ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神を恐れ神を崇めよ

 

 神に忠実であったユダヤ人ビリーバー(ユダヤ人の伝統やしきたりに縛られず、律法の下にいないユダヤ人のキリスト者)とクリスチャン(異邦人のキリスト者)が世から取り去られると、ユダヤ人の救いの時が始まります。

 

 異邦人の時は完成したのです。

 ユダヤ人の時に、神は、ふたりの証人と、また、ふたりの証人によって生ける神の印「父の名と子羊の名」を額にしるされた十四万四千人のユダヤ人とを働き人として立てられます。

 ふたりの証人はユダヤ人たちに神のことばを告げ知らせ、神のしるしと奇跡を現わします。しるしを見たユダヤ人たちは、ふたりの証人の宣教のことばを信じます。また、メシアニック・ジューたちがユダヤ人の救いのために、ともに働くことでしょう。

 

 「全世界に出て行き、すべての造られた者(あらゆる国民、部族、国語、民族)に、(ご自分の血によって罪を贖い、死から復活されたイエス)キリストの福音を宣べ伝えなさい。(神の御子イエス・キリストを)信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、(福音のことばを)信じない者は罪に定められます。」(マルコ16:15、16)

 死から甦られたキリスト・イエスに命じられて、世界宣教を始めたユダヤ人の弟子たちの宣教の働きは、異邦人のキリスト教会が受け継いでいましたが、いまや、異邦人の時は完成し、ユダヤ人の時となりました。

 

 イエスが、イスラエルを巡り歩かれたとき、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」(マタイ15:24)と言っておられました。

 また、イエスは、十二人の弟子を遣わすとき、彼らにこう命じておられます。

 「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町にはいってはいけません。イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。」(マタイ10:5,6)

 

 神のひとり子イエスの父(イスラエルの神)の命令だったのです。イエスのもとに来てしつこくせがむ異邦人のうちにある信仰をご覧になって、「ああ、あなたの信仰は立派です。あなたの願いどおりになるように。」とおことばをかけられることはありましたが、イエスみずから異邦人に宣教されることはありませんでした。

 イエスは、イスラエルの家(全能の神と契約を結ぶ神の民ユダヤ民族)の滅びた羊のところに遣わされていたのです。

 

 異邦人の時が完成しユダヤ人の時になると、イエス・キリストがイスラエル(神御自身がアブラハムを選び契約されたアブラハムの契約と祝福の相続人であるユダヤ民族)に遣わされていたように、神に立てられた人々(ふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人)もまた、イスラエル(神の民、すなわちイスラエルの神と契約を結ぶユダヤ民族と、イスラエルの神の御子イエスを〈わが主わが神救い主〉と告白するキリスト者)に遣わされます。

 

 すでに、時は「ユダヤ人の時」なのです。神が契約を結び、御救いの約束をお与えになったイスラエルを救う時です。

 

 「キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身を生贄として罪を取り除くために、来られたのです。

 そして、人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼(神の御子イエス・キリスト)を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。」(へブル9:26-28)

 

 神の子羊イエスは、死後に裁きを受けることが定まっている罪人の罪を身代わって負われ、ご自分の血をもって、罪を贖われました。神は、神の子羊イエスの贖いの血によって、御自身の怒りをなだめ、また、罪を贖われるのです。

 罪が贖われるとは、神の子羊イエスの贖いの血を感謝して受けることです。贖いの血が用意されても、神の子羊イエスの贖いの血による御救いを信じない者の罪は贖われません。御救いには、信仰が求められます。

 罪の贖いの子羊の血も、神の御子イエス・キリストを侮る者、憎む者、逆らう者らにとっては、何の意味も持たないものとなります。かえって、神の呪いとなります。

 

 神の子羊イエスの贖いの血を感謝して受け、神が罪人の罪の贖いのために天から遣わされた神のひとり子キリスト・イエスを救い主として信じるならば、神はその人の罪を赦して義とされ、永遠のいのちに至る道を示してくださいます。

