「聖書に『最初の人アダムは生きた者となった。』と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。」(コリント第一15:45)
最初のアダムは、土の塵で人のかたちに造られて、その鼻にいのちの息(神の息)を吹き込まれて、生きた者となりました。
彼は、神の敵(悪魔)のしもべ(蛇)の言葉に聞き従い、神のことばから外れエデンの園から追放されて、この世の君(悪魔)の支配下に入りました。
悪魔の支配下に入った人は罪の奴隷となって、死ぬ者となりました。神のいのちの息によって生きた者となった人は、悪魔の奴隷となり、悪魔の道(死の道)を歩む者となったのでした。
最後のアダムは、蛇のかしらの悪魔を踏み砕き、悪魔に捕らえられていた魂を死と滅びの道から救い出すために、ご自分のいのちを代価として差し出されました。神は、死ぬ者となった魂を、神の子羊イエス・キリストの贖いの血で買い戻されました。
罪のない神の子羊イエスの血は、罪人をきよめます。子羊イエスの血は、罪人の罪を赦すために流されたからです。神の子羊イエスの血によって罪が贖われた魂を、神は義とされます。
神は、子羊イエスの血をご覧になられると、キリストの血のしるしのある魂の裁きを過ぎ越されます。
罪の贖いの血を流された子羊イエスは、聖書に書いてあるとおりに、悪者どもとともに墓に葬られ、三日目に墓から甦られました。
子羊イエスは、アダムの罪によって死ぬ者となった人を、罪赦されて永遠に生きる者とするために、神に遣わされた贖いの神の子羊キリストでした。イエス・キリストは、天から遣わされた救世主なのです。
十字架で罪の贖いの血を流されたキリスト(救世主)は、滅ぶべき肉体に死んで墓に入り、聖霊によって死から甦られました。聖霊は、神の御救いのわざを成し遂げた子羊イエスに、新しい復活のからだを与えて、死から復活させられました。
復活のからだは、死に勝利した子羊イエス・キリストに与えられた栄光のからだです。肉体のように滅びることがなく、永遠に生きる栄光のからだです。
死から復活された神の子羊キリスト・イエスは、死から甦らす「生かす御霊」となられました。最後のアダムは、永遠に生きる神の子どもの長子です。
イエス・キリストは、肉体に死に、聖霊(生かす御霊)によって死から甦られた初穂となられました。土の塵から造られたアダムではなく、御霊によって生まれた神の子ども、御霊の新しい創造である第二のアダムです。
第二のアダムは、最後のアダムです。生かす御霊によって死から甦られた復活のキリストは、復活の新しいからだで天に上り、父なる神の御座の右に着座されました。
キリストは、御父から受けられた聖霊のバプテスマを授ける権威を行使されます。神は、イエス・キリストの御名によって、聖霊のバプテスマを授けられます。
御救い(十字架による罪の贖い)のわざを成し遂げ死に勝利して甦り、天に上げられたキリスト・イエスは、イエス・キリストを信じる者に、聖霊のバプテスマを授けて「生かす御霊」を住まわせられます。
最後のアダムは、生かす御霊となって、御救いを受ける者(イエス・キリストを信じる者)のうちに住まわれます。
神は、死から甦られたキリストの御霊により死ぬべき魂を新しく生まれさせて、肉を殺し、御霊にて生きる新しい生き方を教え、神の御国にふさわしい者、キリストに似た者に造り変えて、永遠に生きる神の子どもに創造されます。
最後のアダム(神の御子イエス・キリスト)は、生かす御霊となって、死ぬべき人間を新しく生まれさせて、永遠に生きる神の子どもとされるのです。
死とハデス(永遠の火の池)の鍵を持つ勝利者、神の子羊イエス・キリストは、右手に七つの星を持っておられます。七つの星を持つキリストは、七つの金の燭台の真中に立っておられます。(黙示録1:12-20)
七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会です。
キリストの手にあるのは、七つの御霊の教会の御使いです。キリストは、七つの御霊の教会の主なのです。七つの御霊の教会の御使いは、キリストの御心を忠実に成し遂げます。御使いとは、聖徒たちの御霊による祈りとともに働く御使いたちのことでしょう。
キリストの右の手にあるのは、七つの御霊の教会(永遠のいのちを得させる御霊の教会)の御使いです。おそらく、左の手には、死とハデスの鍵があるのでしょう。
バプテスマのヨハネは、キリストを証言して、このように言っています。
「キリストは、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」(マタイ3:11,12)
聖霊のバプテスマと火(試み)のバプテスマは、神からのものです。人間が授ける水のバプテスマ(悔い改めのバプテスマ)とは異なるものです。
