「わたしはイスラエル人の間に住み、彼らの神となろう。
彼ら(イスラエル人)は、わたし(全能の神)が彼らの神、主であり、彼らの間に住むために、彼らをエジプトの地から連れ出した者であることを知るようになる。わたしは彼らの神(イスラエルの神)、主である。」(出エジプト29:45,46)
イスラエルは、四百年の間、エジプトの奴隷として苦役を課せられました。そして、その奴隷生活から解放し、奴隷の家エジプトからイスラエルを救い出された神の御業が聖書の書簡、出エジプト記に書かれています。
聖書に書いてあるのは、ユダヤ人の歴史であり、史実ですが、エジプトには、ユダヤ人が奴隷であったという文献はなく、ユダヤ人がエジプトの奴隷であったことを否定しているそうです。
しかし、神は、奴隷の家エジプトから救い出された偉大な神の御業を記念する過越しの祭りをユダヤ民族に命じられて子から孫へと継承し、毎年祝われる過越しの祭りによってユダヤ人に記憶させておられます。
エジプトで奴隷の苦しみを味わったイスラエルを、神の不思議な御業でエジプトと区別し、奴隷の家エジプトから救い出されたのは、天地万物を造られた生けるまことの神が、イスラエルの神となってイスラエル人の間に住まわれるためだったとあります。
神は、イスラエル人をエジプトから救い出して紅海を渡らせ、荒野で生かされました。そして、後を追って来たエジプト人を紅海の水で滅ぼされました。
神は、イスラエル人をエジプト人から救い出して生かし、イスラエルを虐げたエジプト人を滅ぼされました。神は、荒野でイスラエルと契約を結び、神はイスラエルの神となられ、イスラエルは神の民となったのでした。
神は、イスラエルを彼らの先祖(アブラハム、イサク、ヤコブ)に与えると約束された地(カナンの地)に連れ上り、カナンの地の住民を追い払って、イスラエル人の国(イスラエル)とされたのです。
神は、御自身の民とするために、ヤコブの子ら(イスラエル)をエジプト(この世)の奴隷とされ、苦役と不自由の奴隷とされました。苦役を負っても、報いはありません。ただ生き延びるために耐えるだけです。世の奴隷、人間の奴隷となっても、顧みはありません。
知恵者は言います。
「日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。」(伝道者の書1:3)
「私が手掛けたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。」(伝道者の書2:11)
「母の胎から出て来たときのように、また裸でもとの所に帰る。彼は、自分の労苦によって得たものを、何一つ手に携えて行くことができない。
これも痛ましいことだ。出て来たときと全く同じようにして去って行く。風のために労苦して何の益があるだろう。」(伝道者5:15,16)
「私も愚かな者と同じ結末に行き着くのなら、それでは私の知恵は私に何の益になろうか。」(伝道者の書2:15)
「日の下であなたに与えられたむなしい一生の間に、あなたの愛する妻と生活を楽しむがよい。それが、生きている間に、日の下であなたがする労苦によるあなたの受ける分である。」(伝道者の書9:9)
この世の奴隷の行き着く先は、死と陰府(よみ)です。世のすべての人が陰府の門に向かっているのです。人の霊は、死の恐怖に怯え、死後に迎える裁きの時を知って嘆いています。
神は、この世の奴隷を救い出して死に向かう道を閉ざし、いのちに向かう道を設けるために、神の名がつけられた御自分の民イスラエルを造られました。
神は、まず御自身の民イスラエルに、この世の奴隷の苦しみと嘆きを味わわせられました。そして、奴隷の家エジプトから救い出して、神の律法を与え、神に仕える神の祭司の民とされました。
神を神とせず、偶像の神々に仕えてまことの生ける神を冒瀆する罪の世に、神のことばを受ける神の民イスラエルを造られ、神が選ばれた御住まいエルサレムで仕える国民とされたのです。
神はイスラエルに聖書を与え、神を知らされました。
神の律法は、民を聖なるものとするための基準です。聖なる神の民は、聖なるものでなければならないからです。
イスラエルはうめきました。エジプトの労働による苦役の苦しみとは異なる苦しみです。自分自身を否定するような精神的霊的苦しみです。イスラエルは、神によって死後の裁きのことも知らされている民です。ほかの民族には知らされていない神の奥義を託された、神の宝の民です。
神は、イスラエルにいのちを得させようと、戒めを与えられました。そして、律法の呪い(神に聞き従わなければ、呪われ滅びる)に怯えるイスラエルに、神は、メシア(キリスト)を遣わすことを約束されました。
神が遣わされるキリストは、罪を贖う神の子羊です。イスラエルの罪を贖い、罪の呪いから解放してくださる救い主です。
毎年、出エジプトを記念して、過越しの祭りを祝うユダヤ人たちは、かつて、エジプトの奴隷の苦役から解放してイスラエルを神の民としてくださり、国(イスラエル)を与えてくださった神を覚えつつ、律法の重荷を解放して自由にし、永遠の安息の地に導き入れてくださるキリストを待ち望んでいます。
ユダヤ人は悟りませんが、神がイスラエルに約束されたキリストは、すでにイスラエルに遣わされました。そして、神の子羊の贖いの血を携えて天に上り、民のために執り成しておられます。その方は、神の祭司の国民ユダヤ人が十字架で屠った神の御子イエス・キリストです。
キリストは罪人の罪を負い、ご自分の血で罪の贖いを成し遂げられました。神の御子イエス・キリストを信じる者は、ユダヤ人も異邦人も分け隔てなく、罪が赦されて神の義を受け、永遠のいのちを得るためのいのちの道を歩む特権が与えられました。
神は、御子イエス・キリストを信じる者に、復活のキリストの御霊を授けて、いのちの門に導き歩ませられます。神は、御霊に聞き従ってその道に入り新しい創造を受ける信仰の勝利者に永遠のいのちを得させて、神の子どもとされるのです。
神が神のひとり子イエス・キリストを世に遣わされたのは、神の御子イエス・キリストを信じてキリストの御霊を受ける者のうちに住み、彼らの神となるためでした。
神は、聖書を与え、イスラエルを導く聖なる神が彼ら(イスラエル)の主であることを知らせ、また、イスラエルの間に住んで、彼らの神(イスラエルの神)となるために、イスラエルをエジプトの地から連れ出されました。
神は、救い主キリスト・イエスを与え、聖なるキリストの御霊を授けられる父なる神が彼ら(ユダヤ人とキリスト者)の神であることを知らせ、彼らの間に住んで、彼らの神となるために、彼らの魂を救われました。
そして、子羊イエスの血で罪が贖われた罪人を世の滅びから救い出して、この世の生き方や罪の奴隷の生き方に変えて神に聞き従う新しい生き方を教えられます。
「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神の御心は何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:2)
イエス・キリストの父なる神は、キリスト者の間に住まわれる神であり、また、イスラエル人の間に住まわれるイスラエルの神です。
神は、イスラエル人の神であり、新しい契約の民、神の御子イエス・キリストの民(主の民)の神です。
生けるまことの神は、彼らの神となるために、彼らを罪の滅びから救い出し、彼らと契約を結んで、彼らの間に住まわれる、憐みと恵みに満ちた愛の神です。
キリストの御霊を持つ者は、神の住まわれる聖霊の宮であり、霊とまことによって父なる神(生けるまことの神)を礼拝する真の礼拝者として召されているのです。