 多くの人々は、天から来られた救い主イエス・キリストを抜きにして、永遠のいのちを得ようと努力します。

 永遠のいのちを得るためには、まず、自分の罪をきよめなければなりません。そのきよめをするのが、唯一、神の子羊イエス・キリストの贖いの血なのです。それゆえ、キリストの血なしでは、永遠のいのちに至ることはできません。

 

 人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっています。その定めを覆す救いの道として、裁き主なる神は、神の子羊イエスを遣わされたのです。

 人間はみな、死後に、裁きを受けることが定まっていますが、女から生まれた人の子イエスが、その裁きを過ぎ越すために神の小羊(主キリスト)の血を流してくださいました。イエスは、世を死と滅びから救う救世主なのです。

 神は、救世主(神の御子イエス・キリスト)を心に迎えた人を、キリストの御霊によって、新しい人の子に造り変えられます。死後に裁きを受けることが定まっている人間ではありません。神は、罪が赦され永遠のいのちを得る神の子どもを創造されるのです。それは、神の憐れみによります。はかり知れない愛によるものです。

 

 キリストの福音を聞いて、神の御子キリストを信じない者は、神の御救いを退ける者です。神の御救いを退ける者は、神の愛を退ける者です。神の愛と御救いを退ける人間は、生まれた時から定まっていた死後の裁きに進むだけです。

 

 すでに、異邦人の救いの時は終わっています。異邦人の時は完成したのです。

 イエスは言われました。

 「わたしにはまた、この囲い(ユダヤ民族)に属さないほかの羊があります。わたしはそれ(ユダヤ人ではない羊)をも導かれなければなりません。彼ら(天の御国に入る異邦人)はわたしの声(ことば)に聞き従い、一つの群れ(とこしえのイスラエル王国の国民)、ひとりの牧者(イスラエルの王)となるのです。」(ヨハネ10:16)

 

 異邦人の時には、ユダヤ民族に属さない者にもキリストの福音が伝えられました。それで、キリストの福音を信じて十字架に掛かられたイエスを神の御子キリストであると告白し、神の民に加えられた異邦人が多くいます。

 

 キリストの御霊と御霊を宿す聖霊の器(聖霊のバプテスマを受け御霊に造り変えられた者)は、すでに地上にはいません。しかし、神に忠実でなかった者たちは、地上に残っています。

 

 地上に住む人々、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音を携える御使いが大声で言いました。

 「神を恐れ、神を崇めよ。神の裁きの時が来たからである。天と地と海と水の源を創造した方(まことの生ける神)を拝め。」(黙示録14:7)

 

 神のことばを知っている人々に語られます。神のことばを知らない人々は聞いてもわかりません。

 十四万四千人のユダヤ人は、全世界に出て行き、救いのことばを宣べ伝えます。聖書のことばを知るユダヤ人とクリスチャンの中に、悔い改める者が起こります。十四万四千人のユダヤ人の宣教のことばは、彼らの心を刺し通します。

 

 自分たちが神に熱心でなかったことを悟り、悔い改め、自分自身を神に差し出します。彼らのうちにあった反キリストを恐れる心は取り去られて神を恐れる心となり、彼らは命をも神に差し出すのです。

 もはや、反キリストや悪い者の迫害や殺戮を恐れる信仰の弱い者ではありません。神が、神を否まない信仰を彼らの上に置いてくださるのです。

 

 異邦人の時の完成とともに、地上から御霊の器も真理の御霊も引き上げられました。みことばを聞きたくても、教えてくれる人はいません。みことばを知りたくても、イエスのことばを思い起こさせてくれる御霊はいません。

 御霊が引き上げられている「ユダヤ人の時」になると、ふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人の宣教する神のことばが、足のともしびです。

 

 「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105)

 

 ユダヤ人の時は救いの時であり、裁きの時です。神のことばに従わない者は、いのちの書から名が消されるのです。

 

 御使いは大声で言います。

 「神を恐れ、神を崇めよ。神の裁きの時が来たからである。天と地と海と水の源を創造した方(創造主)を拝め、」

 決して、創造主ではない反キリスト(世の人々がメシアと賞賛する地上の権力者)にすがってはなりません。彼は、決して救いを与えないからです。神の民が持っている永遠のいのち(いのちの書に記された名)を奪うからです。