでしょうか。だれもいません。地上の祭司は、天の聖所のひな型である地上の聖所に入るだけです。
しかし、天に属するキリストは、ご自分の肉体という垂れ幕を通して、死に定められた私たちのために、天の聖所に入る新しい道を設けてくださいました。
キリストがとこしえの御霊によって神にお献げになった、傷のないご自身の血は、罪人の良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、偶像ではないいのちの神、生ける神に仕える者とするのです。
キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身を生贄として罪を取り除くために、来られたのです。
天に属するキリストは、多くの人の罪を負うために一度、ご自身を献げられました。十字架に掛かられた主キリストの御救いは、世界中に宣べ伝えられています。天に属するキリスト(救い主)は、イエス・キリストただおひとりです。
韓国から始まった統一教会の創始者故文鮮明は、自分は、イエス・キリストの生まれ変わりだと言いました。しかし、イエスは、死から復活して、二千年前から神の御座の右に着座しておられる神の子羊です。再び、肉体のからだで地上に来られることはありません。イエスの肉体のからだは十字架で引き裂かれたのです。
最近のニュースで、韓国に渡航する外国人をターゲットに、新天地イエス教証しの幕屋聖殿(別名新天地イエス教会、韓国のキリスト教の土壌から発生した新興宗教)の信者が心理テストをもって近づき、布教活動を行なっていることが流れていました。彼らの創始者もまた、自らがイエス・キリストの生まれ変わりだと言っています。
イエス・キリストの生まれ変わりと言う人々は、天に属するキリストではありません。人間から出たものであり、地に属する偽キリストです。悪魔のしもべです。神から権威を受けたものではありません。
神の子羊イエスのように、民衆のために自分のいのちを捨てることも、神の御霊(生かす御霊)を授けることも、永遠のいのちを得させることもできません。
天に属するキリスト・イエスは、仕えられるためではなく、仕えるために来られ、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来られました。そして、今は、御父の御座の右に着座しておられます。
キリストのみわざは、完了しています。
聖書に預言されているキリストは、「彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほど蔑まされ、私たちも彼を尊ばなかった。」(イザヤ53:2,3)人の痛みを体験し、人の弱さを思いやることを学ばれた方でした。
また、天に属するキリストは、私たちにいのちを与えるために、私たちのすべての咎を負って、十字架につけられた方です。
「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちの背きの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちは癒された。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」(イザヤ53:4ー6)
天に属するキリストには、肉のからだがありません。罪人の罪を贖うために、神に献げられたからです。神は、キリストに、復活のからだをお与えになられました。永遠に生きる栄光のからだです。
キリストが二度目に世に来られるのは、罪を負うためではなくて、イエス・キリストを待ち望んでいる人々の救いのために来られます。神に与えられた新しいからだ、復活の栄光のからだで、天から雲に乗って来られるのです。
天に属するキリストは、肉に属するものではありません。霊に属するものです。天に属するキリストに属する者は、神格者である御霊に属するものです。
唯一まことのキリストは、信者である私たちに、天上のいのち「生かす御霊」を授けられる方です。肉によって生きる者ではなくて、御霊によって生きる者に造り変えてくださるのです。
御霊によって新しく生まれ、御霊によって新しく造り変えられた者が、御霊によって復活のからだをいただき、天の御国に入るのです。
天に属するキリストに繋がる者は、聖書に書かれているとおり、永遠のいのちを得て、父なる神のみもとに帰るのです。
永遠のいのちを与えない、地に属する偽キリストについて行ってはいけません。彼らの導く先にあるのは、神の裁きと滅びです。
イエス・キリストは、神のひとり子です。神の御子イエス・キリストのものは神のものです。神のものは御子キリストのものです。神の御子イエス・キリストに属する者は、天に属するものであり、天の御国に集められます。
「キリスト」という言葉に惑わされてはいけません。キリストは、ユダヤ人として来られたイエス・キリストただひとりです。