ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

まことの救世主は神のキリスト

 

 世には多くのキリストと呼ばれる人が出ています。「救世主」という意味で、キリストの称号を名乗っているのでしょう。そのキリストを信じる者にとって、その人はキリストなのでしょう。

 

 しかし、まことの救世主は、神から出たキリストなのです。

 神とは、天地を造り、人を造り、すべての被造物の主であられる神、全知全能の神です。そして、天地万物の創造主であられる神は、すべてのものを裁く裁き主でもあります。

 

 神は永遠の昔からおられる、初めも終わりもない、生ける神です。この方が、罪に定めたものが罪となり、この方が、罪を解かれるならば、その罪は赦されます。唯一の生ける神は、すべてのものに権限を持たれる絶対的主権者なのです。

 

 この絶対的主権者に逆らい、自分が主権を握ろうとして天から追放されたのが、堕天使の悪魔です。悪魔に従う堕天使どもは、悪魔に仕える悪霊どもです。

 

 人が造られたのは、神に敵対する悪魔の存在する時代です。神は、神に逆らう悪魔に対して、神のひとり子と心ひとつのもの、神の御子を愛する「人」を御子のために造られました。

 

 神の御子のために造られた人を、悪魔は蛇の言葉によって誘惑し、神の御子から奪い取りました。

 

 神は、蛇を怒り、蛇を罪に定めて呪われました。また、蛇に言葉を授けた蛇のかしらである悪魔を、神のひとり子によって踏み砕くことを宣言され、神のひとり子が自分のために造られた人を取り返すことを宣言されました。

 

 「神」と呼ばれるものは多いですが、神の称号を持つ「神」はおひとりだけです。そのほかの神々は、神でもないのに、神を名乗っているだけです。神の力はありません。

 神は生ける神であって、生けるものの神です。しかし、神を名乗る神々は、生ける神によって「死」が定められており、死んだものの神なのです。

 悪魔は天を追放された、神の反逆者です。神を名乗る神々もまた、まことの生ける神の栄光を踏みにじる、神の反逆者なのです。

 

 救世主とは、この世から救い出す神という意味です。天に属する、神のものです。この世に属さないものです。地に属するものをきよめこの世から救い出すのが、救世主です。救い出すということは、この世のほかに入る場所があるということです。

 

 地に生まれ、地で生き、地に属するこの世のものは、この世の苦しみ(生老病死)から救われるためにもがきます。生老病死のない新しい世を望みます。しかし、この世に属するものは、生きたままこの世から救われるとは思っていません。生きている間は、この世に属しており、生老病死が伴うことを知っているからです。

 彼らは、死後にその理想の世があることを夢見ています。死後にそのような世界があることを教える者たちがいるからです。しかし、それらの人々は、死後の世界に入って確かめ、その体験を伝えるために死から甦った証人を知りません。彼らの望みは、実証されていないのです。

 

 なぜならば、彼らに教える者たちが、地に属する者だからです。地に属する者が、この世から救うキリスト(救世主)になることはできません。世から救うのは、天に属する神のなさるわざです。

 それゆえ、天から追放された悪魔が救世主になることはできず、また、この世に属する地の神々が救世主になることはできません。

 

 そもそも、キリストとは、預言者の油、祭司の油、王の油の三つの油を併せ持つ、天に属する人の子(人の姿をした神のひとり子)のことです。

 

 預言者の油とは、神が契約を結ぶユダヤ民族にお与えになった「聖書」にある預言を成就する神の霊であり、世の終わりを告げ、天におられるまことの生ける神を証し、神の御国を明らかにし、永遠のいのちを得させるための真理のことばを語る者です。

 

 祭司の油とは、まことの生ける神と人との間の仲介者であり、人々の罪が赦され神に義とされるために執り成し、罪人たちのために罪やしみ傷しわのない聖なる神の子羊の生贄を神の御前に献げる祭司の権限を神から受けた者です。キリストの祭司の油は、とこしえの祭司であって、天の聖所で仕える祭司、メルキゼデクに等しいとされる祭司です。

 

 王の油は、神を信じる者、神に従う者、神を愛する者、神のことばのうちに居る者たちを治める、神の国の支配者の権限です。この世の国ではありません。この世の次に来る新しい世の国に建てられるイスラエルの王です。

 

 神のキリストは、神から出た者であって、天に属する者です。天に属する者だから、人々をこの世から救い出し、神の御国に導くことがおできになるのです。

 それは死後に起こることではなくて、肉体をもって生きているこの世で、この世から救い出される魂の体験を与えます。救い出されるのは、肉体の人ではなくて、その人のうちの霊と魂なのです。

