ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

十字架の血潮とイエスの御名の力

 

  イエスが十字架で流された血潮は、贖いの血です。人の罪の身代わりとしての、神の生贄の子羊の血なのです。イエスは、神御自身が神の子羊として、天から遣わした神の御子だったのです。

 

  神は、悪魔と悪霊どもを裁くことを定めておられます。その時、被造物の管理者である人も裁かれるのです。裁きは全地のものに及びます。すでに死んだ者達も神の御前に出て裁かれるのです。裁きを逃れる者はありません。

 

  ユダヤ民族が、四百年間の奴隷であった地エジプトを出る時、神はエジプトとイスラエルを区別されました。神は、イスラエルに命じました。

  「傷のない一歳の羊を、おのおの父祖の家ごとに屠り、羊を食べる家々の二本の門柱とかもいに羊の血をつける。その夜、その肉を食べる。足に靴を履き、手に杖を持って、急いで食べなさい。

 

  その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ家畜に至るまで、エジプトの地のすべての初子を打ち、エジプトのすべての神々に裁きを下そう。わたしは主である。

 

  あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びの災いは起こらない。誰も家の戸口から外に出てはならない。

 

  この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠の掟としてこれを祝わなければならない。」

 

  その通り、その夜、主がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧になれば、主はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者はその家に入って打つことがなかった。

 

  真夜中になって、主はエジプトの地のすべての初子を、王座に着くファラオの初子から、地下牢にいる捕虜の初子に至るまで、また、すべての家畜の初子をも打たれた。それで、その夜、ファラオやその家臣及び全エジプトが起き上がった。死人のない家はなかったのである。それで、エジプトには激しい泣き叫びが起こった。

 

  しかし、イスラエルからは犬の鳴き声ひとつ上がらなかった。こうして、神は、羊の血によって、イスラエルとエジプトを区別された。神の民ユダヤ人だから裁きを過ぎ越されたのではなく、羊の血によって区別された。ユダヤ人でも、家のかもいと門柱に羊の血をつけなければ打たれ、血をつけても家の戸口から外に出れば打たれるのである。ユダヤ人は神の命令を守り、すべての人が子羊の血で守られた。

 

  そして、エジプトはイスラエルの民を急き立てて、強制的にエジプトの国から追い出した。人々が、「我々も皆死んでしまう」と言ったからである。

 

  それで、ユダヤ民族は、神に命じられた通り、奴隷の家エジプトを連れ出された神を覚え、過ぎ越しの祭りを祝います。そして、「主がエジプトを打ったとき、主はエジプトにいたイスラエル人の家を過ぎ越され、私達の家々を救ってくださった」と言って、神を礼拝するのです。

 

  家のかもいと門柱にある羊の血をご覧になって裁きを通り過ごされた主と同一の主が、世の終わりに、全地を裁かれます。

 

  神は、裁きを過ぎ越すための子羊の血を用意されました。天から遣わされた神の子羊の血です。罪のない聖なる御子イエスの贖いの血です。イエスが神から遣わされた神の子羊であることを信じ、イエスは神の御子キリストであると告白し、十字架の贖いを信じる者には、イエスの血がつけられるのです。

 

  主は、イエスの血をご覧になって、「この者の罪は赦されている。聖い」と宣言され、裁きを過ぎ越されるのです。

 

  この世にあっては、悪魔はイエスの血を憎みます。悪魔は十字架で流されたイエスの血によって敗北したからです。イエスの血は、死の力を破り、悪魔の支配を打ち砕いたのです。イエスの血を受ける者が死から復活することを知っています。

 

  イエスを信じる人は、全身がキリストの血で覆われるように祈りましょう。キリストの血に悪魔は触れることが出来ないのです。「主よ。私の頭のてっぺんから足の裏までキリストの血で覆ってください。」悪魔に足場を与えないようにしましょう。

 

  イエスの血を受けた者は、イエスの御名を行使することが出来ます。宗教では、その信じる神や仏の名前を呼びます。阿弥陀様とかお釈迦様とか日蓮上人とかいろいろです。イエスを信じる者は、イエスの御名を呼びます。お祈りでも、「イエス様」と語りかけます。

 

  実は、このイエスという御名には、とんでもない力があるのです。神の権威を持つ力ある御名なのです。悪魔も恐れる御名なのです。

 

  イエスに遣わされていた弟子達が喜んで帰って来て、言いました。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私達に服従します。」イエスの御名によって出て行け、と命じれば悪霊どもは悪霊に憑かれた人から出て行くのです。

 

  イエスはいわれた。「わたしが見ていると、サタンが稲妻のように天から落ちました。確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵(悪魔)のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。

 

  だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」

 

  イエスの御名で命じることに悪魔や悪霊どもも服従しなければなりません。イエスの御名には、神の権威があるのです。神は、イエスが復活し昇天すると、子羊イエスに栄光と誉れの冠を与え、万物をその足の下に従わせられました。万物を彼に従わせたとき、神は、彼に従わないものを何一つ残されなかったのです。

 

  宇宙すべてのものは、イエスの御名の権威の下にあるのです。イエスを信じる者は、宇宙の権威者である、イエスの御名を行使することが許されています。

 

  権威あるイエスの御名によって祈りましょう。そして、何より永遠のいのちが与えられたこと、裁きを免れ滅びから救い出されたことを喜び、イエスの救いのわざ、十字架のわざを讃えましょう。イエスの十字架は天に帰る道を開き、天に私達の名を書き記したのです。

 

  イエス・キリストの血を求めましょう。イエスの御名で祈りましょう。

 

  「主よ。キリストの血で覆って下さい。イエスの御名によって、私の体から悪いものが出て行くように、命じます。私はキリストのもの。御霊の住まいです。主イエス・キリストの御名によって命じる。悪しき者よ、立ち去りなさい。

  主よ。私の細胞一つ一つに御霊の力を働かせてください。健やかな霊で満たし、病いに打ち勝つ力を与えてください。あなたの御名には勝利の力があります。御名の力を褒め称えます。私の細胞を祝福します。私の体を主イエス・キリストの御名によって祝福します。」

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

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