ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

異邦人の完成

 

 「奥義とは、イスラエル人のかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。

 『救う者がシオンから出て、ヤコブ(ユダヤ民族)から不敬虔を取り払う。これこそ、彼ら(イスラエル)に与えたわたし(生ける神)の契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。』」(ローマ11:25-27)

 

 救いに入る異邦人が満ちる(救いに定められた異邦人がキリストを信じて異邦人の救いが完成する)と、かたくなであったイスラエル人はみな救われると、神はお定めになっておられます。

 

 異邦人の救いが完成すると、それ以降は、新たに救いに入る異邦人はいないという事でしょうか。

 おそらく、そうでありましょう。

 神が遣わされた神のひとり子イエス・キリストを信じなかったイスラエルを怒り、神は、イスラエル人をかたくなにされました。

 

 「あなたがた(イスラエル)は確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。」(使徒28:26)

 

 神は、預言者の口に、「聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。」ということばを授けて、イスラエルに告げられました。

 なぜ、神は預言者イザヤにこのような厳しいことばを語らせられたのでしょうか。

 

 神は、昔からイスラエルに約束しておられたキリスト(神のひとり子キリスト・イエス)を、イスラエルに遣わされました。しかし、イスラエルは、神の御子イエスに対して好き勝手なことをし、聖なる御子を嘲り、罵り、辱しめを与えました。

 神のことばを語り神の御業を現わすイエスを悪霊呼ばわりし、神の御子の誉れと愛を踏みにじりました。イスラエルは、真理(イスラエルの神)に立ち向かい、悪魔の子のわざをしたのです。

 神のひとり子を辱めることは、御子を遣わされた神御自身に立ち向かうことです。聖なる神を汚す神の集会のしみです。

 

 神のイスラエルへの怒りは大きく、「この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心で悟り、立ち返って、癒されることのないために。」(イザヤ6:10)と呪われました。

 

 神が、イスラエルの心を鈍くされたので、イスラエルの耳は遠くなり、目はつぶり、聞いても悟ることができず、見ても知ることのできない、認知不能な者とされました。

 それで、神のひとり子イエスを見ても知ることができず、神の御子イエスのことばを聞いても悟ることができませんでした。

 

 神は、イスラエルの様々な世代の預言者に語り、キリストの現われを知らせておられました。イスラエルは、神が遣わされるメシアを待ち望む契約の民族でした。

 しかし、神が地上に置かれた祭司の国民、約束のメシアを迎えるユダヤ民族は、神に遣わされたキリストの訪れの日に、神のひとり子キリストを悟らず、否みました。彼らは、モーセの律法と照らし合わせて、イエス・キリストを偽り者とし、拒みました。

 

 神の奥義は、イスラエルをすべての民族の祝福とすることでした。

 イスラエルの違反が世界の富となり、イスラエルの失敗が異邦人の富となりました。モーセの律法を知るイスラエルが、モーセの命じた聞き従うべきもうひとりの預言者(天から来られる預言者、いのちを得させてくれるキリスト)に聞き従うことができませんでした。しかし、このイスラエルの違反が世界の富となったのです。

 

 どういうことでしょうか。復活のキリストは、使徒パウロを立てて、異邦人の使徒とされました。御救いの福音、永遠のいのちを得させるキリストの福音を、約束の無かった民、神から遠く離れていた異邦人に与えられたのです。

 神に不従順であった異邦人が、契約の民イスラエルの不従順のゆえに、憐れみを受け、福音を信じて御救いを受ける恵みをいただきました。キリストを待ち望んでいなかった異邦人が、キリストの御救いにあずかる者とされたのです。

 

 神に仕える神の民イスラエルが神の御子イエスに敵対し福音を退けて、神に敵対しています。

 偶像の神々に仕え神から遠く離れていた異邦人が、神の憐れみを受けて、キリストの血による神との和解を受け入れました。イエス・キリストを信じる者は、神のひとり子キリストにより御救いを受けました。

 

 「ちょうどあなたがた(キリストを信じた異邦人)が、かつては生けるまことの神に不従順であったが、今は、彼ら(イスラエル)の不従順のゆえに、憐れみを受けている(御救いを受けている)のと同様に、彼ら(イスラエル)も、今は不従順になっていますが、それは、あなたがたの受けた憐れみによって、今や、彼ら自身も憐れみを受けるためです。

 なぜなら、神は、すべての人を憐れもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。」(ローマ11:30ー32)

 

 イスラエルの一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までです。

 イスラエルを救う者がシオンから出て、神のことばを語り、神のわざを現わします。そして、ユダヤ人は彼に従うのです。その時、神は、ヤコブ(肉の契約の中にいる律法の民イスラエル)から不敬虔を取り払い、神が、イスラエルの罪を取り除かれます。神がイスラエルの霊の目を開かれ、イスラエルはキリストの御救いを受けるのです。

 

 異邦人の名がいのちの書に記されるには、時があるようです。反キリストが現われる前にその時は満ちるようです。

 キリストの福音を聞き、信仰の種を受けた人たちは、神の国に招かれた者たちです。神の聖徒らに執り成されていた人もその中に入るのかも知れません。

 ユダヤ人の時には、ふたりの証人が立って、神のわざを現わし、神の真理のことばが解き放たれます。

 神のわざを見、真理のことばを聞いて、悔い改める者は、ユダヤ人と、御救いに招かれた異邦人です。

 神のことばの種(福音)のない異邦人たちは、逆らいます。神のことばの種を持つ異邦人が救われる最後の悔い改めのチャンスがこの時です。

 

 異邦人の完成とは、救いのことばがまかれた人も含まれるでしょう。。ユダヤ人の時に入る前は熱心な信仰者でなかった人が、世界情勢の変化と気象の変化、太陽が輝かず、闇におおわれそれまでと全く違った状況の中で預言を聞き、神に悔い改めて反キリストに殺されていきます。

 

 キリストの福音を聞くことができる今は、恵みです。

 その時には、反キリストを恐れて、すべての人がキリストを否定するからです。クリスチャンの中にも、自分の命を守るために、キリストを否定する者が多く現われます。多くの人々が棄教するからです。

 

 キリストの御救いを受けた人は、しっかりとした土台の上に立っているかどうか、確認しましょう。また、もし、異邦人の時が完成してユダヤ人の時になお、生き残っているならば、神を恐れ、死に至るまで忠実に、信仰を保つことができるように祈り神にすがりましょう。多くの人は、反キリストの勢力、この世を恐れて、背教するからです。