キリストは、天の御国を受け継ぐ神の子どもたちを、御霊によって生まれさせて、試みによって聖なる者とし、生かす御霊の新しい創造とされます。
新しい創造の第二のアダムは、最後のアダムのキリストを頭とするキリストのからだであり、永遠に生きる新しいひとりの人です。御霊の教会に属するひとりひとりは、キリストのからだの器官であり、細胞です。
七つの御霊の教会は、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤの教会の七つです。
目に見える地上のキリスト教会ではありません。見には見えないけれども、生かす御霊が新しく造り上げる教会です。民族も国も国語も国籍も関係ありません。彼らの国籍は、天にあるのです。御霊によって生まれ、御霊によって育てられ、信仰から信仰へと成長する霊的教会です。
黙示録二章、三章に、七つの御霊の教会の、信仰の勝利者に授けられる報いが書かれています。
エペソにある教会の信仰の勝利者(神が与える信仰を持つ者)に、神のパラダイス(千年王国の神の都)にあるいのちの木の実を食べさせる、と約束されています。
スミルナにある教会の信仰の勝利者(死に至るまで忠実に信仰を保ち続ける者)に、いのちの冠を与える、と約束されています。
ペルガモにある教会の信仰の勝利者(イスラエルの神の真理のことばに留まる者)に、新しい名が書かれた白い石と、隠れたマナ(荒野で養われる)を与える、と約束されています。
テアテラにある教会の信仰の勝利者(偽りに騙されず最後まで神のわざを守る者)に、(千年王国で)諸国の民を支配する権威を与える、と約束されています。
明けの明星であるキリストに仕えるふたりの証人は、厳しいことばで彼ら(テアテラ)を治めます。キリストが御父から支配の権威を受けているのと同じです。
サルデスにある教会の信仰の勝利者(罪から離れて御霊に聞き従う忠実な者)は、白い衣(殉教者に与えられる衣)を着せられる、と約束されています。彼らの名はいのちの書に記されます。彼らの死は神の国のためだからです。
フィラデルフィヤにある教会の信仰の勝利者(自称聖徒の惑わしに屈することなく、神に聞き従って栄光の冠を受ける選ばれた者)は、神の聖所の柱とされ、彼の上に神の御名と、神の都(神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレム)の名と、キリストの新しい名とを書き記す、と約束されています。
「地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練(患難)の時には、あなたを守ろう。」とありますから、フィラデルフィヤの教会の人々は、患難に入る前に、生きたまま天に移されて(携挙)守られるのでしょう。
ラオデキヤにある教会の信仰の勝利者(ユダヤ教にもキリスト教にもどんな宗教にも汚されることなく、神の試練によって良心が目覚めて真理の開かれる神に召された者)は、キリストとともにキリストの座(裁きを行なう権威、千年王国の新しい世で世界を裁く多くの座)に着かせる、と約束されています。それは、神の子羊キリスト・イエスが、勝利を得て、御父とともに御父の御座に着かれたのと同じです。おそらく、ラオデキヤの教会の人々は、黙示録14:1-5に書かれた十四万四千人のユダヤ人だと思います。
十四万四千人のユダヤ人は、黙示録7:4-8で生ける神の印、額に子羊の名と、子羊の父の名が記された人々です。ユダヤ民族の十二支族のユダ族、ルベン族、ガド族、アシェル族、ナフタリ族、マナセ族、シメオン族、レビ族、イッサカル族、ゼブルン族、ヨセフ族(エフライム族)、ベニヤミン族のそれぞれから一万二千人ずつ、額に印が押されました。この神に召された十二支族の中に、ダン部族は含まれていません。
復活のキリストの右の手の中にあるのは、信仰の勝利者の祈りとともに働き信者を助ける御使いたちであり、キリストは、七つの御霊の教会(七つの金の燭台)、すなわち、信仰の勝利者の教会の真中に立っておられるのです。
パウロは言います。
「兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。」(ガリラヤ1:11,12)
御霊によって新しく生まれた者(新生)もまた、人間に教えられる者ではなく、御霊に教えられ、御霊に聞き従う者です。御霊の教会に属する者は御霊に牧されます。
復活のキリストとともに立つ七つの御霊の教会が、天の御国に入る教会です。地上の教会ではありません。
天の御国に入る教会は、キリストの生ける御霊が新しく創造されて御霊が牧される、信仰の勝利者の七つの御霊の教会です。この七つの御霊の教会は、キリストの生かす御霊によって生きる信仰の勝利者の教会です。
信仰の勝利者によって、永遠に生きるキリストのからだが完成するのです。