 

 神は、最初の人(アダムとエバ)を惑わし罪に陥れた蛇に、蛇のかしら(悪魔)を踏み砕く救世主(主キリスト)を女のすえに起こすことを誓われました。神が宣言された神の遣わされるキリストこそが、罪人を世から救い出す救世主なのです。

 

 世に住む人はみな、神に罪を犯した罪人です。神に罪を犯したので、天に属しておらず、死ぬ者となったのです。死は、神に罪ある者の証です。罪がなければ死ぬことはありません。すべての人は死ぬので、すべての人が罪を犯しているということは明らかです。

 

 神は、蛇に誓った女の末(救世主)を生む民を造られました。神が契約を結んだイスラエルです。

 神はアブラハムを選び、アブラハムと契約を結び、アブラハムの子孫が、すべての国民、すべての民族、すべての国語の諸国の祝福となることを約束されました。神が仰せられたアブラハムの子孫とは、ひとりの子孫、女から生まれる人の子となられた神のひとり子を指します。

 

 神はイスラエルに聖書を与え、女から生まれる人の子キリストのしるしを告げられました。

 

 キリストのしるしは、いろんな角度から告げられました。

 イスラエルのダビデの町ベツレヘムで、ユダヤ人の処女から生まれる方であること。

 神御自身が名づけられた「イエス」という名前であること。イエスは、神がともにおられ、「インマヌエル(神が私たちとともにおられる)」と呼ばれること。イエスの上には、主の御霊がおられました。

 キリストは、主の御霊がおられ、罪人に赦しを告げ、盲人の目を開き、虐げられている人々を自由にし、主の救いを告げ知らせること。

 キリストは、人々から蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っている人であること。イエスは、ナザレ人としてユダヤ人から蔑まれました。

 キリストは、ロバの子に乗って入城されること。イエスは、ろばの子に乗ってエルサレムに入られました。

 キリストは、世の罪を取り除く神の子羊であり、罪の贖いの代価としてご自分のいのちをお与えになること。イエスは、罪人のために十字架で罪の贖いの血を流されました。

 キリストは一度死んでも、墓から甦り、死から復活し、永遠に生きるメシアであること。イエスは、三日目に死から復活し、四十日の間、弟子たちに現われ、弟子たちの見ている間に、天に上って行かれました。

 死から復活されたキリストは、世に遣わされた父なる神のみもとに帰り、罪が贖われた人々(神の子羊イエスの贖いの血による御救いのわざを信じた人々)に聖霊のバプテスマを授ける方であること。イエスが天に上られた後で、弟子たちはエルサレムに集まり、五旬節の日に聖霊のバプテスマを受けました。

 世が改まると、神の御座の右の神の子羊が、天の雲に乗って再びイスラエルに来られて、イスラエルの王となって世界を治められること。神のわざを成し遂げた神の子羊イエス・キリストは、天の軍勢を引き連れて天から来られ、反キリストと偽預言者を生きたままで永遠に燃える火に投げ入れ、悪魔を縛って千年の間深い穴に閉じ込めて、平和な世を造られます。

 

 神がイスラエルに遣わされた神のひとり子イエスは、キリストに関する預言をことごとく成就し、神の子羊の贖いのわざを成し遂げて、復活の新しいからだで、ご自分を遣わされた父なる神のみもと、天に帰られました。

 

 神のキリストは、父なる神について、神の御国について、永遠のいのちについて教え、真理を明らかに示されました。天に属する神のキリストは、真理をはっきりと示されたのです。

 神のキリストは、聖書に書かれたキリストに関する預言をご自身においてことごとく成就されます。

 

 神のキリストは、ダビデ王に約束されたとおり、ダビデの王座に着座して世界を支配する王となられるのです。

 

 天から来られた神の御子イエス・キリストが、罪人の罪をみずからの血(いのち)で贖い、悪魔の勢力を踏み砕いて地に属する支配者(悪魔と悪霊どもと悪魔の子ら)のくびきを打ち砕き、この世の支配から救い出して神の支配に連れ戻し、キリストの授ける生かす御霊によって神の子どもに造り変え、永遠のいのちを得させて天の御国に入らせる、唯一のキリストです。

 

 ダビデの王座に着くイスラエルの王(イエス・キリスト)の治世(千年王国)が終わると、神のキリスト(イエス・キリスト)は、神とともに、裁きの座(白い御座)に着いて世を裁き、悪魔を永遠の火に投げ込まれます。神のキリストは、神のひとり子なのです。