ユダヤ民族は主が造られた民です。神に仕えるために、地上に置かれた民族です。神が約四千年前から定めておられ、今に至ります。神は、神の都と定めたエルサレムで主に仕えるように、ユダヤ民族をイスラエルの地に植えられました。エルサレムは神が選ばれた神の御住まい、ユダヤ民族は神が選ばれた神の民です。
ユダヤ民族には、神の祭司の国民としての義務があります。全世界に、天地万物を造られた全能者の存在を知らせ、神を畏れさせ、神にへりくだる人類を主のために用意するのです。それで、ユダヤ民族は、祭司の国民として神の聖別を受けて、安息日を守り、律法やしきたりを守っています。それは、世界の救いのためです。
神は、神の祭司の国民に、メルキゼデクに等しい祭司を送られました。メルキゼデクは、アブラハムが十分の一を献げた、いと高き神の祭司でした。神の祭司の国民であるユダヤ民族の父アブラハムが十分の一を献げた祭司です。祭司職のレビもアブラハムの腰にいて、メルキゼデクに十分の一を献げたのです。
キリストは神の御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられました。
キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方(父なる神)に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその経験のゆえに聞き入れられました。
レビ族の祭司たちは誓いなしに祭司となるのですが、キリストの場合には、主イエスに対して次のように言われた方(父なる神)の誓いがあります。
「主は誓ってこう言われ、御心を変えられることはない。『あなたはとこしえに祭司である。』」
そのようにして、イエスは、さらにすぐれた契約の保証となられました。
レビ族の祭司の場合は、死ということがあるため、務めにいつまでも留まることができず、大勢の者が祭司となりました。しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、執り成しをしておられるからです。
レビ族から出た祭司は、死によって働きが断たれます。しかし、ユダ族から出たキリストは、永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。
メルキゼデクに等しい祭司ととなえられるキリストは、肉についての戒めである律法にはよらないで、朽ちることのない、いのちの力によって祭司となられたお方です。このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、人類にとってまさに必要な方です。
ほかの大祭司とは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日生贄を献げる必要はありません。神の子羊イエスの十字架の贖いのわざは、ただ一度で完成しました。
イエスが十字架で息を引き取られたとき、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けました。地上の幕屋、地上の祭司の時代は終わりを告げ、天が開かれ、新しい時代がキリスト・イエスによって開かれたのです。
キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所に入られたのではなく、天そのものに入られたのです。それも、年ごとに自分の血でない血を携えて聖所に入る大祭司とは違って、キリストは、傷のないご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
人類の大祭司は、天におられる大能者の御座の右に着座されたキリストであり、人間が設けたのではなくて、主が設けられた真実の幕屋である聖所で仕えておられる主イエスです。
地上の大祭司の献げ物と生贄は、礼拝する者の良心を完全にすることはできません。かえって、これらの献げ物によって、罪が年ごとに思い出されるのです。しかし、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とするのです。キリストは、聖なるものとされる人々を、一つの献げ物(神の子羊イエスの血)によって、永遠に全うされたのです。
初めの契約のときの違反を贖うための神の子羊イエスの死が実現しました。それは、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためです。
キリストは新しい契約の仲介者です。神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。モーセが仲介した契約は、古いものとされました。初めの契約のときの違反は、キリストの十字架の血によって贖われました。
古い契約は、祭司の国民ユダヤ民族に地上の資産の約束を与えました。しかし、新しい契約は、とこしえの祭司キリストの民に永遠の資産の約束を与えるのです。
キリストは、すぐれた務めを得られました。祭司職が変われば、律法も必ず変わらなければなりません。キリストは、さらにすぐれた約束に基づいて制定された、さらにすぐれた契約の仲介者なのです。
律法は弱さを持つ人間を大祭司に立てますが、律法のあとから来た「あなたはとこしえに祭司である。」と言う、主の誓いのみことばは、永遠に全うされた御子を立てるのです。
神は、神の子羊イエスを屠って人類の罪を贖い、召された者たちが永遠の資産の約束(神の御国の相続と永遠のいのち)を受けることができるために、メルキゼデクに等しい祭司キリストを立てられました。
天から遣わされて地上に来られ、神の贖いのわざを完了させて、天そのものに入られたキリスト・イエスは、神の誓いのみことばによって、天の聖所で仕えておられるとこしえの祭司です。
神の御子イエスによって立てられた、新しい契約は、御霊によって実現します。神の御国も永遠のいのちも、キリストの御霊のうちにあります。新しい契約の仲介者であるイエス・キリストの御名によって、成し遂げられます。