「もしも、枝の中のあるものがおられて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。
枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう。そのとおりです。彼らは不信仰によっておられ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで恐れなさい。
もし台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。」(ローマ11:17-21)
ユダヤ人の不信仰(神が遣わされた神の子羊イエス・キリストを信じない罪)のために、ユダヤ人の枝はまことの神を礼拝するオリーブの木から折られて取り外されました。
その折られた枝に代わって、野生種(異邦人)のオリーブの枝が選びの民ユダヤ人の枝に混じってつがれました。イスラエルの神が遣わされた救い主イエスを信じた異邦人は、神の民イスラエルに加えられたのです。
異邦人は、イエス・キリストを信じる信仰によって、永遠に生きるオリーブの根(神の契約が与えられたアブラハムの信仰に基づく希望と約束の成就)の豊かな養分(神の約束のことばとそれに伴う祝福)をともに受けています。
救われた異邦人は、イエス・キリストの救いの約束と永遠のいのちのオリーブの木につがれた自分の枝に対して誇ってはいけません。自分の枝が良いものだから、悪いユダヤ人の枝が折られて神のオリーブの木につがれたのだ、と言ってはいけません。
誇ったとしても、枝である異邦人の救いは、神の契約を受けたアブラハムと、アブラハムの子孫であるユダヤ民族に与えられた神の契約に基づく救いなのです。つまり、異邦人の救いはユダヤ民族の契約の上に成り立つ救いなのです。
神の約束を受けたユダヤ人は不信仰によって折られ、神の約束を受けていなかった異邦人は神の御子イエス・キリストを信じる信仰によって立っています。
もし神が約束の基である元木の枝(ユダヤ民族)を惜しまれなかったとすれば、異邦人の枝も惜しまれないでしょう。高ぶらないで、かえって恐れなさい。キリストにある異邦人もその慈しみと恵みの中に留まっていなければ、不信仰な神の契約の民ユダヤ人のように切り落とされるのです。
ユダヤ人は神が遣わされた約束の「人の子イエス」を信じることができず、神の御子キリストを退けました。その不信仰ゆえに、ユダヤ人は、神が育てられた栽培種のオリーブの木から切り落とされました。
不信仰のために切り落とされたユダヤ人であっても、もし不信仰を続けなければ、まことの神に仕えるオリーブの木につぎ合わされるのです。神は、彼らを再びつぎ合わすことがおできになります。
もし契約のなかった異邦人が、自然のままの野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質(まことの神を知らず偶像に仕え滅びに向かう肉の性質)に反して、栽培されたオリーブの木(神御自身が育てられたまことの神に仕えるいのちの木)につがれたのであれば、これらの栽培種のもの(不信仰を悔い改め主キリストを信じるユダヤ人)は、もっと容易く自分の元木(もともとユダヤ人のものであったイスラエルの台木)につがれるはずです。
神の御子イエス・キリストの救いを受けた異邦人が自分で自分を賢いと思うことがないようにするために、パウロは言います。
「兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。
『救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。これこそ、わたしが彼らの罪を取り除く時である。』
彼らは、福音(イエスが神の御子キリストである。主イエス・キリストを信じる者に永遠のいのちが与えられる)によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者(神の御子イエスを信じない者)ですが、選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。
神の賜物と召命とは変わることがありません。
ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は、彼らの不従順のゆえに、憐れみを受けているのと同様に、彼らも、今は不従順になっていますが、それは、あなたがたの受けた憐れみによって、今や、彼ら自身も憐れみを受けるためなのです。
なぜなら、神は、すべての人を憐れもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。」(ローマ11:25-32)
イスラエルをかたくなにされたのは神です。それは、彼らの違反によって、救いが異邦人に及ぶためでした。異邦人が救われるためです。それはまた、イスラエルに妬みを起こさせるためでした。
イスラエルの違反が世界の富(異邦人の救い)となりました。神は、異邦人を完成させると、世界に富(永遠のいのちを与える主イエス・キリスト)をもたらしたイスラエルの罪を取り除き、イスラエルを救われるのです。
なぜならば、異邦人の救いのためにかたくなにされたイスラエルは、今はイエス・キリストを憎み神に敵対している者ですが、彼らの先祖たちゆえに神に愛された者選ばれた者だからです。
神の契約と祝福、イスラエルの賜物と召命とは変わることがありません。
まことの神に不従順であった異邦人が、イスラエルの不従順のゆえに、憐れみを受け主イエスを信じる信仰を得ているのと同様に、今は不従順になっているイスラエルも、異邦人が受けた憐れみによって、憐れみを受けるためなのです。
なぜなら、神は、すべての人を憐れもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。心かたくなにするのは、彼らの不義を取り除き憐れむためです。
すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るのです。神の知恵と知識の富は、何と底知れず深いことでしょう。(ローマ11:36,33)
「キリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。」(コロサイ2:3)キリストの御霊が真理の光をもって神の奥義を教えてくださいます。
イスラエルの心をかたくなにしたのは、神です。それは、神から遠く離れていた異邦人に救いが及ぶためでした。
イスラエルは神に捨てられたのではありません。不信仰で不従順なユダヤ民族が取り除かれて、主イエス・キリストを信じる異邦人(クリスチャン)がイスラエルとなったのではありません。
異邦人の救いの完成のなる時、イスラエルはみな救われるのです。