ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

非常に良かった

 

 「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常に良かった。こうして夕があり、朝があった。第六日。」(創世記1:31)

 

 創世記に、神が天と地と万物を、六日で創造されたことが書かれています。六日と言っても、その一日は人間の二十四時間ではなく、人間には計り知れない神時間の一日です。

 

 最後に人を造り、六日間で完成した被造物すべてをご覧になった神は、満足されたようです。非常に良いものでした。

 

 非常に良い状態だったものが、人の罪(人は神のことばから外れ、悪魔の言葉と結びつき、悪魔の支配下に入った)によって、価値を失いました。アダムが罪を犯したことで、被造物全体が罪の呪いを受けるものとなったのです。

 

 アダムは、すべてのものの管理者でした。すべてのものを支配する者だったのです。すべてのものを支配するアダムが悪魔の支配下に入ったらどうなるでしょう。支配者であるアダムの管理下にあるものもすべて、悪魔の支配下に入ったのです。

 

 神から、すべてのものを支配することを命じられたアダム。すべてのものは、神が定められた支配者アダムに従順に従うものです。

 神が創造された世界に、善悪の知識を知る木の実を食べるものはいません。食べたのは、人だけです。善悪の知識の木の実を食べない、他の被造物は自分で判断することはありません。管理者である人を差し置いて直接神に伺うものもいません。ただ支配者である人に従順に従うだけです。

 

 アダムの罪は、すべての被造物を巻き込みました。アダムの不従順の罪によって、すべての被造物もまた、神に背く罪を負うものとなったのです。

 

 被造物全体が、人の不義によって、うめいています。

 「被造物も、切実な思いで神の子どもたち(神に従順な人たち)の現われを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。

 (神の子どもたちが現われるならば)被造物全体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。」(ローマ8:19-21)

 

 被造物は永遠に生きておられる神に創造され、創造主の永遠の中で生まれていました。

 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。」(伝道者3:11)

 神は、人の心に永遠への思いを与えておられます。すべての被造物は、永遠の思いが与えられている人に支配されていたのです。彼ら(すべての被造物)には、罪も死も無縁でした。

 

 神が創造された天体は、すでに悪魔の攻撃にあっていましたが、神は、人を住まわせられた地球を人のために守っておられます。

 天体は、神の被造物ですが、人の支配を受けるものではありません。人が神に管理を任されるいるのは、地球のものです。

 

 人の罪によって、すべてのものは、永遠から外れ、死ぬものとなりました。すべてのものに、死が訪れます。岩石は風化し、草木は枯れ、生きものは死に、被造物すべてはみな、かたちが崩れ朽ちます。

 

 永遠の神に背いて人が罪を犯したからです。すべてのものの支配者(人)が神のことばとひとつとなれば、再び、すべてのものは永遠のものとされるはずです。

 

 人は、罪の呪い(死)に苦しみ、生老病死の苦しみから救われることを、切実に求めて来ました。神は、人に、永遠への思いを与えられています。人は、永遠ではない現状に納得できない気持ちを抱いているのです。

 被造物も神とひとつである神のひとり子(神の御子)のような神の子どもたちの現われを、切実な思いで待ち望んでいます。

 

 神に忠実で従順な人々が現われるならば、滅びの束縛から解放されるに違いありません。被造物は、罪に落ちた土の塵から造られた人ではなく、神に仕える天使(罪のない神の子)のような神の子どもを求めたことでしょう。人ではだめです。肉なる者は罪ある者です。天使のように肉の弱さのない霊的存在の支配者が必要です。

 

 被造物を服従させる方(創造主)によって、被造物は人に服従しました。天使を服従させる絶対的主権者の神によって、天使たちは天使長に従って堕天使となりました。

 自分の意志によってではなく、被造物は罪を犯したアダム(人)によって、虚無に服しました。自分の意志によってではなく、堕天使たちは罪を犯した天使長によって、虚無に服しました。

 

 彼らには、望みがあるのです。

 被造物も、堕天使たちも、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。神の子どもたちが現われるならば、人の罪によって虚無に服した被造物自体も、天使長の罪によって虚無に服した堕天使たちも、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。

 

 神は、支配者である人の罪を赦し、滅びの束縛から解放するために、神のひとり子イエスを遣わされました。神のひとり子は肉体を持つ人の子となって来られ、罪の贖いの神の子羊として死なれました。

 神の子羊の血は、人の罪を贖い、罪の赦しを宣言する血です。罪の赦しが言い渡された人は、神に義とされるのです。

 

 神の子羊キリスト・イエスは、罪の贖いの血を流し、墓に入り、三日目に墓から甦られました。木(十字架)に掛けられて肉に死んだ人の子イエスは、御霊により死から生まれた霊の子キリストとなられたのです。

 神のひとり子は、女から生まれた人の子イエスとなられ、罪の贖いの子羊の血を流して、神の御霊によって、霊の子として新しく生まれて、死から復活し、御救いのわざを成し遂げられました。

 

 神のひとり子イエス・キリストは、肉に死に、霊にて生まれる者の初穂となられました。新しい創造の最初となられたのです。イエス・キリストは、第二のアダムです。

 キリストは、御霊が生んだアダム(新しい人)であり、被造物が切実に待ち望んだ神の子どもの初穂でした。

 

 イエス・キリストを信じ、御霊によって生まれ、新しい創造を受ける人は、御霊の初穂であるキリストの「生かす御霊」をいただいた者です。

 御霊の初穂(死から甦られたキリストの生かす御霊)をいただいている私たち自身も、この世の滅びの法則に苦しみ、罪の束縛にうめきながら、滅びの束縛から解放されて永遠のいのちを受ける神の子どもにしていただくことを待ち望んでいるのです。

 

 神が、神の御子イエス・キリストと聖霊(キリストの御霊)によって新しく造り変えられた御霊の子(御霊によって新しく生まれた人)は、神の子どもです。

 この地上に、キリストが再び来られて、世界を治められるとき、御霊によって新しく生まれた人々は墓から甦って、初穂であるキリストのように栄光のからだをいただいて復活の子となるのです。復活の子は神の子どもたちです。

 

 神の子どもたちが現われると、被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。

 

 神の子どもたちの現われは、被造物の癒しとなり、堕天使たちの希望となるのです。

 

 イエスは、ユダヤ人の群衆に言われました。

 「まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です。」(マタイ11:11)

 

 女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネが一番すぐれていると、イエスは言われました。女から生まれた者の中には、神とともに歩み、神に喜ばれ、生きたまま天に引き上げられたエノクがいます。

 神の御子であるイエスが、エノクではなく、バプテスマのヨハネが一番すぐれていると言われたのです。

 しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼(バプテスマのヨハネ)よりも偉大であると言われたのです。

 

 神の子どもとされる人は、この地上で一番すぐれていたバプテスマのヨハネよりも偉大な者とされると、キリスト・イエスが言われるのです。

 

 御霊によって生まれ、御霊によって造り変えられて、新しい創造を受ける神の子どもたちは、非常に良いものなのです。

 非常に良い創造物である、新しく創造された人は、永遠のいのちを得て、神の子羊キリスト・イエスのおられる天の御国に入り、永遠の安息を得るのです。